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聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(新約聖書篇14) 〜イエスの洗礼

1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
旧約聖書篇は全65回で完結しました。こちらをどうぞ。

いまは新約聖書をやってます。ログはこちらにまとめていきます。
このあと、ギリシャ神話。もしかしたらダンテ『神曲』も。


前回、洗礼者ヨハネの誕生から青年期まで追ってみた。

聖母マリアと、洗礼者ヨハネの母エリサベトがいとこ同士だから、イエスと洗礼者ヨハネは「従甥(いとこおい)」になるのかな。

※(追記)「母親同士がいとこならば「又従兄弟(またいとこ)」ではないでしょうか?」というご指摘あり。そうかもw

とにかくわりと近い親戚で同い年
しかもイエスも洗礼者ヨハネも共に受胎告知によって生まれている

ま、なんというか、兄弟みたいなものだよね。

なんだけど、幼少期のイエスと洗礼者ヨハネがお互いに会っていたかはわからない。今日のエピソードを考えると、たぶん会ってなかったんじゃないかな。

そして、洗礼者ヨハネは、少年期以降、荒野に修行に出る

彼の父母はかなりの老人だったので(だから受胎したのは奇跡だった)、たぶん先に亡くなったのだろう、天涯孤独の修行に出る。

前回は、その、荒野に出たころの「まだわりと若々しい洗礼者ヨハネ」までの絵を紹介した。

ちなみに、イエスはこのころ(12歳から30歳まで)、なにをやっていたか全然わからない。聖書に書いていないのだ。


で、その後の洗礼者ヨハネなんだけど。

仙人みたいになっていくんだな。

まだ20代なんだけど、妙に老けている。

まぁ、イナゴと蜂蜜しか食べず、ラクダの皮を着て、荒野で寝ていたんだから、そりゃ仙人風になっていくわな。

まずはそんな絵をいくつか。


ボッティチェリ
おい! ほんまに20代かい!
と、思うけど、なかなか味があるいい絵だなぁ。超ストイックかつエキセントリックな彼の感じがよくわかる。

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エルコレ・ロベルティ
かなり極限状態になっている洗礼者ヨハネ。いや、もう少し食べようよ。これじゃ病み上がりだよ。

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エル・グレコ
痩せさらばえているけれど、足とかは筋肉隆々だ。歩き回った感じがよく出ている。
前回も書いたけど、ラクダの皮を着て、葦で作った十字架を杖にしているのが絵画における「洗礼者ヨハネの記号」だ。
絵によっては仔羊もいる。羊はイエスの記号でもあるので、意味的にあえて仔羊にしているのだろう。

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Juan de Juanes
この絵は不思議。羊にまで光輪がある。
これは「羊=イエス」の寓意をかなり直接的に表してるんだろうな。そして洗礼者ヨハネはそれを指さしている。

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ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス
これは思索者としての洗礼者ヨハネを描いているのだろう。裸の荒行者とはまた違う趣き。
そして全然「荒野」ではなく、豊かな丘だ。この画家、初期フランドル派なので、オランダの風景を当てはめたのかも。

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ヒエロニムス・ボス
さすがボスで、ちょいわけわからない絵になっている。蜜が出る植物の横で眠っている洗礼者ヨハネ。髪も髭ももしゃもしゃだけど、でも10年近く荒野を放浪したんだから、このくらいもしゃもしゃになるほうが逆にリアル。

奥の方とかに熊が蜜を探している姿も描いてあるので、これもなかなか豊かな森なんだな。まぁ彼もフランドル地方に置き換えているねきっと。

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・・・このように彼は仙人のような姿で荒野を放浪しつつ、会った人々にエキセントリックに説教をするんだけど、それがだんだん人気になっていく。

なんで人気になるかというと、彼の言葉は厳しいけど、教えはシンプルなのだ。

「悔い改めよー!」と怒るんだけど、罪の告解をしたあとヨルダン川に身を浸し、洗礼者ヨハネが掬う水を頭からかけてもらうと、罪が赦され、新たに生まれ変わる、っていうんだからわかりやすい。

「荒野にいるヨハネという男に水をかけてもらえさえすれば、いろいろ赦されるらしいよ!」


人々は次々と彼のもとに押し寄せる。

なんだろう、「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで救われるという「法華経」に近い手軽さなんだな。だから人気が出る。


ピーテル・ブリューゲル
いや、ものすごい人気だ。すげーなヨハネ。こんなに人気か!

