まだ睡眠中。
毎日意識しないけれど、ふとした瞬間にそこにあるような。いつもは向けないカメラもたまには向けたくなるような。
冬の玄関を開けた瞬間の澄んだ空気とか。
夏のカゲロウが揺れる道路とか。
春の少し冷たい風に乗って流れる桜の花とか。
秋の鈴虫が鳴いて涼しくなった空を見上げる夜とか。
初雪を見るために外を眺めた冬の夕方も。
ホットドリンクで暖を取るようになった秋の朝も。
晴れているのに雷が鳴っている夏の昼間も。
前の日より暖かくてジャケットを着ないで散歩をした春の夜も。
写真や動画に残せない。
時代が変わってゆく中で絶対に来世には残せないわたしひとりのみんなひとりのおもいで。
いくら化学が進んだって永遠という言葉は存在しない。
だから美しいって。
引っ越してきた時はなぁんにもなくて。でも、1ヶ月もすればモノで溢れかえっているあの部屋も多分何年後にはもう私の家じゃない。
中学のイツメンの友人も多分卒業したらもう会わない。
高嶺の花だったあの子とは数年たった今でもお酒を呑みにいく。
あの日見栄を張るために読んだふりをしていた本は私の一番好きな本になっていた。
好きだったあの子は自分の1番の友人と仲良くなった。
教室の蛍光灯が異常に明るく見えるほど、どんよりとした黒い雨雲を窓際の席から眺めるのがすきだった。
大好きだった愛猫と見た家の目の前の公園に落ちた雷は一生忘れない。
いつの間にかあんなに大切にしてたモノの見た目も中身も存在をも忘れてしまう。
記憶は儚いからいつか私がおばあちゃんになったらあなたが歳をとったらあの曲のはじまりも、なんの電車に乗ってたかも、街の風景や今横切った綺麗なお姉さんや街角の変なサラリーマンだって多分忘れてしまっているんだろう。
終バスの緊張感も早朝のホームの朝焼けも
6月の晴れの日の湿気も9月の大雨で葉っぱが全て落ちてしまった次の日の朝も。
毛布にくるまれば全部わたしだけの世界。
な、はずだった。
でも、今は私の記憶にしかない無い過去もこれからの夢も見てくれようとしてくれる人がいる。
たくさんいる。
自動で流れる音声や映像もいいけれど。自分の意思で読み進めなければならない文字という文がわたしはすき。
明日はまだ空想の世界。想像の世界でしかないけれど気づいたらそれは過去の出来事になっている。
夢をみさせて。
最初はその言葉を受け止めることが出来ていたか分からないけれど。
1年後。 夢をみてるの。
なんだか心地のいい響きで
そう感じるのは
本当に夢を見ているからなんだろうなって。
こんな夢みたいな日々を贈ってくれてありがとう。
それじゃあ、私はまだまだ寝足りないから。
夢をみたいから。
おやすみ。
また明日
夢で逢おうね。
森崎 璃音
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