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1971年の岡林信康のライブアルバムにシビれている。

 岡林信康。フォークブームに青春時代を過ごした人々に、知らない人はいないだろう。
 1970年代後半生まれで、それほど音楽に強い関心もなかった僕には、あまり馴染みのないミュージシャンだったが、20歳の頃に彼の曲と出会う。
 泉谷しげるが歌う「私たちが望むものは」(作詞作曲:岡林信康)だ。「わたしたちが望むものは、生きる苦しみではなく、生きる喜びなのだ」そんな共感を誘うフレーズから始まる曲は、やがて思わぬ展開を見せる。深く考えされ、ずっと心に残っていた。

 20数年を経て、最近、岡林をしっかりと聴くことになった。きっかけは、思いがけないところからやってきた。1年ほど前にはじめた、しゃくなげ渓ウォークだ。
 月に1回、森の中を歩き、自然を観察しながら散策する時間。縁あって参加するようになった方が、弾き語りをしてくださった。そこで歌われたのが泉谷しげるの曲だったのだ。
 僕が先の曲を話題にしたところ、岡林をリアルタイムで聞かれていた世代のTさんが「あ、その曲なら、泉谷ではなく、岡林信康ですね」と、教えてくださった。

 さっそく、岡林自身が歌う「私たちの望むものは」をYoutubeで検索した。すると、当時のものがあった(伴奏ははっぴいえんど!)。荒削りだけど、人々の心に響く強さや温かさ、そして愛嬌がある。「性と文化の革命」などの映像にもたどりつき、岡林ワールドを味わいはじめた。

 ほどなく、Tさんと別の機会で出会ったとき、彼がおもむろに「村上さん、聴く?」と、CDを渡してくれた。
 二枚組のCDは岡林のもので、タイトルは「狂い咲き」。早速、カーステレオに流すとライブの音源だった。ブックレットによれば、1971年に日比谷音楽堂でのライブ。彼がデビューしてそれまでの間に次々と作った曲を順に歌っていくというライブだった。

 聞いていくと、「私たちの望むものは」のほかにも、痛烈に心に響く歌、共感する曲がいくつもあった。その中から、特に印象に残った曲をいくつか紹介したい。

それで自由になったのかい
 給料が上がるとか、生活がよりよくなるとか、それがほんとに「自由」になることなのか?結局はブタ箱の中ではないか?(本当の自由ではないのではないか?)と問い返してくる曲。
 多様性とか言われ、スマホやSNSでなんだか自由になったようで、実は管理がどんどん強くなっていて、思考も行動もむしろパターン化していないか?と思うこの頃。そんな気持ちにとても響く。

おまわりさんに捧げる唄
 世の中を良くしたい、と命を賭けているおまわりさんに対し、「だけどだけどあんたのやってる事はまるで、くみ取り式のトイレの仕組みは放ったらかしにしておいて、出て来たハエを一生懸命追っ払ってるようなものさ」と言い放つ一曲。
 社会の構造に目を向けずに、目の前の課題解決だけに腐心することの浅はかさ、あるいは罪を鋭く指摘している。
 いまは、SDGsとか社会的な善のようなものが評価されやすい時代。だからこそ、自分が取り組んでいることは、本当に、苦しんでいる人たちの状況を根本的に変えることにつながってるのか、常に留意していたい。このことは、自分もNPOで事業をしながら、常に自省に努めていること(難しいけれど)。NPO、公益法人、公務員、政治家など、公益的な事業に携わっている人、あるいはそういう社会的な仕事に就きたいと思っている若い人たちには、特にシェアしたい曲。

コペルニクス的転回のすすめ
 これも深い洞察に基づいた一曲。「(やつらを倒そうと)何をやっても…みんな裏目に出てしまう」なぜなら「俺たちの脳みそは やつらに作られたんだから」。だから自分たち自身の脳みそを入れ替えるんだと歌う。
 彼の曲全体を通じて共感するのは、単なる体制批判とか、社会批判にとどまらないこと。社会の構造を一歩引いて捉え、本当に求める変革のために、自分に何ができるのかを、深く問うてその答えを見出そうとしていることだ。
 そしておそらく、この時点で彼が見出しているのは、"自分が批判をしている社会を構成しているのは自分自身でもある"との自省と、"自分自身の思考や振る舞いを変化させることが社会を変えること"との信念で、この一曲は、そのメッセージを端的に示す一曲だと思う。

 ほかにも「性と文化の革命」「くそくらえ節」「がいこつの歌」など、タイトルも中身も強烈な曲が続く。

 使われている言葉や歌い方など、今の音楽シーンにそのまま流すとするとちょっと乱暴な感じもしないでもないが、彼が発しているメッセージ、そしてエネルギーは、今の僕らにも、十分、届くもののように思う。
 また、それが今も変わらず響くということは、この50年、根本的なところで、社会の根本的な構造は、変わっていないし、むしろ、根深くなっている部分もあるということではないか、とも思う。

 wikipediaで読んだ限りだが、彼はライブの少し後くらいから、いったん音楽から距離をとり、山岸会に入会するなどの時期があったようだ。
 70代後半になった今も音楽活動は続けている。2021年に発表されたニューアルバム『復活の朝』のタイトル曲「復活の朝」には、やや、諦観したようなところも感じる。若かりし頃の自分の曲を、彼はいま、どう感じているのだろう?

 何が自分にとっての正解か、ほんとうにわかりにくい時代。若かった頃の彼が曲に込めたメッセージを今一度味わうことが、きっとなにかのヒント、あるいはエネルギーの源泉になるのではないか、そんな風に思う。
 この記事を読んで、興味を持ってくださった方があれば、まずは一度、彼の楽曲に触れてみてほしい。

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