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レンブラント
人々が集まり、耳を傾ける。
味があるいい絵だなぁ。なんか光の使い方が劇的だよね。

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ミケランジェロ・チェルクウォッツィ
「悔い改めよ!」と叫んでいる洗礼者ヨハネ。

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ジオゴ・デ・コントレイラス
洗礼者ヨハネの腕に抱えられている仔羊が小っさw
奥の方にヨルダン川に身を浸そうと並んでいる人々がいる。

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ドミンゴス・セルグエイラ
右手前の女性たちは感涙している。よっぽどいい説教だったのだろう。

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ギュスターヴ・ドレさん。
相変わらず情景がよくわかるいい絵を描くなぁドレさん。

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マッティア・プレティ
歌舞伎で言ったら「見得を切る」ヨハネ。ちょっとドヤ顔。
いるよね、こういう人。
大声で何かを語ったあと、急に小声になって「それでな」とか身を乗り出して語るみたいな。

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そして、人々は思うわけ。

「洗礼での赦しを与える洗礼者ヨハネこそが救世主さまなのではなかろうか」と。

そりゃそうだ。
だって、神の代わりに洗礼するんだから、相当ありがたい人のはずだ。

でも、彼はきっぱり否定してこう言う。

「わたしは洗礼を授けはするが、わたしよりも力のある方が、私のあとからおいでになる。わたしはその方の履き物の紐をとく値打ちすらない。その方は聖霊と火とによっておまえたちに洗礼をお授けになるだろう」


