石丸構文への反論(石丸伸二氏の話法について)
タイトルは半分釣りです。
「石丸伸二氏の選挙後のインタビュー対応時の話法に対して、深い共感を覚えた自分が、同じことを思う人にこの思いを届けたい。身近にこういった話法を扱う人がいる方に対して、誤解を解きたい。そして、改善方法があるのであれば、教えて欲しい。あと、”構文”はインタビューの切り抜き前の文脈を踏まえておらず、妥当ではないと思う」
といった内容です。
前提
私の政治スタンス
石丸伸二氏の支持者ではありません
本文の対象者
石丸構文の参照元となったインタビュー動画について、切り抜かれている前の箇所の文脈も踏まえて、理解している方を対象としています。
※フルで視聴することで意見が見え方が変わった方と仰る方もいるので、是非ご覧ください。
※実際のインタビューでは、大きなラグが発生していたという状況もうかがい知ることができます。
また、こちらのツイートでは関連部分をテキストにてご確認頂けます。
叩かれている理由として私が認識していること(ここまでは分かっているということをお伝えする意図です)
「政治家としては」どう見られるか?どういった印象を与えるか?を第一に考えるべき
政治家には向いていない
なぜ塩対応めなスタンスであったかについての分析として把握していること
石丸氏はメディアの報道のあり方に対して批判的な姿勢であったから
※他のインタビューでは柔軟な受け答えをしていることからも、それらとは異なる特殊な状況における振る舞いであったということが想像できます
本文
というわけで、石丸氏のインタビューでの受け答えに対して深い共感を覚えた者として書きます。
無数の批判を眺めた上で、それは違うかもしれないと感じた点を指摘しま
す。
批判のうち、違うかもしれないと感じた点
まず第一に
上に立ちたいという意思の現れ
悪意を持って分からないフリをしている
といったような批判は、的外れな可能性があると感じています。
このように考えられる背景には
「上に立ちたいという意思」がないなら、こんな振る舞いはしないはず
「悪意が無い」ないなら、こんな振る舞いはしないはず
といったような批判者の皆様のお考えがあると思います。
しかし、”意図せずこういった話法になってしまうことがある”当事者としては、「いや、必ずしもそうではないよ」と伝えたいです。
※もちろん、石丸氏の真意は分からない以上、皆さまも私も想像の範疇を出ないのは同じです。あくまで「こういった話法になること即ち悪意の現れである」という解釈は誤りであると主張したい意図です
また
「人を見下している」姿勢の現れ
といったような指摘は、特に典型的な誤解だと感じています。
むしろ
「人を対等に捉え、自分と同じ言語、論理を司ることができる」と考えている
からこそ、こういった振る舞いになるのです。
批判者のような”普通の人”には理解し得ないと思いますが、悪意なく、モードによって、このような振る舞いになる場合があるということです。
似た話法を扱う私は、このインタビュー内容を見て、石丸伸二氏の話法自体には違和感を感じませんでした。
※「自体」というのは、前提で述べたように政治家として得する振る舞いなのか?は別議論として置いておくとして、というニュアンスを含んでいます
そのため、丁寧に確認を繰り返した上で、誤りがないように答えようとしているように自分には見えるこの姿勢が、強く非難されていることに悲しみを覚えました。
モードの話
私がどのようなときにこのモードとなるかというと
疲れているとき
心理的安全性が担保されていない場、人
です。
今回の石丸氏のインタビュー対応における状況は
選挙後の大変な疲労の中での対応だった点
落選後のメディアからのインタビューはある種の攻撃性をはらんでいるという点
から、防御態勢(モード)に入るのは全く不思議ではないと感じました。
ましてや、メディアに対して敵対心を持っており、大きなラグのある劣悪な環境下で言葉尻を取られることを恐れているのであれば、なおさら自然に感じられます。
フル動画を見た方は、メディア側には批判的なスタンスがベースにあることは分かると思います。
※メディアの役割、特性として理解しており、その点に対して非難の意図はありません
身近な人がこういった話法を扱う方に伝えたいこと
石丸氏が実際に素でそういった方なのかは断定できませんので、あくまで私の主観としてお伝えします。
皆さまにとっては気にするほどではないと感じるような細かいことに対しても、私のような人間はとても気になってしまってしょうがありません。
喩えるなら、蚊に5箇所集中的に刺されて生じる激しいかゆみのようなものです。
気にせずにはいられません。
そして
必ずしも敵意があるわけではありません
必ずしも悪意があるわけではありません
必ずしも傷つけたいという意図があるわけではありません
そういった意図がなくても、そう感じさせてしまう振る舞いとなってしまうことが多々あります。
※だから許して欲しい、ということではなく、まずその誤解を解きたいという意図です。
また
言葉の確認や、論理構造の整理が、何かしらの意思表示ではない場合があります
皆さまは意図をごく自然に察していらっしゃると思いますが、こちらとしては、言葉にしていない心情を察されることを想定していない場合があります
例えば
といったような会話の場合、「論理構造を整理する」ための発言に、否定の意図も非難の意図も含んでいません。
しかし、一般的には意図を持った発言として解釈されることが多々あります
そしてこれは、先に述べたように、対等な関係だと考えているからこそ、こういった話法になりえます
丁寧に言葉を確認しあうことで、しっかりとした意思疎通が行えると考えています。
そのため、「対話の相手を対等に扱え」という指摘は、(こちらからすると)全く的外れな可能性があります
なぜなら、こちらにとっての「対等」が現状の「丁寧に言葉を確認する」スタンスだからです
※この発言に、批判者の皆さまが考える「対等」に歩み寄るつもりがない、という意思は含まれていません。むしろ、どうしたらこちらの思う「対等観」を、社会的に受け入れられる形にチューニングできるのだろうか、と悩んでいる次第です
どうしたらこうい話法を扱う自分のような者が、社会にチューニングできるか?
