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「そうするしか仕方がなかったの.誰も悪くないから」


心に熱い情熱を秘める同志のみなさまへ♡

カウンセラー見習い・真面目モードのさとです♪

カウンセリングで幼少期の親のことを話すとき,わたしは必ずこう言ってるそうです.カウンセラーさんに指摘されて気付きました笑笑

「そうするしか仕方がなかったの.誰も悪くないから」

今月は虐待防止推進月間だそうで,わたしの親との関係を少し振り返ってみます.ちょっと重くてしんみりしちゃうけれど,,,虐待の事を書くのは最初で最後にします♡

幼少期から30代

記憶にあるのは3-5歳の時.父親から体罰を受けていました.外に放り出されたり,玄関に投げつけられたり色々とありました.苦しくなるのでもうこれ以上は綴りません.「泣くな!黙れ!我慢しろ!」怒られるたびにそうやって怒鳴られ殴られました.感情を押し殺して,悪いのはわたし,と気持ちを押し込めていく術を学びました.小学校に入ると,父親は一生懸命に手を上げる事を堪えて暴力はピタリと止まりました.幼少期の出来事は記憶の底に仕舞い込まれて思春期を迎えます.

20代前半から親への憎しみが湧き起こるようになりました.色々あって.一切連絡を絶っていました.26歳の時同棲を解消したタイミングで実家に戻る選択をします.戻ることを伝えた時は,失恋の苦しみを聞いてくれた父親とうまくやり直せると思っていましたが,,,

物理的距離が近づくと色々な問題が噴出し始めました.父親からの過干渉とダメ出しそして支配的態度が現れるようになって.わたしはアンダーグラウンドに潜り始め,自分を切り刻む恋愛にのめり込み始めます.職は派遣を転々として.

あまりにも生きることが苦しくなりだして初めて20後半の時にカウンセリングを受け始めました.そこで虐待のことを初めて話し始めました.カウンセリングに一緒に来て欲しいと母親に伝えたら,当時の母親は「そんなの要らない.そんな恥ずかしいことは辞めてくれる?うちの家庭に問題はないから」.

実家に居ることが苦しくなり出して,30才の時に再び東京に出ることを選択.今も働き続けている会社で正社員として就職を3日で決めました.家も同時に決めて.母親と2人で食事をしながらそのことを伝えました.引越し直前に父親は黙ってお金の入った袋を渡してくれました.

独立してからも親のことは向き合い続けようとしましたが,憎しみしか湧きおき起こりませんでした.許すなんて考えられなかった.途中で投げ出しました.再び自分を罰する恋愛にハマり出します.

30後半の時に,7年通い続けている今のカウンセラーと出会い,本格的に親との関係を再び見つめ直す作業を開始します.何もしていなくても泣き出してしまうくらい色々を吐き出し続けました.非常に苦しい作業でした.その矢先に膵臓の腫瘤が健康診断で見つかり,自分自身を生きることに力を注ぐようになりました.仕事も多忙を極めるようになり,並行して心理学の勉強とか小児病棟ボランティアに精を出していました.恋愛は相変わらずうまく行かないことの繰り返し.

許しの瞬間

それから3年後,悪性診断が出て手術.合併症発症して再入院.どんどん痩せ細っていく自分,食べられない自分が惨めで情けなくて辛くて.病院の食堂やベッド,シャワー浴びながら,声を殺して泣いていた時期がありました.一番苦しかった時期.手術よりも何よりも辛い禁食期間でした.

「どうしてこんな思いをしなければならないの!小さな頃から虐待を受けて!大人になってまでこんなに惨めな思いをして!この世に生まれて来なければよかった!あんな親の元なんかに,生まれて来なければよかった!」



そして退院直後,一旦静まったかにように思えた入院中に沸いた憎しみが,再び沸き起こってきました.無我夢中で親に罵詈雑言のメッセージを送り続けていました.

虐待だと認めろ!謝れ!虐待を受けたら脳にも影響を受ける!!
わたしの何もかもがうまく行かないのはお前らのせいだ!!etc

翌日,長い長い長文メールが父親から届きました.父親の生い立ち,祖父曽祖父の生い立ち,母親の生い立ち,わたしが生まれた時の心境,精一杯愛情を向けていたこと,暴力振るった時の心境,直後の激しい後悔の気持ち,虐待への懺悔の気持ち,色々が綴られていました.わたしが小学校に入ると暴力が止まった理由も書かれていました.

