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いちばの本棚〜聖老人−百姓・詩人・信仰者として〜

2018年 8月掲載
文:CAFE-NeKKO柳原武蔵
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こんにちは、CAFE-NeKKOの柳原武蔵です。

私たちの家は奈良は室生の標高600mの山中にあります。
今年から念願の田んぼを始めて、今は次から次へと生えてくるコナギやカヤツリ草との格闘の日々。

格闘とはいえど、ひたすら作業しているうちに頭がからっぽになってゆき、時間などはあっというまにすぎて行きます。

アカショウビンが日暮れ時に昼時とは違った鳴き方をしておりました。
今日の夜は近くの川で家族みんなで蛍を見に行ったあとに、ひとり家の外で夜空を眺めているとトラツグミの侘しい鳴き声が聞こえてきて
そのなんともいえない悲しい口笛のような鳴き声に、心が深く落ち着いた気持ちになります。

今回、私が紹介させていただく本は、詩人の山尾三省(1938~2001)のエッセイ集「聖老人−百姓・詩人・信仰者として」です。


「聖老人」とは一本の大きな屋久杉の木、1960年代から1980年代までのお話です。

高度経済成長〜全共闘、すべてが合理主義化していった時代の対抗文化として、三省さんは大地に根ざした本質的な生き方を目指して、仲間と共にコミューン活動「部族」を結成しました。

後に「ほびっと村」という対抗文化の拠点となっていった有機野菜の八百屋を始めるエピソードや、インドへの巡礼と精神世界の旅、屋久島の廃村にたどり着いての農耕と詩作の日々。 色々な出来事や思い出の断片が、詩とともに、心に深く沁み渡るように静かに綴られていきます。

「もうひとつの生き方」
「自然の中で自然と共に暮らす」
「静かで深い心の中の平和」
「人間の根源にあるもの」

私がこの本に出会ったのは20代半ばだったのですが、都会で暮らして生きていた私には、この本に書かれた誰にも雇われない生き方や、自然の中で自然と共に暮らす喜び、有機農業、精神性、様々な生き方の断片が私の心の奥底でつながっていきました。

ことあるごとに読み返しては、「このような暮らしかたが自分に出来るのか?」と自問しつつ、私なりの自然とともにある普遍的な生き方のイメージがぼんやり見えてきて少しづつ少しづつ今の山の暮らしへと舵を切ってきたのだと思います。

この本の根底に流れているのは「心の静けさ」「魂の自由」というキーワード。現代的な生き方が普通になっていく中で、失われてゆく心の静けさ、増えゆく心と身体の病。

日々励んで暮らして行く中で、いつでも心静かで居られるわけではないのですが、なるべくならいつも心のどこかに静かな小部屋を持ち、心の奥底から湧き出ることをしていたいものです。

そして、本来の普遍性への回帰を探るようなエピソードがいくつも出てくるのですが、日本人の価値観の西欧合理主義化というくだりでは、その当時の80代以上の農家さんは、田んぼから米を1石いただいたと言い、60代以下の農家さんは田んぼから米が1石とれたと言う。自然とともに居るという感覚が先に失われて、伝統的な暮らしが消えてきたのではと思います。

山の木が植林で変わり、地中深く沁みることなく流れ出して行き、
それにより水の量や栄養やミネラルが変わり、
田んぼや川、海までが、かつてあった自然の水の恵みの不足を起こしている。人が自然の循環の一つを担っていたものが、人は奪ってゆくだけになってゆく。

山から海までの循環が、近代、現代であっという間に失われ、
私にこれから何ができるのだろうかと思うのですが、
今にも忘れ去られてしまいそうな古来からの普遍的な感覚や暮らし、環境を少しでも掘り起こして学び、未来へとつないでいこうと思います。


三省さんにはもうお会いすることが出来ないのですが、今の私には自然とともに暮らし、創作、ものづくりや農業に励んでいる方々にお会いする機会が沢山あり、やはり、自然への観察眼が素晴らしく、自然の中の暮らしを楽しみ、みなさんどこかに心の静けさを感じられます。

自然の動植物への造詣が深い方ばかりで、なにかとても嬉しい気持ちになります。私も、自然に寄り添った暮らしを楽しんで行きたいと思います。
最後に、三省さんの生前の三つの遺言で締めくくらせていただきます、
ありがとうございました。

「全世界の河川が飲めるようになりますように」

「原子力エネルギー、経済に依存しない社会が実現されますように」

「憲法九条が世界の平和憲法となりますように」


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