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プロローグ「自覚」に出会うまでの歩み。

 このnoteをはじめるにあたり、そこに至るまでにどうだったかを書き留めておく必要があると感じ、この文章を書いています。
どこにでもいる迷える子羊がここに至るまでの話は、読んでいただく方にも、大いに励みになるのではと考えたからです。

 悟りの話は、どうしても「特別な何か」のような気がして、自分には届かないであったり、もしくは、関係ない話だと距離を持ってしまいがちです。その要因として、この悟りや意識界隈の話を伝えている人の中には、そこに特別感を乗せて話す方も少なくありません。なぜそうなってしまうのかは、あえてここでは言及しませんが、それによって多くの人が迷いやすくなったり、多分な誤解が生まれているのも事実です。

 その辺りの誤解が「前提」となると、いつまで経っても迷い道から抜け出るのが難しくなってしまいます。いずれ詳しく言及しますが「自分自身と向き合う覚悟」があれば、誰にでも開けていきます。

自覚に出会う直前の私。

 幼少期や思春期の話は、いずれエピソードとして書いていくことになると思いますが、まずは自分自身と向き合うきっかけになったところからお伝えしていきます。2022年の9月に自覚と出会ったので、その直前のお話になります。

 私は広告代理店の営業、そして、大手ゲーム会社の人事・マーケを経て、フリーランスとして独立したのが、31歳の時。それ以降は、マーケティングのコンサルティングや、それに付随する組織開発、人材育成などを中心に様々なクライアントとお仕事をしてきました。プライベートでは、29歳くらいに結婚し、およそ9年間に渡り、壮絶な結婚生活を経て離婚という経験もしましたが、その後は仕事もプライベートも"それなりに"楽しくやっていました。

 あえて"それなりに"と書いたのは、仕事もプライベートも瞬間瞬間に充実感はありましたが、根底にはいつも、虚無感のようなものが流れていました。自覚をしている今振り返ると、当時は、どうすればお金を稼げるのか、どうすれば人間関係をうまくやれるのか、どうすれば幸せになれるのかという、ことをひとしきり攻略してみても、結局、一つ一つ、目標を立てて、それを満たしても満たしても、どこかが満たされない。だけど、不満もそれほどない。そんな感じでした。

仲間とウニしゃぶの店にて。
ビジネスパートナーのJim Bagnolaと。  

一見楽しそう、充実してそうに見えますが、その時だけ満たされていて、どこかに虚無感、虚しさなどがいつもあった。そんな当時の写真です。

40代半ばになって、感じたこの先。

 派手な学歴もなければ、特筆するような特技や才能も持ち合わせていない僕は、フリーターという言葉が生まれ、連日ニュースでは「派遣切り」なんていう言葉が飛び交う就職氷河期ど真ん中の時に社会に放り出されました。どうすれば稼げるか、どうすれば人間関係は良くなるか、どうすれば幸せになれるか等々、人生ってのははそれをひたすら攻略していくものだと思って過ごしてきました。

 問題があれば、気合いと根性で強引に突破したこともありましたし、いかに良い方法はないかと実体験から学んだり、すごいと思う人には、とことん付きまとって吸収しようとしました。その結果、何をやってもそれなりに成果を出せるようになり、ありがたいことにコンサルとして顧客からも重宝されるようになりました。

 しかし、そういう日々を過ごし、40代半ばになり、50歳以降の働き方を考えた時に、「これをずっとやってくのはなんか嫌だな」という漠然とした不満を抱くようになりました。コンサルタントとして、色々な業態の会社に携わるのも、様々な組織、人の課題に携わるのも好きでしたし、仕事自体、様々な課題を解決していくのは面白く取り組めていました。

 ただ、やはりどれだけやってもどこかが満たされない。

 僕は、攻略ゲームにすっかり飽きてたのです。
仕事だけではない、遊びも、人間関係も、あらゆることを攻略していくゲームに完全に飽きていて、その飽きたゲームを仕方なくやっている感じでした。それを繰り返すのに、嫌気がさしており、死にたいとは思わなかったが、別に明日死んでもいいかなくらいには思っていました。

