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離れてもnoteに戻ってきてしまう理由

きょう、所属している「書く部」のラウンジを久々に覗いてみました。

ラウンジっていうのは、メンバーシップに所属するメンバーが利用できるチャットですね。雑談したり、主催者であることばと広告さんに質問できたりします。

で、久々に覗いたラウンジでどのような会話がされていたか。

「きょうモスに行ってきました~」
「いいですね!最近マックのポテトしか食べていないなぁ」
「きょうの芋(マックのポテトの写真)」
「モスにマック、食べたくなるな~」

引用すみません!

ざっくりこんな感じ。

この一連の会話を読んで、めっちゃ癒されました。ほっこりならぬホクホク(芋だけに?)。あー、いま欲しいのこれだよ~!!!って。

最近の私、常に「やるべきこと・やったほうがいいこと」で頭がいっぱいでした。でも、メンタル的によろしくないなぁと思う節があって。何でもかんでも「役に立つかどうか」で生きるの。素晴らしいことだけど、疲れちゃう。

何よりも心と体の健康が大事。こんなのどこの誰でも言っている。

分かっているはずなのに、自分のこととなると後回しにしちゃうんだよなぁ。で、知らぬ間に疲れてんの。何をやっているんでしょうか。

あ、ポテトのくだりを「役に立たない話だ」と言いたいわけではなくて。私にとってはめちゃくちゃ救いだったんです。とりとめのない会話こそ、心に栄養をくれるなぁ。そう思えたから。

家で働くようになって、人と会話をする機会がグンッと減りました。かと言って、日中家事・育児・仕事などを頑張っている友達に「雑談しよう~」と連絡するのは気が引ける。みんな忙しい。

って考えると、いまの私にとって雑談できる場所はどこか。

noteなんですよね。

ふらぁ~っと好きな時間に誰かの近況を読めて「あぁ、最近の○○さんこんな感じなんだぁ」と心の中で感じて。スキ押したりコメントしたり。自分が書いた記事にコメントいただいたり。

声に出すわけではないけど、脳内雑談してる。

noteを始めたときは、「文章うまくなりたい」「なんなら仕事につながったら最高」と思っていた。でも、今となってはどちらも1番ではないのかも。

ただただ、心の支えになっている。

書いて、読んで、反応して、癒されている。

だから離れても戻ってきてしまう。

もちろん文章うまくなりたいし、おもしろくなりたいし、読まれたいし。欲望だらけなことは否定しないけど。そこ”だけ”じゃないんだよなぁ。

最近noteに触れる機会が減ってしまっているのですが……これからも細く長く続けたいですね。

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