聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇45) 〜「ルツの落穂拾い」
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。
はじめに、ジャン=フランソワ・ミレーの有名な絵画『落穂拾い』を見てもらおう。
これ、今回の「ルツ」の話を念頭に描かれたと言われている。
この絵が、単に農村の貧しい暮らしを描いたのではなくて、宗教画と言われる由縁はそこだ。
というか、西洋人にはこのルツ記は常識なので、落穂拾いの絵はもちろん、農村の収穫テーマの絵の多くも「ルツをみんなが知っていること」を前提に描かれていると思う。
そういう文脈を知らずに「へー、これが名画として有名なミレーの落穂拾いかー」とか浅く見ていた自分を恥じるわ。
「落穂(おちぼ)拾い」とは、刈り取りの終わった畑に落ちている穂をひとつひとつ拾っていく作業のこと。
ボクも自分のコミュニティで田んぼを借りていて、ここ数年は毎年仲間たちと秋に稲刈りをするのだけど、最後に落穂拾いをする。
写真は去年の稲刈りの模様。
稲を刈り、ある程度の量を束ねてヒモで縛り、写真の右にあるような稲木にかけて天日干しする。
このとき、束からはずれた稲穂がぽつりぽつりと田んぼに残るのだ。
それが落穂。
もったいないからそれを最後に拾って歩くわけですね。
古代イスラエルにおいて、貧しい人が刈り入れ時の落穂を拾うことは、一種の権利として認められていたという。
つまり、今回の主人公であるルツが落穂拾いするということは、落穂を拾って生計を立てていた貧しい人、というわけだ。
そういう文脈で冒頭のミレーの絵を見ると、この農婦たちは相当貧しいということを象徴的に描いている、ということになる。
なるほどね。
さて、まずは今日の1枚。
美しく、親思いで、意志の強いルツが落穂を拾う様子を、フランチェスコ・アイエツが描いている。
右手は本来もっているべき落穂を持っていない。
これは「落穂を拾わなくてよくなる未来」を暗示しているのかもしれない。
胸をはだけているのは、母性と子孫を残す強い意志を表しているように思える。
なぜなら、キリスト教においてルツの子孫はとても大切だから。
彼女の曾孫がダビデ王であり、その息子がソロモン王。そしてずぅっと後にイエス・キリストがくる(イエスは処女懐胎で生まれてくるけど一応)。
そう、ルツ、もろイエスの系譜。
というか、ルツの今回のお話がなければ、イエスもダビデもソロモンも生まれない。
ついでに言うと、前々回の「エリコの戦い」で、ヨシュアを助けた娼婦のラハブはルツが結婚するボアズの母親だ。
もっと言うと、ボアズは「ユダとタマル」の回で取り上げたタマルがああいう冒険に出たから生まれたタマルの子孫である。
さらに言うと、ルツはモアブ人でなんとロトの子孫だ。「ロトと娘たち」の回での、あの衝撃的なエピソードの結果、ロトとロトの長女との間に生まれた息子の名前がモアブで、その子孫がモアブ人。
いやぁ、つながってるねぇ。
そして、イエスの系譜というのは、「神の子が生まれるいい血統」というわけでは決してなく、レイプやら騙しやら娼婦やら異国人やらがたっぷり入った血統だ、ということだ。
このことも「キリスト教の懐の深さ」と言われているようである。
頭の整理のために図を作ってみた。
いまの話はこの図の左側ですね。
さて、この系譜を見ながら、ざっとストーリーを説明していこう。
というか、何も起こらない。
神も出てこないし殺人も詐欺もレイプも起こらない。
そしていい人しか出てこない。
このルツ記が世界で愛される理由はそこだろうと思う。
旧約聖書はうんざりするほど酷い話の連続だ。
ホッとする逸話などほとんどない。
でも、この話はそういう中で圧倒的に普通なのだ(現代のボクたちからしたら普通すぎて「ファ?」ってなるけど)。
文豪ゲーテをして「小さなスケール上に描かれた最も好ましく完璧な仕事」と評されたり、多くの作家から「完璧な短編小説」と褒められたりする理由の大半は、この「何も起こらない誠実な物語」が旧約聖書の中で飛び抜けてホッとできる一服の清涼剤だからだと思う。
まず、図の右上のナオミ。
余談だけど、ボク、ナオミ・キャンベルのナオミって、日本人の名前から取ったのかと勘違いしていたよ。旧約聖書のこの話からなんだねえ。
