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傍にいること。

我が家には猫が2匹、姉あやめ(♀8才)と弟ふくすけ(♂7才)がいるのだが、年齢=一緒に過ごした年月であり、それはお腹を痛めて産んだ自分の実の子供たちよりも長い。

もともと不妊の気があり、結婚してすぐの頃から不妊治療を始めたものの一向に授からない。精神的にまいっていく。そんな中で飼い始めたのがあやめ、そしてふくすけ。結局子供を授かったのはそれからずっと後なので、私と夫にとって、この2匹はまぎれもなく、「子供」同然の存在なのだ。

生後間もない頃に引き取ったこの2匹を、気持ちとしては本当に赤ちゃんを育てるつもりで世話をし、慈しんだという自覚がある。抱っこして子守歌を歌ってみたり、背中に上りたがった生後2か月位のあやめをてぬぐいかなにかでおんぶしてみたり、本当に子育ての真似事のようなことをしていた。とはいえ、トイレは猫砂に数回誘導したらすぐにトイトレ終了となったし、ごはんは最初から上手に自分で食べるしで、今の育児状況と比べると楽すぎる、一緒にするな!とあの頃の自分に言いたくもなるけれど。

でも、当時子供は授からないかもしれないな、と暗い気持ちでいた中で、子供のように甘えてきた猫たちに、私はとても救われた。それですぐ妊娠、なんて都合の良い展開にはならなかったけれど、猫たちがいなかったら、子供は授からなかったか、もっとずっと後になっていたか、だと思う。

我が家の救世主だ、とよく夫は言う。

我が家の人間の子供は、今3歳と0歳なので、まあ0歳は泣くか飲むか寝るか遊ぶか位なのでどうにもならないとしても、3歳の娘も言葉が達者になって意思疎通がしやすくなったとはいえ、反抗期のような反応もちらほら見え、何を考えているのか分かりにくい時もある。突然かんしゃく玉のような爆発をすることもあり、パパママ歴3年の2人は当然手こずる。

そんな2人に比べると、それよりも私と長い時間を過ごしている2匹の猫たちの気持ちの方がはるかに分かりやすい。

外から帰ってくると、必ず2匹とも玄関ないし玄関に続くリビングの扉の前でスタンバイし、みゃあーお(おかえり)と出迎えすりすりし、あぁ寂しかったんだな、と分かる。

朝階下に起きていくと揃って起き、慌てて階段を駆け下り、キッチンのカウンターの上に陣取って、腹が減った、飯をくれ!と鳴きながらじいっと見つめてプレッシャーをかけてくる。

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あやめは、日がな一日お好みの定位置でずっと同じ姿勢で寝ていることが多いが、家族が寝に行くと、どこで寝ていてもぴくっと起き上がって、とたた、と付いてくる。そして、背中やお尻をすり合わせたり、毛布の中にもぐりこむ、人の体温の近くにいることが好きなツンデレ娘だ。いや、もうおばさまだ。

ふくすけは、こうして真夜中に私がパソコンに向かうと、必ずみゃう、と寄ってきて、終わるまで少し離れてごろりとして待っている。抱っこすれば服や手足をふみふみしてくれる。犬のように腹を見せ、撫でて撫でて、と音が反響して聞こえてくる勢いでゴロゴロ、ゴロゴロ。ツンなしデレデレ息子、いやおじさま猫だ。

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いつだって、傍にいてくれる。

下の2人の人間の子供は、今はまだ沢山ママー、と甘えてきて、その幸せに浸れているけれど、あと10年もしない内に親から離れていき、抱きしめることもできず、憎まれ口を叩かれるだけになるのだろう。

でもたぶん、その頃にはもう2匹ともいないかもしれない。

そして、子供の憎まれ口に辟易しながら、「こんな時あやめが、ふくすけがいたらなぁ」と懐かしみ、寂しくなるのかもしれない。

そんな気持ちを忘れないうちに、子供の世話にかまけてあまり相手をしてやれていない猫たちを、思いきりぎゅっとしてもふもふしてあげよう。

大好きなブラッシングやおもちゃで遊んで、おやつは時々あげよう。

長生きしてねって伝えよう。


傍にいてくれることの尊さを、忘れないように。



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