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できない日も、ある。

お写真は毎回「素敵だな」と思った作品を拝借しております。いつもありがとうございます。

ありがたいことにお仕事が忙しく、気づけばうっかり月日が流れておりました。
やっとひと段落したので、さあ再開しようと「自分ノート」を開き、今回このnoteを確認して愕然としたのは言うまでもない。

タイトルは上記の通り「できない日も、ある」
まさにこの通り、私はウッカリ更新を数ヶ月も滞らせてしまった。
そして先ほど、「まあ再開すればいいや」と何も考えずに書いた記事がなんと、「前回とほぼ同じ内容」だったのだ。ウッカリにもほどがある。
なので今、慌てて編集している始末だ。

さて、そんな私に今回ピッタリなタイトル。「できない日も、ある」
まんまその通りだ。できない日もある。
できるだけ、ハードルを低くして、三日坊主にならないように……と意識していても、不可抗力で無理な日もあるのだ。言い訳のように聞こえるが、これは紛れもない言い訳であり、開き直りだ。タチが悪い。
しかしそれで良いのだ。こんなことでいちいち凹んでいては何も続かない。

できないのは別に誰も「悪い」わけではない。元々、習慣化されていないことを習慣化づけるというのはそれだけ大変だということだ。そんな大それたことにチャレンジするのだから、少々時間もかかるのは当たり前なのだ。むしろやろうとした自分を褒めてあげよう。「できなかった」と気づける自分もまた、素晴らしいのだ。

そしてここで大切なのは、「再開すること」だ。
今回の私のように、「シレッと」再開すれば良い。誰も見ているわけでもないし、非難されることもないだろう。むしろ誰かに知られても「ふふ」と笑われる程度だ。むしろ親近感すら抱かれるだろう。そんな程度だ。何も悪くないし、恥ずかしいことではない。
そしてこの「再開」は、できるだけ気付いた時に「すぐやる」のが好ましい。
後回しにすればするほど、「ああ、あれをやらないと……」と気が重くなりがちだ。これは時間と気苦労の無駄でしかない。サクッと何かしら小さな行動さえすれば良しとしよう。スクワットに挫折したなら、まずはストレッチからで良いのだ。

こうして、多少期間が開こうが滞ろうが、再開さえしてしまえば「続けている」ことになる。それで良いのだ。

そして念のため、「何故できなかったのか」は一度くらい考えてみた方が良いだろう。自分を責めるのではなく、冷静に対策を練るために。
気分が乗らなかったのであれば、どうすれば気分が乗るのか。
どういう状況なら気分が乗るのか、などを少しだけ考えてみるのも一つの方法だ。
内容を易しくするのか、やり方を変えるのか、考え方を変えるのか。
同じ理由で挫折する可能性が減るのであれば、そうして試行錯誤するのは大いに効果があるだろう。

しかし私のように「つい」「ウッカリ」な人間は「開き直る」方が良いかも知れない。クヨクヨ考えてもしょうがないからだ。
それよりは「とりあえず再開しとこ」と軽くサクッと続けるに限る。
気にしないのも一つの強みだ。

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