それはともかく、ナオミは夫とともにモアブ人の地、モアブ(カナンの外側)に移住する。
ナオミは息子をふたり授かり、息子たちは現地人(つまりモアブ人の)ルツとオルパと結婚をする。
でも、夫も息子たちも不幸なことに全員死んじゃうんだな。
ややこしいから、上の図をシンプルにして再掲すると、こういうこと。
つまり、モアブの地に、姑のナオミと、嫁ルツと、嫁オルパが残される。
この3人はとても仲が良く、嫁たちは義母によく尽くしていたのだが、もとよりこの3人は血のつながりが全くない。
というか、ナオミはイスラエル人で、ルツとオルパはモアブ人だ。
だから「もう十分よく尽くしてくれた。ありがとう。もう自分の実家にお帰り」とナオミは提案し、オルパは後ろ髪を引かれつつ実家に帰ることにする。
でも、ルツはそうしない。
「わたしはお義母さまと一緒にいます!」と言い張って聞かない。
実家が貧しすぎて帰るのが迷惑になるのか、姑ナオミのことをとても愛していたのか、それとも年老いた姑をひとり置いていくことをためらったのか。
いずれにしてもルツの優しさが描かれている場面だ。
この場面を何人かが描いている。
常連ギュスターヴ・ドレさん。
手前のふたりがナオミとルツ。
奥で別れを哀しんでいるのがオルパだろう。仲が良かったんだな。
たぶん、姑の面倒をどっちが見るか、という話し合いもルツとオルパでもたれたのだと思う。
フィリップ・ハモジェニーズ・コールドロン。
これ、ルツとボアズかと思ったけど、タイトルが「Ruth and Naomi」なので、ナオミとルツが抱き合い、オルパが別れていく、という場面なのだろう。ちょっとルツが男に抱かれる感じの抱かれ方だけどな。
聖書の挿絵からふたつ。
別の道を行くルツとオルパをわかりやすく絵にしてくれている。
ヤーコプ・ピナス。
この絵、拡大してみると山道がずっと続いていて小さくいろいろな人が描かれているけど、特に意味を持たせていることはないみたい。
中央右のスポットライトが当たっているのがオルパだね。ルツの顔が変w
ウィリアム・ブレイク。
いや、さすがブレイク。不思議な絵だ。
左がルツで右がオルパかな。よく見るとルツはナオミに抱きついているね。
なぜルツは大理石の彫像のように白く、オルパは生身の人間のような色で描かれているんだろう?
ルツはこの選択をもってして、イエスとつながる血統を作っていく。
そういう「聖人の血脈」を作った選択の瞬間、という意味なのかもしれない。
で。
結局、ナオミはルツの同行を許す。
「そこまで言うなら・・・ありがとうね、ルツ」
ふたりはナオミの故郷のベツレヘムに行くが、生計を立てる術がない。
で、ルツはナオミの親戚の畑で落穂を拾わせてもらえることになった。それだけで食べていくなんて・・・極貧生活だっただろう。
畑の持ち主のボアズ(くり返すけどあのラハブの息子やで)は、ルツの働きぶりや義母への献身を見て彼女に好意を抱き、畑の監督人にこう指示をする。
「ルツのために、わざと多めに落穂を残してやれよ。あ、それからな、水や食料もたっぷりとあげるんだぞ」
そして、姑のナオミはボアズの好意に気づく。
献身的なルツの今後を心配していたナオミは、独身(やもめ?)のボアズにルツはぴったりだと思い、ルツにこう勧める。
「親戚のボアズはいい人よ。きっとよくしてくれるから、今夜、彼の元へ行きなさい」
「・・・はい、お義母さま」
ルツは控えめにボアズの寝室に入り、自分を娶ってくれないか、とお願いするが、ボアズはここでいったん誠実に断る。
「お前と結婚するには、筋を通す必要があるから、ちょっとお待ち」
そして、翌日、親戚たちに話して筋を通し、めでたくボアズとルツは結婚するのである。
いや、もう旧約聖書的には奇跡的にいい人しか出てこないし、奇跡的にいろいろ筋を通してる!w
こういう、「いい人しか出てこない」「殺人もレイプも騙しも起こらない」「誠実で控えめな」「何も起こらないハッピーエンド」がルツ物語だ。
でも、こういう「何でもないエピソードがイエス・キリストにつながっていく」わけで、信者には大切な、かわいらしい物語なのだろうと思われる。
