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聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇36) 〜「葦の海の奇跡」

1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。


さて、旧約聖書のクライマックスのひとつ、葦の海の奇跡、である。

絶体絶命の場面で、モーセの祈りによって海がふたつに割れ、イスラエル民族はエジプトの大軍から逃げ切れた、という、ノアの大洪水に次ぐスペクタキュラーな名場面だ。

葦の海とは、エジプト北東部とシナイ半島との境界にある湖ないし海を指す。広義では紅海を指す。

ただ、広義では紅海を指すし、『紅海渡渉(Crossing of the Red Sea)』と呼ばれたりするエピソードなのだけど、実は場所が紅海とは限らない

下の地図で見ると、ピンクの円で示した「候補地1」も北側の「湖」説がわりと強いし、「候補地2」だと紅海ですらなく地中海だ。

というか、ルートも3つくらいの説があり、どこをモーセたちが通ったか定まってはいないらしい。

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まぁでも、エジプトから苦労して脱出した挙げ句、300万人(+家畜)を引き連れてカナンを目指すわけですよ。普通、最短である北方ルートを通ると思うじゃないですか
しかもこのルートだったら、エジプトからカナンまで2週間くらいで着くからね。

ただ、途中にペリシテ人がいて、どうやっても戦わないと通過できないとモーセは判断し、迂回したと言われている。

迂回するなら次に中央ルートだろうが(南方ルートは遠回り過ぎる)、諸説あるものの、南方ルート説が有力だということだ。

これは「シナイ山がどこなのか」というのに寄るらしい。
シナイ山候補1が古くから「シナイ山」と言われてきたので「じゃぁちょっと遠すぎるけど南方ルートだろうな」という理屈らしい。
でも、候補1は周りに300万人がいられる平地などがなく、「さすがにおかしくね?」と最近は言われているらしいよ。

ま、南方ルートだと仮定すると、

最短だったら2週間でゴールするところを、なんとわざわざ遠回りして過酷なルートを選び、途中のシナイ山まで3ヶ月かける。

のだ。

しかも、カナンに辿りつくには、そこからあと40年かかるのだ。


よ、40年も300万人(+家畜)で漂流するって・・・控えめに言って地獄・・・。

(まぁ40年と言っても、カナン近くまで辿りついてからカナン在住の人たちとの戦争になって、なかなかカナン に入れない、ということなのだけど。そりゃ300万人がいきなり来ても、元々住んでいる人たちが土地を引き渡すわけがないわな)


ストーリーを見て行こう。

前回書いたように、王はモーセが言う「イスラエル民族を解放せよ」という言葉を拒否し、結果、エジプトには「十の災厄」が起こる。

で、王(ファラオ)は叫ぶ。

「いったい何なんだ!
 もう出て行ってくれ。頼むから出て行ってくれ。
 家畜も財産も全部持っていって良い。
 一刻も早く、イスラエル民族全員でエジプトから出ていけ!」

で、イスラエル民族は堂々とエジプトを出ていくわけだ。


ただ、「十の災厄」のときも、何度も何度も前言撤回した王である。
今回もすぐ考え直す。

「いーや。やっぱ家畜も財産も全部渡したのは間違いだった。 追え! あいつらを追え! 疫病神民族を皆殺しにしてしまえ!」


で、追っ手として大軍を送るのだ。


一方のイスラエル民族たちは、モーセを先頭に荒野の道を進んでいる。

昼も夜も行軍する。
最初は300万人の人々もモチベーションが高く、「あぁ、自由っていいなぁ」「モーセ様々だな」「よく奴隷なんてやってたよなぁ」「これから行くカナンってどんなとこだろう?」とか口々に話しながら、張り切って行軍していたのだ。

ただ、葦の海の近くで宿営していたとき、遠くの空に舞い上がるエジプト軍の砂塵を見て焦りまくる。

「うわ、なんか来た」「追っ手だ追っ手!」「やばい、すげーたくさん来た」「どうすんだ!モーセの言うことを聞いてのこのこ出て来ちゃったけど殺されちゃったら元も子もない」「だいたいオレは最初から反対だったんだ」「モーセなんてどーみても詐欺師やん」「そーだそーだ、今からでも遅くない、投降しよう」「アホにそそのかされて飛んだ間違いをしてもうた」「あーエジプトのご主人さまが恋しい」


とか、口々に文句や泣き言を言い始める。

まぁ人間なんてそんなもんだし、奴隷根性が染みついた300万人なんてすぐパニックになるよね。


前には葦の海。
後ろはエジプトの大軍。
仲間たちは造反。

いわゆる万事休す。


もう絶体絶命だ。
だが、そのとき、奇跡が起きる。

モーセが海に向かって手を差し伸べると、海の水が左右に壁となって分かれ、乾いた道が目の前に現れる。

いままで口々に文句を言っていたイスラエル民族たち、口あんぐり。モーセに促されるがままに「海底に現れた道」を急いで渡っていく。

エジプト軍もすぐ追いついて、海底の道を行くが、神が「火の柱」と「雲の柱」の上から進軍を邪魔する

そして、モーセたちが渡り切ったとき、モーセが再び手を海に差し出すと、海も水は元に戻り、エジプト軍を飲み込むのだ。

この奇跡を目の当たりにして、イスラエル民族は神とモーセを信じるようになるのである。


この場面、現代の日本人(の年長者たち)は、ある年代以上はほぼ全員観たんじゃないかっていう映画の描写でよく知っている。

セシル・B・デミル監督の映画『十戒』(1956年製作)。

この映画、テレビで再三再四放映されていたので(「金曜ロードショー」とか「日曜洋画劇場」とか「ゴールデン洋画劇場」で)、上の方の世代はわりとみんな知っているのである。