 数年後に迫った、50代。50代にになってもこの飽きたゲームはやりたくない、そう強く感じている自分がいることを知って、一旦自分と向き合ってみようという気持ちが湧いてきました。

よし!一旦立ち止まって、自分と向き合ってみよう。
だが、しかし・・・

 仕事でコーチングをしていたり、マーケティングには欠かせない心理学にも多少覚えがあったので、自分と向き合う時間を作れば、解決するんじゃないかと思っていました。早速、仕事量を減らし、空いた時間で散歩をしたり、一人で飯を食べに行ったり、とにかく自分との対話する時間をできるだけ持つようにしてみました。

 そうして、向き合ってみるも、最初は自分の声など一切聞こえてきませんでした。それでも、これまでじっくりと自分と向き合う時間なんてとってこなかったから、今回はしっかり聞こえるまでやってやると腹を決めて、臨もうと腹を決めていました。

 しかし、どれだけ向き合おうとしても、一向に埒が開かない。
向き合おうとしても、向き合う相手(自分)が出てこないのだ。
コーチング仲間に頼んで、ノックしてもらうも、出てくるのは「うわべ」の自分ばかり。これには愕然としました。

 自分との向き合い方を検索したり、本屋で立ち読みしてみたり、youtubeで検索するも、どれも「手法」に過ぎず、うわべの自分が出てくるだけのものが多かったのを記憶しています。向き合うことを諦め、やはり、この問題対処ゲームを極めることこそが、人生なのか、はー、ダルいなーと、半ば諦めかけていました。

 それでもどこかに何かがあるはずだと、探しに探している中で、たまたまクリックした「ほとんど意味がわからないが、なぜか気になる」動画に出会う。サムネイルにも中身にも派手さはない、絵面も地味、言ってることもよくわからないが、なぜか気になったことを覚えています。

 ここでは「自覚」というものを伝えていました。日本語がわからないわけではない、何を言っているのか、何を指しているのかわからないが、とにかくこれなんじゃないかという直感が働いた僕は、わからないながらも、アップロードされている動画を漁りました。(以下:差取り塾youtube)

とにかく、わかってやろうと、動画にかじりつく。
師匠のような人が、話をしいて、その周りに教え子さんのような人がいる構図になっている動画が多く。その師匠的な人をみて「この人がすごいのだろう」と思いながら観ていましたが、いくつかの動画には、教え子もたくさん出てくる、彼らもまた、僕には理解できない話を当たり前のようにしている光景に、ますます興味が湧いてきました。

 しかし、どれだけ観ても、いまいちわからなかった、ただ、動画を片っ端から見ていると「自覚」のやり方を伝えているものもあり、とにかく見よう見まねでやってみました。しかし、いくらやっても、いまいちピンとこない。

 我流で自覚をしながら、動画を何度も観返しましたが、やはり何がどうなっているのかがわからない。動画の概要欄を見たら、この方は個人セッションをやっているようで、それに申し込むことにした。これが「自覚」と出会う直前のお話です。

 自分と向き合おう!というところから始まった、僕の旅は「自覚」に出会うことで大きく動き出すことになります。


自分と向き合う。
 この難しさは、本気で向き合おうとした人にしかわかりません。
私もそれなりに向き合って生きてきたとは思いますが、所詮"それなり"の向き合い方に過ぎませんでした。それは自覚をしていけば必然的にわかる話ですので、深くは言及しません。

 私のように、虚無感を感じながら日々を生きている人、こっちじゃないんじゃないかと感じながらも進んでいる人、外側の声に翻弄されて自分を見失っている人、どんなきっかけでも構いませんが、本気で自分自身と向き合おうとする方とお会いできたら嬉しいです。


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