そうして、ただ、洗礼を続けるわけだ。


こんな感じで人気を呼んでいた洗礼者ヨハネのもとに、ある日、イエスが現れる

イエスはそのとき30歳(31歳説、32歳説もある)。

幼年期から30歳までのイエスについては聖書には描かれていない。急に30歳のイエスが現れる。

イエスはナザレの家を出て、ヨルダン川に向かい、洗礼者ヨハネから洗礼を受けて、そのまま二度とナザレには戻らなかった。

この洗礼の時がイエスの「宗教生活(それを「公生涯」と呼ぶらしい)」の始まりだ。


多くの人に順番に洗礼を授けていたヨハネが、ふとイエスに気づく

つまり、救世主が来た、と気づく。

従甥(いとこおい)とは気づいてないかもしれないが、彼が救世主だということにはすぐ気づいたわけだ。

で、言う。

「わたしこそが、あなたから洗礼を受けるべきなのに、なぜ、あなたはわたしの洗礼を受けようとするのですか?」

イエスは応える。

「いや、ぜひ洗礼をしてほしいのです。いまはこのことが必要なのです」


イエスは、罪の赦しを受ける必要がない神の子だ。
つまり洗礼の必要がない。

でも、イエスがそれを望んだのは、「自分が罪のある人間と同じ立場に立っていることを表すため」だったと言われている。

ま、この辺の解釈はいろいろ難しい。
アートを知るためのの連載なのでこの辺についてはさらりと通り過ぎたい。

逆にこの辺のことでアート的に知っておかないといけないのは、「三位一体」という考え方だろう。

これは、新約聖書の第一回目でも軽く触れているのだけど、もう一度説明すると、

「三位一体」(trinity)とは、父(=父なる神・主権)、子(=神の子・子なるキリスト)、霊(=聖霊・聖神)の3つが「一体」であるとする教えのこと。

たとえばこの絵を見て欲しい。

ジャン・コロンブ
神と、白鳩(=聖霊)と、イエス。これが直線で並んでおり、そのイエスに洗礼者ヨハネが水をかけている。

これが三位一体のわかりやすい記号だ。

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場面を説明すると、こんな感じ。

イエスが洗礼を受けた瞬間、天が裂け、光が満ち、聖霊が白鳩となって天から急降下してくる。

そして、神の声が響き渡る。

「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」


まぁたぶんヨハネにしか聞こえておらず、周りの普通のヒトには響いてない言葉だとは思うけど。


でも、とにかくキリスト教的にはきわめて重要かつ劇的な場面なわけですね。

さて、この場面を画家たちがどう描くか・・・。

わりと期待したんだけど、思ったより飛び抜けた絵がないなぁという印象。

キリスト教の「はじめの一歩」としてとても重要な場面なんだけど、逆に自由度がないせいかな、記号的な絵が多かった印象だ。


まずは、大勢の洗礼を受ける人々の中に交じってイエスが現れ、洗礼者ヨハネの洗礼を受ける、というシチュエーションを描いた絵から見ていこう。


ピエロ・デラ・フランチェスカ
有名な絵。シンプルでわかりやすい。
この絵に神はいないが、雲のカタチに混じるように白鳩(=聖霊)が現れている。
洗礼者ヨハネのうしろには順番待ちの人が「お、次はおれが洗礼だ」って服を脱いでいる。左には天使。

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ドメニコ・ギルランダイオ

この絵は「三位一体」がわかりやすい。
神、白鳩(=聖霊)、イエスが一直線に並んでいる。
鳩は神の胸元にいてほとんど同化し、鳩ビームを出している。

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ペルジーノ

これも神→白鳩→イエスがわかりやすい。
洗礼者ヨハネの後ろには次の番の人が並んでいる。
右奥・左奥はなんだろう。左奥は洗礼者ヨハネっぽいけど、右奥はイエスの未来だろうか。。。
ちなみに、左右のやけに具体的な群衆は、たぶん当時の雇い主一家や有力者の肖像だろうと思われる。丁寧に描き込んだいい絵。

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ランベルト・スストリス
神が乗り出して、神→白鳩→イエス、と直線になっている。広々として気持ちいい絵。ピクニックのようだ。

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つか、イエスに向かって右側で半裸になって「あはーん」ってなってる女性はなんなんだ?w 洗礼終わったんだろうけどさw

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ヨアヒム・ウテワール
イエスと洗礼者ヨハネがどこにいるか、一瞬わからないね。そういう意味で凝った構図。赤が多用されているけど、これはのちにキリストから流される血を表しているのかもしれない。
というか右手前のなよっとした男はなんだw 人々は「悔い改めよ!」とヨハネが声を枯らして叫ぶくらいは堕落した享楽的生活を送っていた、という意味を込めているのかもしれない。

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フランス・プルビュス・ザ・エルダー
手前のオッサンが目立ってるなぁ。
次に洗礼を受ける人なのだろうけど、履き物を脱ぐ、という意味で、「モーセの召命(燃える柴)」へのオマージュが感じられる(←と、旧約聖書で得た知識をひけらかし始めるw)。
まだ神も鳩も出現していない。いままさに水をかける瞬間なのだろう。遠くで誰かが雲間の変化に気づいて驚いている。
いや、遠くで膝をついて祈っているのは、孤独に修行していた洗礼者ヨハネの姿を描いているのかな・・・。
ちなみに左側でイエスが脱いだ服を持っているのは天使。

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フランチェスコ・アルバーニ
神と白鳩と洗礼の器と「器から落ちる水」とイエスの頭が一直線。わかりやすい。でもなんか神との距離がちょっと近すぎてごちゃついた印象。

