寂しいから新しい人に出会える 退屈だから楽しいことを見つける なにかが終わるからなにかが始まる 何かを手放すから何かを得られる 世の中の全ては裏と表 つらいときは逆から見てみる 悪いと思うことは案外悪いというだけではない いいこともちゃんと持ち合わせているから この世に存在している それこそが完璧 完璧じゃないのも含めないと完璧にはならない 矛盾しかない世の中を それが美しい世の中を 愛して憎んで
責めている みんな自分を責めている なんでこんなにも無価値なのか すべてに価値がないように感じてくる 大切な人に冷たくしてしまう自分に嫌気がさす 人と関わるのはうっとおしい なのに寂しい めんどくさいやつだ 日々がとてつもなく虚しい 何もしたくないような何かしなければならないような そんな焦りがあるのになにもできない また自分を責める 言いたいことが言えない やりたいことができない 美味しいものを食べる、本を読むといったほんの小さなやりたいことでさえできない そしてスマホに手
今日は土砂降りの中出かけてiPadを買った 念願の衝動買い 決済の際、カードが使えなかった 店員さんに 「真ん中の理由で使えないみたいですね!」と言われた え?真ん中の理由? もしかして、私が知らないだけで、 カード決済できない時の理由って上中下があって、みんな共通認識として知っていて それが常識だったりするのだろうか… と恥ずかしくなった やっぱり世の中は未知の世界だなと思った 私はとまどいつつ 「真ん中の理由で?」と聞き返した すると店員さんは迷わず 「はい!真ん中の理由
ちょっと適当でちょっと幸せ ちょっとさみしくてちょっと笑える そんな毎日がちょうど良くて心地いいの。 満たされるってそういうことで、 受け取りきれないありあまる豊かさは案外不幸せなのかもな。 拾いきれるだけ感じきれるだけ。 それでいいのではなくそれがいいのだ。
シンガポールの半年間での日記がなんか深いような浅いような、いい感じな感じなので載せてこうと思う💡( ᐛ )
めーーーーっちゃ、お久しぶりです。 なかなか落ち着いて文章を書く時間がなく、 気づいたらなぜか今シンガポールに住んでいます。 そして1か月がたっていました。 こうして久しぶりにnoteを開いて、 ちゃんと心に目を向けること、 言葉に落とし込むことは大切だなとしみじみ感じております。。 ということで、 少し前に人生で初めてカンボジアに行って、 人が変わったように生き生きと毎日を過ごす自分にビックリしていたのですが、 シンガポールでもやっぱ結局のところ、 今
苦しむくらいなら自分らしさとかどうでもよくない? あなたの本当の魅力は、なにもかも忘れて無我夢中で生きてる時、自然とこぼれてるものであって。 むしろ意識するから個性が消えるんだよなと思う。 というかそもそも絶対的な自分なんていないし、 色んな仮面があっていいし、変わり続けていくほうが健全なわけで。 多様性の時代とか言っときながら、 自分の多様性を認めていない矛盾現象どうにかしたいね。 最近よく聞く「そのまんまでいいよ」系のフレーズ。 今の状態を受け入れてあげるのも
はじめまして、さとねといいます! 最初のノート!! とかって、自己紹介をするべきなんやろうけれども あえてしないというのもいいかなとか 思ったりなんかして 人間性だったり、思考や価値観に 共感してもらえる人だけに読んでもらえればよくって、 過去の出来事や肩書に左右されることなく 一緒に未来が描けるような人と関わっていきたいから そんなスタンスでこれからも書いていきます✍️ みなさん、 好きに生きてますか? 私がこれから人生を通して、