※このエピソードを深く理解するためには「レビラト婚」という「請戻しの権利」を理解しないといけないんだけど、話が複雑になるので省略してます。そういえばタマルもレビラト婚だったよね。(Wikipedia「レビラト婚」)
ということで、少し絵を見ていこう。
ドレさんは、収穫の最中、ルツが落ち穂拾いをしているところを描いている。周りの農夫たちは「可哀想に」という目で見ている。
中央左手では、ナオミが「あれは私の嫁でルツと言います。二人共々お世話になります」って親戚のボアズに紹介している感じ。
巨匠プッサンの『Summer, or Ruth and Boaz』というタイトルの絵。
中央に立っているのがボアズ。跪いているのが(一見男性に見えるけどよく見ると女性っぽいし)ルツかな。
ボアズが右手にいる畑の監督官に「この娘に落穂を拾わせることを許可するぞ。水や食べ物も与えなさい」と指示している感じ。
『落穂拾い』のミレーも『刈入れ人たちの休息(ルツとボアズ)』という題で描いている。
左のふたりがルツとボアズ。
ルツの足もとに犬がいる。これは「忠実」の寓意なので、ルツの献身さを表しているのだと思われる。
なんか農夫たちそれぞれの休息の感じがいい絵だね。
カーロイ・マルコー。
畑の監督官がボアズにルツを紹介している。ボアズの年齢は相当上。実際はそうだったと思う。
ちなみに、中腹の丘の上で、何かが行われている。
普通、こういうのにも意味を持たせているはずなのだけど、ちょっとなにやっているか判然としないなぁ。
ユリウス・ シュノル・フォン・カロルスフェルト。
これも畑の監督人にルツを紹介されているボアズ。ルツの表情は硬い。そしてルツのポーズが「今日の1枚」に取り上げたアイエツのルツのポーズとほぼ同じだ。(それにしても畑で素足って痛すぎると思う!)
エドゥアルト・ホルベイン。
これも紹介されている初対面のところか。
Claes Corneliszoon Moeyaert 。
これも紹介されてるところ。平身低頭のルツ。
実際には「落穂拾わせていただきありがとごぜますー!」って感じだろうから、リアルにはこういうことなんだろうと思う。
ニコロ・バンビーニ。
ルツとボアズ。ルツの後ろにいるのはナオミだろうか。
ニコラース・ベルヘム。
休憩しているルツに話しかけるボアズ。好意まるだしのいい笑顔。
バーレント・ファブリティウス。
他の絵とずいぶん格好が違うね。でもイスラエルっぽくはないと思うな。
さて、ナオミはルツに「今夜、ボアズのところに行きなさい」と話す。
レンブラントの弟子ヤン・フィクトルスが描いているのはたぶんその場面。
というか、このルツは・・・ちょっと受け入れがたいなw
で、ルツは夜這う。
これは聖書の挿絵。
収穫時の農夫たちの寝床なんてこんなもんだったのかもしれない。
ドアの外ではナオミが心配してそっと見ている。
マルク・シャガールさんから3枚。
夜、ルツが夜這ったところかな。
そして、朝日が上がってボアズが目覚めたらルツが横にいるので驚いているところ。
どちらの絵も屋外、という設定みたい。
3枚目はルツとボアズの逢瀬。
なんか幸福な絵でいいなぁ。
フレデリック・バジール。
これも屋外。。。というかボアズはボウズだったかw
ルツはボアズにいったん断られ、月を見ながら来し方行く末を考えているところかもしれない(もしくは単なる月影デートかもしれない)。
ウォルター・クレイン。
晴れて結婚し、ピクニックするふたりかな。落穂を拾っているルツにしては裕福そうすぎるしな。
で、今日の最後の1枚。
ラファエロ前派のロセッティが、ルツとボアズをとても温かく描いている。
かわいらしいエピソードのかわいらしい絵だ。
少女たちが飾っておきたくなるような。
以上が今日の「ルツ」物語。
神は、イスラエル民族のためだけに「或る」のではなく、もっと広く人民全員を愛しているのだよ、という教訓でもあるようだ。
次回からは、イスラエル王国建国の物語に入る。
まずは、イスラエル王国のまとめと預言者サムエルの物語。
ダビデとか、ソロモンとか、またまたスターたちがでてくるよ。
※
このシリーズのログはこちらにまとめてあります。
※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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