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アールト・デ・ヘルデル

これは逆に白鳩からの距離がすごくあるw
謎の円盤から怪光線w 完全に「未知との遭遇」的。
でも、このくらい神秘的になるのもまたよいよね。

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カラッチ
川というか、水たまりみたいなところで汲んだ水をかける洗礼者ヨハネ。
左の男たちが噂話してる。
「おい、こいつ、なんかヨハネさまに妙に敬われているぞ」
「なんだこいつ、ちょっと厚かましいよなぁ」

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ファン・ヘームスケルク

奥に浸礼(身をどっぷり川に浸ける)をしている人たちがいる。
それにしても鳩が意味を持たないくらい遠くにいるなぁ。これでは天から急降下じゃなくて、普通にその辺を飛んでる鳩だ。
しかも洗礼者ヨハネの髪型がこざっぱりして散髪仕立てだ。10年くらい荒野を彷徨っててこんなにさっぱりしてないだろう。

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ヤン・ファン・エイク

なんかヨーロッパ風の城があるので、場所をフランドルに置き換えているのだろうね(ヤン・ファン・エイクはオランダはフランドル派)

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ティントレット
から2枚。
何度か書いているけど「顔なし天使は偉い」ので、上にいるのは上級天使(「天使ってなに? 悪魔ってなに?」の回、参照)。
お酒に酔って気持ち悪くなっているようなイエスだけどw、2枚目の絵もそうだから、わりとこういうポーズをティントレットは気に入っていたのかもしれない。画像36

2枚目はかなり複雑で面白い構図だけど、少し印象が散漫になっている気がする。
これもなんか「げー」ってなってるよね、イエスさんw(単に身をかがめて水を受けているだけなんだけどw)

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ヤン・ファン・スコーレル
白鳩がわかりにくいけど、群衆(3人)が見上げる目線の先にいる。
この絵、鳩はわかりにくいし、十字架の杖とかもないので、一見「イエスの洗礼」の絵に見えない。たぶん見る人の教養をためすような、そんなクイズ的な絵だったんじゃないだろうか。
関係ないけど、左の女性のシースルーの服がセクシーw

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ヤン・ブリューゲル(父)& ハンス・ロッテンハンマー
プット(赤ちゃん天使)たちで賑やかな天空、そして群衆が細かく描き込まれた地上。でもなんとなくバランスがわるい画面だなぁと思った。

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レンブラント
下絵かな。いい構成。ちゃんと仕上げて欲しかった。

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ジェームズ・ティソさん。
なんか白い布でイエスを隠そうとしている取り巻きがいる。なんだろう。
そして、白鳩はイエスの左肩に乗っている。そして他の人たちは「なんだなんだ」と覗き見w
やっぱティソさんの解釈は面白いなぁ・・・。

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ギュスターヴ・ドレさん。
いい絵。イエスがちょっと鳩胸w 洗礼者ヨハネには光輪があるけど、イエスにはまだない。というか、まさにいま、光輪がつくところなのかも。

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ウィリアム・ブレイクさん。
まわりが洗礼している感じが妙にリアルだ。
そして天使たちの列をなしている感じもとてもいい。いいなぁブレイクさん。

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マソリーノ
これもわかりやすい。もうこのくらいシンプルなほうが、絵の目的(信者にこの場面をわかりやすく伝える)としてはいいのかも。

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ということで、ここからはもっとシンプルな絵。

群衆が描かれていない。

福音書にも、群衆がいるところに現れたイエス、という記述と、単に洗礼者ヨハネを訪ねてきた、という記述と、福音書ごとに分かれているようだ。

後者の絵、ということですね。

では、見て行ってみよう。

わりと似たような絵が続くので、さらっと軽く見ていくよ。


ヴェロッキオレオナルド・ダ・ヴィンチ。
ダ・ヴィンチは左側の天使2人を描いた、と言われているらしい。とてもわかりやすいいい絵。
神が手だけなのと、イエスの腰巻きの柄が他の絵に比べて超ユニークだ。