1956年の映画にしては異様によく出来ていると思う。
チャールトン・ヘストンのモーセも素晴らしい(本当は小声ごにょごにょキャラなのだけどw)。

ただ、これをいったん観ているので、絵画で追体験すると、どうしても「物足りない感」が出てしまう。

さすがに映像ほどの迫力は出せないからね。


そんな中でも、健闘している絵画はある。
それが、今日の1枚だ。

ギュスターヴ・ドレさん。
もうこの連載ではお馴染みすぎて違う人の絵にしたかったんだけど、このスペクタキュラーなエピソードを、ちゃんと場面がわかるように、しかも実に壮大な迫力をもって印象的な絵にしてくれている

これ、映画などもちろんない時代の人たちにとって、すごい理解を促進してくれるいい絵だよなぁと思う。

そう、ドレさんってなんか、そういう「わかりやすいけど、ちゃんとアートになっている絵」を描いてくれるんだよなぁ。
拡大して見てもらうとわかるんだけど、実に細かく描き込んである労作だ。
なによりもその壮大な規模がわかるのがいい。他の画家の絵にはそれが足りない。

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ドレさん、フランス人だし、フランスの日本ブーム(ジャポニスム)の時代(19世紀)に生きた人なので、葛飾北斎の『富嶽三十六景』とか見ているんじゃないかな。波の描き方にちょっと影響がありそうな。。。知らんけど。


ただ、一方で、壮大になればなるほどウソっぽくもなるけどね。

このエピソードがリアルであり得るとしたら、乾いていた葦原をイスラエル民族が渡り終えた途端に、潮が変わったか雨が降ったかで沼になり、エジプト軍が足を取られて追って来れなくなった、くらいだろうから。



それはともかく、他にもいろいろ見ていこう。


スペクタキュラーさではドレさんにかなわないけど、この聖書の挿絵(↓)も健闘しているなぁと思う。
手前を影にしてコントラストをつけているのも成功している。

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この連載では前半のころわりと多く出てきていたスケベ親爺かつ巨匠、ルーカス・クラナッハのこれはいい絵だな。
16世紀当時としてはこれでもド迫力なのだと思う。
左のエジプト軍を細かく見て行くととても味がある。

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あと、このモーセね。
クラナッハっぽいなぁw 

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ハンズ・ヨルダーンス
のこの絵も好き。
(クリックすると大きくなります)
中央の緑の服に赤マントがモーセだね。

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これはエジプトの将軍かな。もしかして王か。

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ちなみに左手前。
この遺骨は、400年前に死んだヤコブ(イスラエル)のものだ。

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400年前、ヤコブは、総理大臣ヨハネに迎えられてカナンを離れてエジプトに行く。そしてエジプトで息子ヨハネに会ってこう言った。
「私は生きてお前(ヨハネ)の顔を見られるとは思わなかった。ありがとう。そして私の最後の願いを聞いて欲しい。私が長い眠りについたら、私をエジプトから運び出し、カナンの地の父祖の墓に葬って欲しい」

モーセは、遠い祖先のその願いを知り、この旅に遺骨を運んできていたのだな(この赤い服の人は兄アロンだろう)。

ちなみのちなみに、真ん中で踊ってる人はアロンとモーセの姉のミリアム
ミリアムについては、この記事の最後のほうで取り上げる。
エジプト軍から逃げおおせた祝いのダンスをするのだ。

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そのほかにも、絵の奥の方ではマナを拾っているようだし(マナについては次回)、細かくいろいろ描き込んであってとてもいい絵。これを今日の1枚にしようか迷った。


フランス・フランケンのこれも同じような構図だね。
右の方でエジプト軍がやられていっている。アロン、モーセ、ミリアムも手前に勢揃い。画面中央上には火柱が立っている。あそこに神がいるな。

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コジモ・ロッセッリ
右上でエジプトの町が雹でやられている(十の災厄)。そういうストーリーの流れを感じさせてくれる絵。エジプト軍の断末魔が一人一人丁寧に描かれているな。
この絵はとても沼っぽい。つまり乾いた葦原が沼になったくらいな解釈だろうか。
左手前ではミリアムが楽器を弾いて祝おうとしているね。

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Sebastiaen Vrancx。
これも長く眺めていられる絵だなぁ。画面中央上に雲の柱(神)。
画面の左奥の岩が気になる。なんか楽園追放のときにこんな岩(楽園の門)を描いている画家がいたなぁ。きっとそういう方向での意味を持たせているのかなと思う。