アドバイスがあれば頂きたいです。
Twitterアカウント作りました↓
特に
専門家の方からのご意見
身近な方の振る舞いを変えた経験がある方
からのご助言はとてもありがたいです。
ちなみに、今までに見た言及の中には
幼稚な振る舞いであることを伝える
といった提案がありましたが、恐らく自分を含む多くの人にとって全く効果は無いです。
なぜなら、幼稚だとか幼稚じゃないとかそういう物差しによって振る舞いを選んでいるわけではなく、自然とそうなってしまう類のものだからです
お腹が鳴ってしまう人に「お腹が鳴るのは幼稚だよ?」と伝えても意味がないのと同じです。
私と同じような共感を覚えた方へ
自分から見ると、決して不自然ではない話法が激しく大多数から責められている姿を見て、心を痛めている方。
ここにも同じ感覚の人がいます。
少しでも安心して頂けたら幸いです。
おまけ(石丸構文への反論)
石丸構文の火付け役となったサブウェイでの注文というシチュエーションの冒頭部は下記のとおりです
元ネタとなっているインタビューの切り抜きでは
「政治屋の定義」と、「石丸氏は自分のことを政治屋とは考えていない」ということについて、既に小栗氏に回答済みである
ことが省かれているため、店員の質問に答えず、質問を質問で返すといった振る舞いとして捉えられて構文が作られています。
しかし、実際にはその前に同様の質問があったわけなので、その実態に即すと下記の通りとなります
これが実際にサブウェイの注文であれば、不思議には思ったとしても、注文を繰り返せばいいかもしれません。
しかし、ああいった公のインタビューの場で、誤りのない厳密な回答をしたいと考えていた場合、同じ質問ではなく何か違った意図があるのではないか?と想像し、言葉を丁寧に確認するということは私にはごく自然に思われます。
また、サブウェイの例で言えば、初めてサブウェイに来た人が上記のようなシチュエーションに遭遇したら、こうなるのも仕方がないかもしれません。
※何にせよフィクションなので、考察を深めても仕方がない
補足
再三の補足となりますが
政治家としての振る舞いにおける是非
については意見を述べていないつもりです。
あくまで、話法が揶揄されていること、そして、その話法に共感する者から見た批判者との認識のギャップに焦点を当てて、ここまで述べさせて頂きました。
また
「政治家にならないなら気にしなくてもいいのでは?」
と、思われるかもしれません。
しかし、こういった話法によって周りに危害を加えてしまう経験は、一般市民の私にもあり、それについて改めて思い悩むきっかけとなった次第です。
この話法に共感する方に対しては、どうか心を傷めないでとお伝えしたく。
批判されている皆さまに対しては、コミュニケーションのスタイルの一つとして、一歩のご理解をお願いしたく、終わりとさせていただきます。
私のTwitterアカウント。
参考
やり取り上の、間違いらしい箇所について解説して下さっています。
※石丸氏に「揚げ足取り」「マウント」の意図があると断定されてらっしゃる部分については、同意していません。
石丸氏の振る舞いは敵意によるものではないと分析してらっしゃいます。
※「典型的なASD的な思考回路」という箇所の言葉選びについては、全面的には肯定できません。他者が限定的な状況での振る舞いを見て断定すること、振る舞いを即障害や病気と結びつけることは様々な危険性をはらんでいると感じています。
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