それを読んだ瞬間,喉に大きく突っかかっていた大きな大きな何かがゴロって取れた感覚を覚えています.何もかもが腑に落ちました.親も親で大変だった.そうするしかなかった.親の親もそのまた親も,色々な事情で体罰を受けて歪んだ愛し方を学んで育ってきた.仕方がないこと.その立場に立たされたならそうせざるを得なかった.誰も悪くない!!仕方のなかったこと!!わたしは犠牲者にも加害者にもなりたくない!!

そして,親は親なりに一生懸命に親なりの愛し方で愛情を示し続けてくれている.わたしが思う愛情表現ではないやり方で,親なりの愛情表現で.そう思えることができたのです.親の愛を初めて受け取れた瞬間でした.

許してからの変化

それからも親との物理的距離はなんら変わってませんが,わたしの心がとんでもなく軽く軽くなっています!つっかえが取れたから!あの時は誰もがそうするしか仕方のなかったこととして,親の事情にも思いを馳せることができた.そこから不思議なくらいに「わたし,自分が思っている以上に愛されてる!!」そう心から実感する出来事が起き始めるようになりました♡ 心を外の世界に映し出すってこと!まさしく,,,

親以外の人たちに対しても,その人なりの愛情表現で愛を向けてくれているって思えるようになりました♡「誰もわたしの期待通りには愛してはくれない.その人なりの愛し方で一生懸命にしてくれてる」って言うことを知ったのです♡そして,誰かの対応に残念なことがあっても,仕方がないかーって思えることが増えた笑笑.ムカってくる時もあるけれどね笑笑

親子の関係について

色んな親子の形があるし,直接対峙することがベストとは思いません.生きているうちに和解した方がいいのかどうかも,その人本人に委ねるものだと思います.良い悪いとか正解なんてないとわたしは思います.直接対峙しなくても,本人の中に在る親の捉え方を変えられたなら,許すことはできるのかもしれません.

元婚約者は無理矢理に和解させようとわたしに働きかけてきました.余計なお世話でした.わたしは,自分自身が欠陥品扱いされたかのように受け止めてしまいました.親との和解において,本人の意思を無視してまで無理矢理周囲がとやかく言う筋合いはないとわたしは思います.本人が自分自身と向き合って解決していくこと,それぞれのプロセスで進んでいくものだとわたしは思うから.

小さなわたしを抱きしめて

時折小さな子どものわたしが悲しむ時があります.その度にわたしは会いに行ってぎゅーっと抱きしめます♡

最近,小さなわたしの悲しみは,静かな静かな悲しみに変化しています.暗黒時代は暴れまくっていて,その当時のわたしは暴れ出す小さなわたしを怒りで沈めていた,,,

悲しみは消えないしずっと抱えたままかもしれないです.悲しむ当時のわたしと,今のわたしが手を繋いで進んでいけばOK.段々と悲しみの質が変わってくるから♡そして,なんとも言えない甘酸っぱく暖かな嬉しく自由な愛あふれる気持ちになれるから♡痛みとしあわせが同居してる感覚♪

悲しみ出てきたらその時代の自分を,大人のわたしがぎゅーっと抱きしめてあげる.しばらく寄り添ってあげる.そうするとその時代のわたしはニコニコ笑ってくる♡その繰り返し♡

わたしが小さな子どものわたしの親になって,色々な気持ちを満たしてわたし自身を育て直す.そうすることで,満たされなかった飢餓感がいつのまにか消え去っています♡自分で自分を満たすってこういうことなんだと実感できる♡自分と繋がれる安心感を実感できる瞬間!

昔は白黒はっきり主義でした.曖昧さを受け入れられなかった.それが病気手術経て両親を許せて,曖昧さを受け入れられるようになりました.心は曖昧だから白黒はっきりつけなくてよい♪

悲しみも静かな喜びも暖かさも同居できるようになった.大好きだけど大嫌い,嬉しいけれど悲しい,そんな相反する気持ちの両方とも手を繋いで進んでいけるようになっています♡

わたしはわたし「さと」として,今の親の元に生まれたことを誇りに思っています.色々あったけれど,それら全て含めてわたしであることの証だから.たくさんの宝物と才能を授けてもらっているから.だからこそ両親の元をわたしは選んで生まれてきたのだと今なら思える.乗り越えられない問題はやって来ない,と自分を信じることを学び許すことを学んでいるから.

そして,この社会から虐待が消え去ってほしい.子どもが子どもらしくイキイキと生きられる社会であってほしい.子どもだけじゃない,虐待する側の親も救い出せる世の中の仕組みができてほしい.切にそう願います.

心配してもしなくても大丈夫なようにしかならないから.大丈夫♡心配はいらない♡
暖かくしておやすみくださいませ.

カウンセラー見習い・さとでした♪

Lots of Love♡


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