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神宿の哲学ソング(神宿色弱め)

„War das das Leben? Wohlan! Noch einmal!“

ニーチェが著した『ツァラトゥストラはかく語りき』の一文である。

「これが人生か、さらばもう一度」
と訳されるこの言葉が、私は大好きだ。



「神は死んだ」
ニーチェは、形而上学的な根拠を失い一切が無価値となった世界をこう表現した。

この時我々は、神を前提とした直線的な"生"を失い、同じ人生を繰り返す無意味な"生"、すなわち永劫回帰に陥るのだった。

ニーチェ曰く、
そんな無意味な人生を最大限肯定する姿勢こそ「運命愛」であり、「これが人生か、さらばもう一度」の言葉なのである。

こうして無意味な生を受け入れる人間を「超人」と呼び、彼らが新たな価値を創造するとしたのだった。


申し遅れたが、私はニーチェの思想をそこまでよく理解していない。
私にとって重要なのは、無意味かもしれない人生を肯定する姿勢に他ならない。

私がこの言葉と出会ったのは、絶望的な失恋真っ只中に受けた倫理の授業であった。
ふと自分に目を向けると、受け入れ難い辛さが待ち受けていても、彼女から享受した幸せがあるからこそ「さらばもう一度」と言えるのだった。

それから4年の月日が経つが、今でも全く変わらない。また別の人との失恋だってしたし、恋愛のみならず多くの挫折を味わってきた。それでも全ての事柄が私にかけがえのない経験を与えてくれた。
だから私はその苦味すら何度でも受け入れられるのだ。


その上で私は、「無意味と化した人生を、一体何のために生きるのか」という問題に直面した。
超人など待ってられないし、そもそもそんな訝しげなものに頼ってはいられない。

そこで思い起こすのが、「享受した幸せがあるから辛さごと肯定できる」という事実である。

うだうだ言いつつも結局、「いつか私に試練を与えうる彼らと、今ある幸せをなるべく多く勝ち取る」ことに尽きるのだろう。

言ってしまえば、

君と一緒に笑い合えるそれが全てだから
ここにいたいと思える理由


大きな尺度で見れば、「思い通りにならず迷う日もある」人生だろうと、そうして素敵な日々を送れるのならば、「素晴らしき人生」と肯定できるのだ。

そうやって、肯定するに足るまで満足度を高めていく作業が人生なのかもしれない。


ニーチェ曰く、神は死んだしこの無意味な人生は永遠に繰り返す。
だから"神々たちのいたずら"なんてものはないし、時計の針は巻き戻って同じ日が幾度となくやってくる。

けれど冒頭の言葉にもう一つ訳語を与えるとしたら、

Life is やっぱ Beautiful!

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