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バー開業顛末記⑤「住めるブック・バー」

※ バー開業顛末記を最初から読みたい方はこちらから。


「バーをやろう」と決めたころから、ボクの中にある物語が棲みついていた。

佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』。
コロボックル物語、と言えばわかってもらえるだろうか。ボクの人生において大切な本のひとつである。

バーをやるに当たって、いろんなバーを思い浮かべながら「ボクはどんなバーをやりたいのだろう」と考えていた。

たとえば村上春樹初期三部作に出てくる「ジェイズ・バー」みたいなものにも当然憧れる。あんな居場所と無口なマスターもいいよなぁ。

もしくは、もう39年通っている苦楽園口の「THE BARNS」。そんなに長く通ってるということはボクにとってとても居心地がいいということ。そこにボクがやりたいバーのエッセンスがきっとある。

居心地いいという意味では、北新地の「パイルドライバー」や大森の「テンダリー」や友人天羽くんの青山「Amoh's Bar」とか、ボクがくつろげるお店にはボクにとって大切な要素がきっとある。それは何なのだろう。

お手本的なバーもたくさんある。
たとえば古川緑郎さんの「バー・クール」や尾崎浩司さんの「バー・ラジオ」。内藤陳さんの「深夜+1」もある種のお手本。

他にもちょっと考えるだけでたくさん出てくる。
「モーブ」「居酒屋 jolly」「ルパン」「琥珀」「EST!」「フラミンゴ」「グランドファーザーズ」「サンボア」「パパ・ヘミングウェイ」「C.C.ハウス なかしま」「サム」「サンテ」「川名」「つるつる」・・・。

ボクが好きだったいろいろなバーを思い浮かべながら「自分がやりたいのはどんなバーなのだろう」と朝に夕に自分に問いかけていた。


そんな中で、バーでも何でもないコロボックル小国の「三角平地の小さな小屋」がなぜかずっと頭の中から離れなかった。

この本の中で、主人公の「せいたかさん」はコロボックルたちが住んでいる三角平地を偶然見つけ、彼らと交わり、小さな小屋を作ってそこに住むようになる。
友人もほとんどおらず、独りひっそり暮らしている。とはいえさみしい感じはこれっぽっちもなく「コロボックルと共に在る」という充実感と楽しさをもって、ある意味ゆたかに暮らしている。

コロボックルたちはせいたかさんと話したくなったらその小屋の机の上に三々五々現れる。自分の家のようにくつろいで現れる。そして親密な会話が始まり、終わり、コロボックルたちは自分の家に帰っていく。せいたかさんも静かな日常に戻っていく。

そんな光景が、なぜか頭の隅っこに常にあった。

もちろんせいたかさんを気取っているわけでもないし(背は高いけど)、お客さんをコロボックルに見立てているわけでもない。ましてやボクの家をバーにするわけでもない。

ただ、なんと言えばいいのかな、外食も旅も諦めたボクとしては「繁華街のバーでみんなでワイワイ」とか「音楽がガンガンなる賑やかな店」とかいうイメージはまるでなく、そんな小さな小屋で「静かにひっそり生きていく」ようなイメージが漠然とあったのである。

そう、ボクは "住むように" そこにいる。
外食にも旅にも行かず、静かにひっそり、でも独り楽しくそこにいる。
仕事したり書き物したり本を読んだり音楽を聴いたりしながら、ゆっくりのんびり生きている。
そこに友人や知人がひょこっと顔を見せてくれる。そして親密な会話が始まり、終わる。そしてにこにこ帰ってゆく。
余情残心。一期一会。独座観念。ボクはまた独りに戻って静かに楽しくそこにいる。


バーの「営業」というより、毎日の「営み」に近い、そんなイメージ。

そしてそこは繁華街の一角ではない。
雑居ビルの飲食店フロアの一室でもない。
三角平地のように「静かでひっそりした場所」だろう。

せいたかさんはその三角平地をこんな風に見つける(名文だ)。

 ふいに、そこへ出たときの感じは、いまでも、わすれない。まるでほらあなの中に落ちこんだような気持ちだった。思わず空を見あげると、すぎのこずえのむこうに、いせいのいい入道雲があった。

