noteを1年毎日書いてきたけど、少しペースを緩めたいと思います
去年の7月13日に「1000日チャレンジ」を始めて、昨日で365日になった。
1年だ。
そうか、1年続いたか・・・、と、感慨はそれなりにある。
365日毎日続けたのは以下の4つだけど、正直「よく続いているなぁ」と思う。
・魚介類完全除去の生活をする
・毎日3キロ走る
・美術を毎日勉強する
・note連続更新
1年続けば少しは馴れるかと思ったけど、相変わらず一番つらいのはやっぱりひとつ目。
「魚介類完全除去の生活をする」が未だに辛すぎて、まったく馴れない。
いやぁほんときっつい。
アレルギーとはいえ、そして(治るかどうかわからないけど)治療とはいえ、これ、あと635日続けるのか・・・。
次につらいのは、やっぱり走ることかな。
もうね、人生で一番不得意な分野と言っても過言じゃないからね。
いやいや、よく続いていると思う。
雨の日も台風の日もコロナの中でも、ずっと走ってきた。
まぁ習慣的にはなってきたけど、「習慣になったら走らないと変な感じになるよ」なんて言われるような感じにはならない。
なかなかつらい。でも続けるけど。
これらに比べると、3つめの美術の勉強はもう喜々としてやっている。
これ、始めてよかったなぁ。人生がひろがった。
もっと勉強に時間を当てたいくらいである。
で、4つめ。
note連続更新。
これは、イイコトと微妙なことの両方がある。
つか、1995年から2010年くらいまで約15年、個人サイトを毎日更新していたからね。それに比べると1年なんてなんてことはない。
また、そうやってアウトプットし続けると、いろいろイイコトが起こるのも経験済みだ。
ボクがいま享受している様々なイイコトはすべて、あの15年連続更新で手に入れたと言ってもまったく過言ではない。
ちょっと前にも書いたけど、いろんな展開が起こってどんどん楽しくなったりするんだよね。
「無理矢理でも毎日更新する御利益」ってホント大きい。
ただ、一方で、困ったこともある。
まず、自分で「それなりのクオリティの記事」というハードルを設けていて、単なる日記とか短い感想とかは書かないようにしていたのだ。
そうするとどうしても書くのに時間がかかるようになる。
特に「旧約聖書・新約聖書の連載」に至っては、毎回5000字〜8000字とか書いていたし、予習や絵の貼り付けを入れると、毎日6時間はかかっていたからね。
6時間・・・w
朝3時とか4時に起きるとはいえ、仕事やコミュニティやつきあいなんかをしながら6時間の余剰時間を生み出すのはなかなか苦しい。
もちろん、それだけちゃんと時間をかけると、吸収も増え、爆発的に「成長」する。わかり方の深さが違う。
たとえば旧約聖書について、いくら本を読んでもアタマに入らなかったであろうことが、かなりしっかり知識としてついてくる。
自分の中で体系化される実感が全然違う。
でも、毎日としてはちょっと時間かかりすぎなんだよなぁ・・・。仕事も忙しいし、また本の執筆予定もあるし・・・。
そのうえ、これが大きいんだけど、2年前に突然なった食物アレルギーのウツが周期的にやってきて、その状態になると正直もうどうしようもない。
「食」のことを考えるとつらくなるから、それを遠ざけるでしょ?
それは「友人」を遠ざけるのとイコールだったりする。
そして、「旅」を遠ざけるのともイコールだし、楽しい「毎日」を遠ざけるのともイコールだったりする。
そのままどんどんウツっぽくなっていく。
そうなると、もうなにもできなくなるんだよね・・・。
特にコロナ禍が長く続き外出できないと「食」しか楽しみがない、みたいな毎日になる。その「食自体がストレス」というボクは逃げ場がない。
どんどん落ちこんでいき、トンネルからも沼からも出られなくなってきた。
この間も更新は続けてきていたんだけど、そろそろあかんなぁ、もう少し自分に楽をさせないと危険になってきたなぁ・・・と。
ということで、365日連続更新を機に、note更新のペースを緩めようかなと思っています。
とはいえ、「毎日書く」というたがを外すと、「まぁ今日もしんどいし明日にしようか」「あぁ今日もまたしんどいなぁ、明日かな」とか、どんどんさぼりはじめるのは目に見えているので、緩めるとしても少しずつだけど。
毎日だったのを隔日くらいにする感じ。
1000日の闘いの記録は残していきたいと思っているし、新約聖書とかいろいろ「進んで書きたいもの」もあるので止めはしません。
あ、あと、他の「1000日チャレンジ」はこのまま続けていくので、いっしょに1000日を目指している方々、これからもよろしくお願いします!
古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。