石を埋める

〈わが庭の土に埋めし大き石をりをり思ひいでて弔ふ 佐藤佐太郎〉
 庭石のひとつが邪魔になって、運んで捨てるのも難儀なので、とりあえず地上から抹消した、という事情だろうか。その石のことが折にふれては思い出される、思い出しては弔っている、という歌意である。
(中略)
〈庭の石うつし捨てむときめしより俄かに楽し老いといふものも 二宮冬鳥〉
(中略)
 しかし、身辺を飾るあらゆるものが煩わしくなって、それの最後が庭の石であることは十分おもしろい。こういう感覚を突き詰めてゆくと、瀧安寺の石庭のようなものはどうなるのか。あれでもまだはからいがある、ということになって、これはわれわれの常識の盲点をつく。

小池光『短歌物体のある風景』

 石を土に埋めるという行為は、なにか象徴的な感じがする。はからいを嫌うのは、短歌にも通じる思想ではないだろうか。
 それにしても、石は土からできている。土に埋めても、化学式的には変化がなさそうだ。土に埋めれば土の容積が増すので、物理的にも意味がなさそうだ。
 しかし、石を土に埋めてしまったすっきり感は予想できるのが、おもしろい。
 墓には墓石があるし、動物の墓にも小石が置かれたりする。石には、物体としての意味だけでなく、祭祀的な意味合いがあるのだろう。人の念も宿りやすそうだ。
 だから、埋めて弔わなくてはならないのだろう。