失敗上手
明日の言葉(その33)
いままで生きてきて、自分の刺激としたり糧としたりしてきた言葉があります。それを少しずつ紹介していきます。
「さとうさん・・・動物とより親しくなるために、一番有効な方法はなんだと思いますか?」
ムツゴロウさん(畑正憲さん)に長時間インタビューをしたことがある。
ある企業のサイトのための仕事であった。
月に2~4回。ムツさんを、長ければ10時間ぶっつづけでインタビューした。
当時ボクはそれなりにムツさんと親しかった。
「ムツゴロウ動物王国」でCMロケを数年続けてやってこともあり、「もうこのままここに住んじゃおうか」と思うくらいは動物王国スタッフとも仲が良く、光栄なことにムツさんとも親しくさせてもらっていた。
光栄なことに、と書いたが、いや、ほんと、光栄なことなのだった。
ボクは中学時代、ムツゴロウさんの著作(特に「ムツゴロウの青春期」)に嵌まり、人生の書くらいに思っていた。買いかぶりでもなんでもなく、この世の数少ない天才だと彼のことを思っていたし、知れば知るほどその思いを深くしていった。
だから、「こんなこと、人生でもめったにない奇跡的なことだ」と自分で何度も反芻しながら、その光栄を味わっていた。
そのインタビューの内容は多岐に渡った。
どうしても動物関係が主になるが、「地球は軽く200周はしましたねー」という旅行の話や、各地での珍しい体験の数々。
性の話や人生の話。
生きている驚きについて。
青年時代のこと。
インターネットをどう思うか。などなどなど・・・。
今思い返してもいいインタビューだったな、と思う。
ネット上のコンテンツだったのでもう読めないんだけど、ちゃんと本とかにまとめるレベルのものだったなぁ・・・。
そんな話の最中、ゆっくりタバコを吸い終わった彼がおもむろに冒頭の質問をしてきたのだった。
「動物とより親しくなるために、ですか・・・うーん、そうですねぇ」
いままで動物とのつき合い方の話を長々インタビューしてきただけにあまり見当はずれな答えは返せない。
かといって、こと動物に関して、知ったかぶりしてもすぐ見抜かれるだろう。
仕方ないから、逆に質問した。
「ムツさんがいままでおっしゃっていたような、例えば胸をさするとか、特別なニラ(ポイント)を押してみるとか、そういうことの複合技みたいのがあるんですか?」
「あ、もちろんそういうテクニックもあるんですけどね。そうじゃなくて、もっと根本的なもの・・・」
「・・・目線を同じ高さにする、とか」
「いや、違います。動物と今までよりもずっと親しくなるにはね・・・」
彼にしてはわりと引っ張る。
むぅ・・・なんだろう?
「動物ともっと親しくなるにはね・・・失敗してみせることなんですね」
「失敗してみせる?」
「そう。失敗してみせる」
失敗・・・。
なんで失敗したらより親しくなれるのだろう?
そしていったい何に失敗すればいいのだろう?
「例えばね」
ムツさんは、眠そうな目を一転して輝かせて(こういう表情急転換を彼はよくやる)、一気にしゃべり出す。
例えばね、さとうさん。
人間と親しくしている動物がわかりやすいんですけどね。
例えば犬と一緒に散歩しているとしますでしょ?
散歩コースに窪みがあって、いつもそこには雨水がたまってるんです。
そう、水たまりですね。
もちろんその水たまりをこう迂回して歩くわけです。ぐるりとね。
犬も一緒に迂回します。
活発な犬なら最初は水たまりに入ったりもするんですが、人間が避けて通ると「水たまりは通らないものなんだ」と学びますね。
人間と同じことをしようとする。
で、避けて通ります。
犬は人間を上に見ていますからね。
人間がやることに失敗はないと思ってますからね。
でね、ボクはね、それを裏切ってやるんですよ。
ええ。裏切る。
つまりね、さとうさん、一緒に散歩行って、その水たまりにさしかかるでしょ。犬はいつものようにその水たまりを避けて通ろうとするでしょ。
そこでですね、ボクはね、水たまりにわざとバシャバシャ入っていくんですよ。
バシャバシャバシャ、とね。
そしたら犬がビックリしてボクを見るんですよ。
ボクもね「あ、入っちゃいけない水たまりに入っちゃった、しまった~」って顔して犬を見るんです。
もうね、見事に犬は笑いますね。
そらもう口をゆがめて大笑いの顔をします。
でね、ボクはね、ダメ押しにね、その場ですべったふりして水たまりでスッテンコロリンするんです。
もうね、そしたらね、大変です。
犬は歓喜してね、一緒にバシャバシャ入ってきて、肩とか顔とか甘噛みするわ舐めるわ抱きつくわ、もう大喜びするんです。
この人間、なにやってんだ?
