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世界中、すべての権利は、闘いとられたものである

今年も昭和薬科大学での憲法入門の講義が始まりました。
コロナ禍のためオンライン講義と対面講義を交互に行う予定です。

毎年、最初の講義で紹介する言葉があります。

世界中、すべての権利は、闘いとられたものである。


これはイェーリング『権利のための闘争』(岩波文庫)に書かれている言葉です。

テーミスという正義の女神をご存知でしょうか。
テーミスは法を司る女神でもあります。
日本の最高裁判所にもテーミス像が置かれています。

実は、法律家を目指して勉強していた山梨学院法科大学院にもテーミス像がありました。毎日のように法科大学院棟の入り口に立つその姿を見て、叱咤激励されているように感じていました。

この女神、『権利のための闘争』では次のように語られています。


世界中、すべての権利は、闘いとられたものである。権利は、単なる思想ではなく、生き生きした力なのである。だからこそ、片手に権利をはかるための秤(はかり)を持つ正義の女神は、もう一方の手で権利を貫くための剣(つるぎ)を握っているのだ。秤をともなわない剣は裸の実力を、剣をともなわない秤は権利の無力を意味する。二つの要素が表裏一体をなすべきものであり、正義の女神が剣をとる力と秤をあやつる技とのバランスがとれている場合のみ、完全な権利が実現される。

自由や権利は、闘いとらなければ実現しないのです。

この『権利のための闘争』の中では、自分の権利を守ることは、自分自身のためだけではなく、その権利そのものを守ることにつながるのだと書かれています。


権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である。

権利のために闘うことは、自己に対しては単なる利害の問題ではなく品格の問題であり、社会に対しては法が実現されるために必要なことだとイェーリングは説きます。

歴史を振り返れば、フランス革命やアメリカ独立戦争では文字とおり「剣」によって血が流されて、権利が闘いとられてきました。
私は、民主主義が広がった今日において、「権利を貫くための剣」は憲法だと思っています。


自由と権利を謳い、民主主義、言論の自由、裁判を受ける権利を保障している憲法は、私たちが自由に人間らしく生きるための「武器」なのです。

憲法をよく知り、使うことで、私たちの自由や権利が実現するのです。

「世界中、すべての権利は、闘いとられたものである」という言葉には、歴史の重みがあり、そして今日的な意味があります。

自由に人間らしく生きる武器として憲法について、今年も学生たちと一緒に考えていきたいと思っています。

(本稿は2021年9月20日時点の情報に基づく記事です。)

                       文責 弁護士 大城聡


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