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Chrispijn van den Broeckの絵と言われているもの。
これも右側ではミリアムたちが踊っているね。左奥の火柱は神。
この絵もひとりひとり丁寧に描かれていて意外と長く楽しめる。

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Maarten Pepyn
右手でエジプト軍が沈んでいく。左にはミリアムもいるね。

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Ludovico Mazzolino
ちょっと白いパーツが分散していて全体像が頭に入ってこない絵だな。
よくよく見ると面白いんだけどな。

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バチカン宮殿のラファエロの間にある、ラファエロの弟子たちの合作。
ラファエロ先生風に必死に描いている感じだけど、やっぱ雑だなぁという印象。

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ジャック・カロの版画。
遠くにエジプト軍。中央右手にヤコブの遺骨が入ったお棺がある。ただ、イスラエル民族がこんなに整然と行軍したかは疑問だな。

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プッサンのこれは、画面の右外でエジプト軍が滅んでいる、ということだと思う。その大胆な省略がいろいろ想像をさせてくれていいなと思う。

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ブロンズィーノのこの絵もかなりの省略。
というか、海水浴の風景にしか見えんw
左奥でエジプト軍が沈もうとしているんだけど、そういう状況にまったく見えないのが逆に面白いな。

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ジェームズ・ティソさんから2枚。
なんか海が分かれているリアリティがあるね。のんびり歩きすぎだけどw
2枚目は一転してティソさんっぽくない筆致。迫力いっぱいに描いている。

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迫力いっぱいという意味では、フレデリック・アーサー・ブリッジマンのこの絵もなかなか。
こういう絵は現代人受けすると思う。

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Johannes Hendricus Jurres
これも迫力系。右から左に攻めてくるエジプト軍が波に呑まれる。
左側に小さくモーセとかいる。
不思議なのは左上に浮かび上がる、縮尺を無視した人物群。
ボクの解釈としては、ご先祖たちなのではないかな、と。
アブラハム、ヤコブ、リア、ラケル、ヨセフたちが神となり守っている絵かな、と。考えすぎかもしれないけど。

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古いのもひとつ。
イタリアはサン・ジミニャーノのドゥオーモの壁画。
古い絵は味があっていいな。リアリティを求めてないから逆に想像力を刺激してくれる。左のエジプト軍の死に方とかw
奥で魚を捕っているけど、なんだろうな。何か別の逸話かな。

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さて、この「葦の海の奇跡」の絵の最後としては、前回も頻出したマルク・シャガール

シャガールはモーセの逸話がかなりお好きなようで点数多い。
これは、奥がイスラエル人で、手前の赤いのがそれを追うエジプトの軍隊だね。そして、中央右手には十戒の石版が暗示されている。

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そして、見えにくいけど、左上のはたぶんミリアムだろう。楽器を弾いている。これに関しては、このあと記述する。

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そして、これまた見えにくいけど、右上にはキリストがいる。

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イスラエル民族にとって、「エジプトを脱出できたこと」=「神がイスラエルを救った」ということであり、このことは「イエス・キリストが救世主としてイスラエルを救ってくれたこと」とイコールになる、とても重要な出来事なのだそうだ。

それを表す絵を、シャガールは同画面に描いた、ということですね。

なるほどなぁ。



さて、最後にモーセの姉ミリアムについて書いて終わりにしたい。

ミリアムが王女がモーセを拾うときに活躍するのはこの回で書いた。
それ以来久々の登場だが、彼女は後世、女預言者と呼ばれる(いつの間に預言者になった?)。

そのミリアムが、この葦の海の奇跡の直後、タンバリンを手にとって、神の大いなる力を賛美した歌を歌う。

そうすると、エジプト軍が波に呑まれるのを呆然と眺めていたイスラエル民族たちが、急に夢から覚めたようにいっせいに踊り始める、というおまけのエピソードだ。

Paulo Malteis。
娘たちが集まって歌い出す。ただ、あまり歓喜な感じがしないのが難。

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ウィリアム・ブレイク・リッチモンド。踊り狂う感あり。

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ティソさんはいつも通り独特な味。
なんか日本のお祭りっぽいなw

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最後は、アンゼルム・フォイエルバッハのミリアム。
なるほど預言者だけあって、このあとイスラエル民族が40年間放浪することを知っているような哀しい瞳。単なる歓喜じゃないんだな。

なお、マリアという女性名はミリアムのアラム語読みに由来するそうである。ほー。

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ということで、今回は味があるいい絵が多かったな、と思う。
なんといっても旧約聖書のハイライトのひとつなので、画家たちもチカラが入っている。もっとひとつひとつの絵をじっくりと読み込みたいくらいだ。



さて、次回は「マナの奇跡(「マナの天降」とか「マナの収集」とか「荒野の奇跡」とも呼ばれる)」
300万人の行軍が長引くと、当然食料が足りなくなる。
そのときモーセは空から食べ物を振らすのだ。それも40年に渡って。




このシリーズのログはこちらにまとめてあります。

※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。

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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。


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