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ペルジーノ
顔だけ天使がちょいキモイw 6つの翼を持つので、完全に上級天使だ。そして鳩(=聖霊)は神の位置にいる。
洗礼者ヨハネの目線が変なのと、イエスのふんどしがユニーク。

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マールテン・ド・フォス
と思ったらこちらもふんどしだった。

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フランチェスコ・トレヴィザーニ
鳩が口から鳩ビームを出しているのが印象的w

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チーマ・ダ・コネリアーノ
なんといっても色とりどりの顔だけ上級天使たちがすごいなぁ。
全体に幾何学的配置でわりと好き。洗礼者ヨセフの痩せ細った姿もわりと好き。イエスがカメラ目線ですっとぼけた表情しているのもわりと好き。いい絵。

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ジョヴァンニ・ディ・パオロ
いや、ちょっとイエスがしょぼすぎないか?w

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クラナッハ
ぽっちゃりしたイエス(右)がむっちゃ違和感あるw

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ファン・デル・ウェイデン
左の絵は「洗礼者ヨハネ」の回で取り上げた。真ん中が「イエスの洗礼」。

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バッキアッカ
超シンプルに4者を描いたわかりやすい絵。

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グイド・レーニ
この絵のイエスと洗礼者ヨハネの表情、とてもいいな。好き。
イエスはこのあと、たった3年で磔刑されてしまう。その受難をヨハネは感づいている。イエスももちろん知っている。

まぁヨハネはもうちょっと痩せててもいいかなと思うんだけど、なんか万感の思いがよく出ている表情だと思うし、イエスもちょっと頬を染め、謙虚に洗礼を受けていてよい。天使たちの表情もなかなかいいしね。

この一連の絵の中で、イエスとヨハネの表情は圧倒的に好きなので、これを「今日の1枚」にしようかなと思う。上のコネリアーノのと迷ったんだけど、この絵の方がずっと長く見ていられる。

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カール・ハインリッヒ・ブロッホ
洗礼した瞬間に天から光が差す。それを描いている。よく見ると光の中心に白鳩。

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マイケル・アンジェロ・イメンラート
ムキムキマン・イエスのポーズがわりと可愛い。そして腰巻きが貧弱。

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エル・グレコ
グレコはいくつか描いている。とても賑やかな絵。
ありがたいテーマなのに、なんか悪い夢に出てきそうだw なんでだろう、顔だけ天使たちがイボイボに見えるからだなw

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カミーユ・コロー
白鳩が出てこないのは珍しいパターン。その代わり天使が飛んでいる。
洗礼者ヨハネとイエスの感じはとても好きな絵。

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さて、今日のラストはルーベンス

このルーベンスは、この一連の絵の中では一番遊んでいる。
どこがって、右側の覗きの男w
左側でありがたい儀式が行われている一方で、右側では男たちが洗礼の準備をしているだけでなく、あるひとりは女性が脱ごうとしているのを覗き見ようとしているように見える。ちょっとスザンナの水浴っぽい。

まぁヨハネが「悔い改めよ!」と叫ぶくらいは世は乱れているわけで、右側はそういうことも描いているんだろう。

とはいえみーんなが超マジメに描いている中、こんなの描いて大丈夫かな、ってちょっと心配になったよルーベンスさんw

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ね、覗き見してるよね?w

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・・・ということで、今回はオシマイ。

真面目で自由度が少ない絵が多かったなぁ、という印象。

こういうところ、圧倒的に旧約聖書のほうが面白いよね。画家の想像力が自由奔放に解放されている。


ええと、次回は、洗礼を受けたあとイエスが40日間の断食修行に出て、悪魔の誘惑を退ける場面を取り上げよう。

題して悪魔の誘惑


ではまた。



この新約聖書のシリーズのログはこちらにまとめて行きます。
ちなみに旧約聖書篇は完結していて、こちら

※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。

※※※
この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『天使と悪魔の絵画史』『天使のひきだし』『悪魔のダンス』『マリアのウィンク』『図解聖書』『鑑賞のためのキリスト教事典』『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。

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