でもおもしろいじゃないか、ってもう身体全体で歓喜しますね。
失敗しないはずの人間が失敗する姿を見て、なんか心の壁が一枚剥がれるんですね。
そうしたらもう特別な関係です。
一気に親しくなります。
犬と心が見事に通い合いはじめるんです。
「なるほど~。急に相手が身近に感じられるんですかね~?」
「そうですね。それまでと視点が変わるというか・・・」
ムツさんはいきいきと続ける。
人間でも同じですよ、さとうさん。
ボクはね、海外でね、この手をよく使うんですね。
アジアとかの知らない街行くでしょ、市場とか人が集まっているところで、例えばなにか重い荷物とか持ち上げようとしている人がいたりするでしょ。
そこにノコノコ近づいていって「おう、オレが持ってやるよ」って話しかけるんです。
「オマエには無理だ」「いや、持てる」「すごく重いぞ、無理だ」「いや、持てる。持たせろ」とかやるんですよ。
そしたら「何事だ?」と人が集まってきますね。
で、無理矢理持ち上げさせてもらうんです。
力には自信がありますから、まぁ持てます。担ぎ上げます。
まわりはみな「ほ~」とかいう目で見ますね。この日本人なかなかやるな、と。
でもね、これだけじゃ親しくはなれないんです。
ボクはね、ここでね、よろけるんです。
おっとっとっと。
腰砕けっぽく「ひゃ~やっぱり重い~」ってね。
そしたらね、称賛の目がね、急にね親しみの目に変わるんですね。
「ほらみろ、重いだろ。だからオレはずっと苦労してるんだ。ははは」って笑ってくる。
「いや~重い! これをずっとやってるオマエは偉い」って、ボクは彼の胸を叩く。
周りに集まった人もみんな笑う。
なんだこの日本人ダメじゃないか、でも重いだろ、そうだよ重いに決まっている。オレ達は毎日苦労してるんだ、わはははは。ってね。みんな笑いかけてくる。話しかけてくる。
こうなりゃ、もう大丈夫です。
珍しい動物の情報だっておいしい店の情報だってなんだって、聞きたいことは周りの人が寄ってたかって教えてくれる。隣町に行くなら人を紹介してくれる。誰かの家にだって泊めてもらえます。
ま、その街に入って10分ですね、親しい友達を作るのに。
・・・なるほど。
なるほどな。
そういえば娘の響子も子どものころそうだった。
普段、ボクは怖いらしい。物静かにしていて要所要所でかなり厳しく怒ったりもする。
そんなボクがなにか素で失敗したりすると、彼女は異様にうれしがるのだ。
普段食べる態度に厳しいボクがなにかの拍子にお箸を落としたりして「ありゃ~」って哀しい顔で響子の顔を見たりすると、もう歓喜してた。
背筋伸ばしてズンズン歩いているボクがガクッと躓いたりすると、もう腹抱えて笑って抱きついてきてた。
ボクが失敗するのが嬉しいのだ。
彼女から見たら絶対の存在である父親がしょーもないミスをして、彼女に対して申し訳なさそうにするのが、どうしようもなく嬉しいのだ。
「なるほど~。絶対優位に立たない、みたいなことですかねぇ」
「そうなんです。絶対優位に立ってしまうと、人も動物も心を開かないんですね」
「・・・もしかしたら、関西の『ボケ』もそういう意識の働きかもしれませんね」
「・・・あぁ、そうかもしれませんねぇ」
ボクはどちらかというと「失敗ベタ」であった。
ひとりっこで、親の過度な期待を受けて育ったせいか、「失敗=恥ずかしいこと」という意識が爪の先まで詰まっていた。
だから笑えるような失敗をしたときでもそれを上手に受け流せず、マジで「恥ずかしいことをした」という顔になってしまうことが多かった。
これじゃー相手も対応に困るだろう。笑えないし慰めるのも変だし。
ま、東京育ち、ということも関係するとは思う。
一般的に言って、東京育ちのひとは「失敗=恥ずかしいこと」という意識が強い気がする。
こういうボクが変わったのは「関西」に行ってからだ。
関西には独特の文化がある。
「まず自分を貶める」「人を笑う前に自分を笑う」という文化。
まず失敗して見せる。つまり「ボケ」。
で、あ、その失敗、ちゃんと理解してますよ、と、「ツッコミ」。
こういう高度な文化の地に23歳でいきなり降り立った東京人のボクは、まわりにおちょくられる存在だった。
つうか、関西人からみたら、東京人のボクってまるで「コドモ」だったのだと思う。
だって上手に失敗できないんだもん。
失敗した自分を笑えないんだもん。
自分に余裕がなくて、「イイトコ見せよう=成功した自分を見せよう」と必死にもがく。
ええかっこしい、の典型だったわけだ。
「あ、そういえばね、トルコに行ったとき、現地人がドブ川を眺めていたから『オマエなに見てるんだ?』『川だ』っていうから『いい川だな』って言ったら『なに言ってるドブ川だ』って言うから、よし来た!と思って『きれいじゃないか!オレはこの川の水、飲めるぞ』って言ったんですよ。うひひひ。そしたら『こんな汚い川の水、飲めるわけない!』って騒いで、人が集まってきて、シメタって思って『オレは飲める!』って叫んで川面におりてね、飲んだんですよ、ドブ川の水。もうね、本当に汚い水なんですよ。ちょっとね、下痢の心配もしましたけどね、もうその時はそんなこと関係ないんですね。ゴクゴクゴクっと飲みました。そしたらマズくてねぇ。飲んでから「マズイー!」って騒いだらこれがまたウケて、みんな大笑いしてくれて、もうそれからは親しくなっちゃって・・・・・・」
ムツさんの話はえんえんと続く。
この人、言葉少なく話を止めておけば「さすがムツさん!」って尊敬されるのに、どんどん話を続けるに従って「じ、じつは単なる変人?」と思われてしまうところがある。
損なのだ。誤解されやすくもあるのだ。
でも、これもムツさんの「技」のうちなのであろう。
なぜなら、ホラ。
さっきまで「偉い人」だと思って緊張していた女性インタビュアーが、もうムツさんの胸を「やだー」ってぶたんがばかりに親しげになっている。
人の心を開かせる名人がココにいるのである。
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