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記録と記憶のギャップ

最近は家族について考えている時間が最も長い。
花ノ結婚式屋から花ノ家族婚なるサービスをもうすぐリリースするからだ。

プレスリリースに撮影ディレクション、ランディングページにコンセプト、、何よりその価値とは?顧客に伝えたいことって?どうやったら伝わる?

グルグルグルグル。


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そーこー考えるなかで、僕にとって家族の時間ってとっても少ないと思ってしまった。記憶の話ね。

人生という記録では、飯田家次男に生を授かり、36年。
両親からすると36年間家族だ。もちろん僕のなかでも家族だ。

ただ、家族である記録と記憶は全く別物だ。

夫婦となり自分が子を授かり僕と妻と娘2人の家族は約8年になる。仕事のやり方など変えながら今でこそ家にいるが、約5〜6年は家にいなかったことのほうが多いだろう。
今ではほぼ毎日子のことは一度は考える。ほぼ。たぶん母親は違う。母親に関してはほぼではなく毎日だ。子どもが生まれてずっと。ずっとなんだろう。またいつかこの話題にもふれてみようと思います。

親は親になるとずっと家族は家族なんだ。
子は一緒に暮らしていれば家族だが、20年前後で独り立ちをし
家を出ていく可能性がある。

僕は19歳で福岡から京都に出てきた。僕の場合は家族のことを考えるのは一ヶ月に一回。数週間に一回だったかもしれない。兄や妹に至ってはお正月だけ家族に戻るくらいのもんだ。約10年間一人暮らしをしていたからその期間は個に限りなく近い。
そして、僕の特徴でもあるがそんなに昔のことは思い出せないので記憶なんてあったもんではない。昔に親からも沢山いろんなとこに連れて行ったのに、覚えてないなんて!!って言われたこともあるくらいだ。

ただ、親は違う。ほぼ毎日子のことを考えている(可能性が高い)。

親は記録と記憶がイコールなのだ。

親と子の家族のギャップ。記録と記憶のギャップ。
空白の記録、忘却の彼方にある記憶。

今回の肝はここなんだと思う。
そして今夜もまとまらないからウイスキーを飲み干し寝ることにする。




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