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話せる相手がいる幸せ

大切な人の活動は全力で応援したい。できることは直接の支援でも、情報拡散のような間接的な支援でもなんでもやりたい。ただ、闇雲になんでも応援すればいいってものでもないし、内容が正確でなかったり、自分が本当におすすめできるものでないのにシェアするわけにはいかない。

過去によく言われた、芸能人がCMに出るけど使ってない商品がある問題。CMを打つ企業はモノを売りたいから有名芸能人を使うが、当の芸能人はもっと高価なものであったり、自分のお気に入り、こだわりのものを使っている。そうなると”本当にいいものなの?”という疑問が生まれる。

先日、知り合い(Aさん)が共通の友人(Bさん)の投稿をシェアしていた。Aさんというのはオンライン上で認識していて、リアルで会ったことはない。Bさんは、それぞれ個別に会っている。そのお互いにとって大切な友人という前提の話ではあるが、Bさんの投稿をシェアするという行動について差があった。

Bさんの投稿というのは、Bさんのランディングページを構築中で、今はまだ制作途中だけどビフォー・アフターを見てほしい!というプロセスを見せていくことに主題が置かれていた。サイト内の一部は活動の内容に書き換えられていたが、中には「サンプルテキスト」という文字列が並んでいたり、動画もサンプルだったりした。

ぼくはこのBさんの投稿を見た時点で、「これはぼくがシェアすることは難しい」と感じた。なぜなら、そのサイトが未完成であり、Bさんのすべてが表現されていなかったから。

Aさんは、とにかくBさんのことが好きで応援したいと考えていた。だからBさんの投稿をシェアして拡散したい、という気持ちがあったのだと思う。それ自体は素晴らしいことだと思う。ただ、Bさんの意図を汲んだ状態、すなわち「ビフォー・アフターを見てね」という前提を知らせずにシェアするとどうなるか?

「この人は何をしている人なの?」
「サイトのURLが間違っているんじゃない?」
「仕事できる人なの?任せて大丈夫?」
そんなことを思う人もいるかもしれない。

それに、サンプルのテキストや動画が並ぶサイトを見て、Bさんの魅力がどれほど伝わるだろうか?

応援したいという気持ちからシェアしたけど、サイトを見た人に上のような印象を持たれてしまっては本末転倒。応援どころか、マイナスの影響を与えかねない。

友人だからといってそのすべてを肯定する。
インフルエンサーだから言う事は全部正しいと受け取る。

こういったことの危険性はよく言われている。間違っていることは間違っていると言える関係は大切。今回の場合は間違っているわけではないが、盲信的に応援したいという気持ちが、投稿の意図を十分に汲み取っていない状態でのシェアに発展したことで、マイナスイメージを広げることにつながってしまうのではないか、という心配が残った。

自分で考えているだけだとモヤモヤしてしまった。なので、その話を第4者になるか、別の友人(Cさん)に相談することにした。

・サイトのTOPを見ただけで、下部(サンプル表示の箇所)を見ていないのかもしれない
・Aさんはマイナスイメージを与えるとか、そこまで考えてないと思う
・悪気はなく純粋に好きで応援したいだけ
・シェアすること自体が応援だと考えているかも

いろんな話が聞けた。CさんはAさんともBさんとも仲が良く、ぼくも会ったことがある。だから相談しやすいのだが。こういうときに話ができる共通の友人がいることは感謝しかない。

その話の中で、Cさんから
「Bさんのことを本当に大切に思ってくれているんだね。ありがとう!」
と言ってもらえた。
お互いそうなんだと思う。Cさんにとっても、ぼくにとってもBさんは特別な存在。今までもいろんな気づきをもらえたし、時に助けてもらえたし、助けられたって言ってもらえたこともあった。

これからもお互い様の気持ちで、足りないところを補い合っていけたらいいなぁ。






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