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眠るのが嫌いだ。

しかし毎晩眠らねばならぬ。

小学生の頃から「眠る」という行為が得意ではなかった。

深夜、誰も通らない道路を眺め、寝静まる街を見つめながら、「どうしてこれほどにも眠れないのだろう」と思っていた。

それから数十年経った今でも、私は眠れない。

今、思うのは「私」を失うのが怖いのだ…ということ。

デカルトの「我思う、ゆえに我有り」ではないけれども、私が「私」を認識できなくなる瞬間がたぶん恐ろしいのだ。

我を忘れる…ということができない。

我に集中して、周囲を置き去りにすることはできるけれど。

絶叫マシンに乗って興奮していても、どこか心の片隅が冷めている。

そのため、「キャー」とか騒げない。

外から見た自分を想像してしまうからだ。

そんなの誰も興味ないのに。

没入ができない。

夜は没入の時間だ。

飲酒にせよ、眠るにせよ、性行為を行うにせよ。夜ほどふさわしい時間はない。

しかし、そのどれもが私を没入させはしなかった。

飲酒も身体はアルコールに溺れるが、心は醒めていた。

「もっと飲めば、何もかもを溶かせるんじゃないか」と思ったけれど、そんな奇跡は起こらぬまま、ただ忘れたい時間と重い頭痛だけが残る。

醜態を晒したことも、残念ながら覚えている。

酔った翌朝も、それから数年経つ今も。


忘れられればいいのに


と思うけれど、忘れることもできないまま。

なぜ忘れたい記憶ほど、こんなにも明瞭に残り続けるのか。

ピンクのゾウが私の前を横切り、したり顔で言う。

「考えたくないことほど、考えてしまうものだよね」

性行為も確かな興奮はあっても、やはり片隅に「私」がいて、私を観察している。白々しく。ゆえにのめり込めない。


夜になると、「誰かスイッチを切ってほしい」と思う。

背中にスイッチがあって、それを誰かがパチンと切ってくれれば、楽になれるのに。

小さい頃、家に「ファービー」という人形?ぬいぐるみ?があった。電池を入れていると急にしゃべりだし、勝手に笑いだすので怖かった。

そんなファービーでも電池を抜けば静かだ。

誰か私の電池を抜いて、朝になったら戻してほしい。

そうすれば、こんなにも毎晩苦しまずに眠れるのに。

まぁ一度眠りに落ちたら、今度は目覚めたくないのだけれど。

私は「眠りたい」のか?それとも「死にたい」のか?

よく分からないな。似たようなものかな。


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