佐藤さとる「だれも知らない小さな国」


あぁ「ふいに、そこへ出る」ような場所で、「住むように」バーをやりたいなぁ。人生の二拠点目として「日常を独りで楽しく過ごせる」ような場所にしたいなぁ。

格好いいバーとか居心地いいバーとかお酒が美味しいバーとか音楽に特化したバーとか、いろんなバーを考えていく中で、だんだんそういうイメージが出来上がっていった。

・・・実はそのイメージは恵比寿の地でわりと実現することになるのだけど、それはもうちょい後のお話。



ボクが "住むように" そこにいて、そこに友人知人を招き入れるのなら、バーの方向性もおのずと決まってくる。

まず必要なのは、ボクが住むように快適でいられる空間であり、長い時間独りで楽しくいられる場所だ。

それには「本」が不可欠だ。


いま住んでいるボクの家のリビングは、本に囲まれている。
自分の部屋とか納戸に置いておくのではなく、一番長くいるリビングにずらりと並べている。

ビジネス書を数に入れないで、だいたい2500冊。
9割9分は読んでいる(あとは納戸に1500冊。アニサキスアレルギーになってから「食の本」は2000冊くらい断捨離した)。

並べることが大切だ。

ボーっと本棚を眺めて背表紙を見ているだけで瞑想みたいな感じになるし、いままでの人生を読んで来た本を通して俯瞰できる。リアル走馬灯。
あぁこの本また再読したいなぁ、という再発見も生まれるし、それを選ぶセレンディピティで救われることも少なくない。ある種の勘が働くんだろうな。
題名と題名がシナプスのようにつながってアイデアが生まれることも多い。ボクはアイデアに詰まると本棚を眺めてぼんやり考える。一気に視野が広がることが多い。

Kindleでも内容は読めるけど、このような「背表紙が一覧できてアレとコレとがつながったり再発見できたり俯瞰できたり」みたいな体験はできない。リアル本棚でしかできない。

また、家族や友人たちと会話が生まれるのも、並べているからだ。
友人たちが本棚を眺めて、そこから会話が生まれる。Kindleではこうはいかない。そういう会話は生まれない。

「そんな空間を持てる住環境で幸せね」って思うかもしれないけど、優先順位が違うだけ。他のモノを犠牲にして(そして家族の理解も得て)、本を並べる空間を確保している。


そう、バーにもこれを持っていって並べよう。
ブック・バーにしよう。
そここそが、ボクが「独り楽しく」いられる場所だ。住むように、長時間、そこにいられるバーだ。


ちなみにCDやレコードも3000枚くらいはあり、長くオーディオマニアでもあった。でも、せいたかさんの小さな小屋を思い浮かべるとき、ボクならそこに本を並べるな。音楽より本のほうが優先だ。

うん、ブック・バーにしよう。
ボク自身が長い時間そこで過ごせる「住めるブック・バー」にしよう。

・・・いや、住まないけどね。
ちゃんと家には帰るし、そこにベッドを置くわけでもない。

でも、一般的にイメージするバーではなくて、「個人の住空間に招き入れるようなバーにする」、という方向に考えがまとまっていった、ということです。


ちなみに。
いままで読んで来た本を並べるということは「自分の脳みそ」を見せることでもあり、「自分の脳みそ」の中に友人知人を招き入れることにも近い。

かなり恥ずかしいのは否めない。
ボクの育ってきた道や考え方そのものが見えてしまうし、自分の底の浅さもバレてしまう。

でも脳みそを晒すからこそ、始まるものもある。
「え、アレ、読んでないの?」みたいに、新しい本との出会いもきっとたくさん生まれる。「あぁこの本いいよねぇ」みたいに、ものすごく楽しい本の会話もきっとたくさん生まれる。

晒さなければ、何も始まらない。

そして、本を読まないタイプの人にも(それはそれで全然構わない)、会話の流れで「あ、そういうことなら、たとえばこの本とか読むと面白いよ」と勧めたりできる。

それは、きっと、楽しいなぁ・・・。


ということで、「バーの方向性」はだいたい決まった。

次は「場所探し」だ。
ボクの「三角平地」はどこにあるのだろう。

山手線沿線の不動産屋さんに飛び込むところから、まずは始めたのであった。


古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。