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集中力が続かない

現代はいろんな特性に名前が付く。以前ならそういう性格と一括りにされたり、得意か不得意かで判断されるだけだったりしたと思うことにでも、細かく症状とか、病名とかが付く。良いこともあれば、場合によってネガティブな受け取られ方もする。

医学的に分かることが多くなったのは、どう対処、対応できるかが分かるという点でプラスに捉えていい。現象として現れた症状の原因が分かることは、分からない不安にくらべたら絶大な効果。死因に直結するような悪い現象であったとしても、知らずに過ごすよりは知りたいとぼくは考えている。

インスタである動画が流れてきた。中央に点滅する点がひとつ。上の中央と下の左右にそれぞれ1個ずつの点(三角形の頂点の位置)。+が並んだ背景が回転している(分かりにくい笑)。
中央の点を見続けて、周囲の3つの点が消えれば正常、消えなければADHDの疑いがある、みたいな簡易検査のような動画だった。

友人のストーリーズで流れてきたため、元ネタに飛んでやってみたが、ひとつ消えるくらいだった。何度やっても3つとも消えることはなかった。
注意力はないと自覚はある。こうやって文章を書いているときでも、スマホを見たり、別のタブで何か検索したりしている。ポッドキャストもよく聴くが、聴きながら別の話題を考えていることも多い。

ほかのADHD診断(チェックリストのタイプ)もやってみたが、可能性は低いと出たり、疑いありと出たり様々な結果だった。それだけ断定するには要素が多すぎるし、万能なチェックリストなんてないのだろう。

特性や症状であるということは、そこに程度の差がある。風邪であっても、たとえば37.5度を超えたら風邪です、と診断されるわけではない。ひき始めとどん底では症状も違う。コロナでもそうだった。人によって症状は違ったし、熱が出る人もいれば、喉の痛みや倦怠感だけの人もいた。”無症状”の人がいるという話もあったのは記憶に新しい。

ADHD(Attention-Deficit / Hyperactivity Disorder)とは、「注意欠如・多動症」と訳される。

注意力は欠如しているけど多動ではない、または注意力はあるが多動、そういう人もいるのではないか。どこまでが注意力が欠如していると言えるのか。どういう行動が多動と言えるのか。

そういう判断は非常に難しい。学校では、好きな科目は集中して授業を受けられるが、苦手な先生の授業は落ち着きがない。仕事でも、クリエイティブな仕事は苦手だが、精密機器の組立が得意、という人だっている。

なんかそういうもんだよな、というのが現在地。本や論文を読んだり、動画もたくさん出ているからそれを見たり、調べて知識を得ることは大切なこと。ただ正直それは自分の役割ではない。もっとそれが得意な人がたくさんいる。そうやってさらに簡潔にまとめてくれているものを見たり、聴いたりして、自分も含めた関わる人たちが生きやすくなるよう、フラットというか、その状況に合わせて柔軟に対応できたらいい。

これだけ短い文章を書くまでに1時間くらい経っている。スマホを手に取ったり、話をしたりして、なかなか進まない。ただの注意力散漫か。
どれだけ短い文章になっても30分以上時間をかけないとか、ある程度制限を設けるのもひとつだな。集中できる環境は自分で作る。




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