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小椋佳の呪文

家には、大きなステレオ・アンプがあった。それにずいぶんと立派なレコード・プレイヤーが載っていた。ターンテーブルといまなら言うのかもしれないが、当時はまだレコードをかけるものということでレコード・プレーヤーと呼んでいたように記憶している。

ステレオ・アンプは、ラジオも搭載していた。でもほとんど誰も使っていなかった。というのも、基本的には両親の部屋に設置してあり、両親はとくに音楽には興味がなかったのでほとんど使う機会がなかったのだ。もしかすると、たまにレコードをかけていたのかもしれないが、少なくとも子供がいるところではほとんどかけたことがなかった。

なによりの証拠が、アンテナを張ってなかったことだ。ラジオが搭載されていることに気がつき、ようやくアンテナの存在に気がついたぐらいだ。それまでは、機械の背面に、機械から伸びる紐のようなものがあって、それはまるでこっそりと隠されているかのように、丸められて埃をかぶっていた。

そもそも音楽が好きでもない両親のもとに、およそ似つかわしくないこのアンプがあったのはこれが貰い物だったからだ。

私がその存在に気づき、使い始めるのは小学校に入る前、保育園に通っていたころだと思う。音楽に興味があったとかではなく、音が出るものに興味があったからだ。その頃、すでに時計を分解したりしていたので、機械というものに興味があったのではないかと思う。

このステレオ・アンプでなにをやっていたかといえば、録音である。
アンプにはカセット・プレイヤーがついていなかったが、当時、小さいものではあったがラジカセが家にはあり、そのラジカセを使ってレコードの音を録音していた。

録音といっても、ラジカセをスピーカーの前において録るというなんとも原始的なやり方で、よく途中で母が話しかけてきたり、掃除機をかけ始めたりして邪魔をされた。その度に、最初までもどって録音をし直した。ときに、母を怒ったりもした。

そのうち、あれこれ試行錯誤しているうちにAUX(外部出力)を見つけ出し、コードを接続して録音するという技術を自力で習得した。それからは安心して録音ができるようになった。

この時、一生懸命録音をしていたのが小椋佳のアルバムだ。
別にとくに小椋佳のことが好きだったわけではない。保育園に通う子供が、あなたの好きな曲はなんですかと聞かれて、小椋佳ですと答えたら誰もが絶句するだろう。小椋佳のアルバムは、たまたま両親の数少ないコレクションのなかにあっただけのことである。

ただ、あっただけというほどには、存在感の薄いものではなかった。むしろ私にとってはトラウマに近い。

私は、アルバムに数収録されている曲のなかで、ただ1曲だけを繰り返し、聴いていた。曲が終わると、針をそっとあげてまた曲の頭に落とす。うっかり1曲前に落としてしまうこともあったが、そんな細かいことには拘らなかった。とにかくなにかに取り憑かれたようにその曲ばかりを聴いていた。
その曲のタイトルは「屋根のない車」。

奇妙な曲だった。
保育園の子どもには「屋根のない車」が「オープンカー」と呼ばれることはまずわからない。わかったところで納得行くわけでもない。なぜならそもそも車に屋根がないものなど見たことがないからだ。どのようにして車の屋根を外すのだろうと考えはじめ、大きなのこぎりでぎこぎこと切り取ったのではあるまいか、屋根がなかったとして雨はどうするのだろうかなどと、「屋根がない」という言葉だけで、やたら子ども想像力は躍動する。

想像力をかき立てたのは、「屋根がない」だけではない、歌詞が子供にとっては不可解なのである。鳥を見つけて、屋根のない車で追いかけて、鳥がおりたところには女の子がいて、その女の子と小屋を作って暮らし始めて…という具合なのだ。子供には到底理解のできない、不可解な、呪文のような詩なのである。

きわめつけは、五番目の歌詞である。久しぶりに「みたことがある」鳥を見つけたら、それを「屋根のない車」が追いかけているというのである。

ナイトライダーを知っていたら、車が自走して追いかけているという想像力も肯定できただろうに、その頃の私には、この自走する車がまるで幽霊ででもあるかのように思えて、不気味で、シュール(子供はそんな感覚は知らない!)で、理解しがたいものでしかなかった。

大人になったいまなら、「オープンカー」だろうが、「カブリオレ」だろうが、知っている。屋根がないことぐらいでは驚かない。でも、すでにそんなふうに思ってしまうことじたい、子供の頃にかけられた呪いからはまだまだ解放されていない証拠ではないか。


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