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答え合わせのない問い

少し早いけれど、今日は夫婦で2022年上半期の振り返りをした。二人で、よかったこと、よくなかったこと、改善点を洗い出した。最後に二人で講評をして、拍手をし合ったりしながら結婚と引越しを乗り越えたことを讃え合った。そして、お祝いを表現してくれた人が多くいたことを喜び合った。

そのあと私が二人で『ラ・ラ・ランド』を観ようと提案し、二人でソファに座ってゆったり寛ぎながら映画を観た。話のラストに近づいてきて、ミアがオーディションのためにひとり芝居をする重要な場面で西友の宅配が来て場が白けてしまい、少しうんざりしながらも対応をした。私はこの映画を何度か観たことがあったが、こんなにつまらなかったっけと正直びっくりした。初見の感想がとても感動的なものだったからだ。映画と言えば私は是枝裕和監督の作品がとても好きで、『そして父になる』はもう十数回観ているのだが、何度観ても胸に迫るものがあり、定期的に観てしまう作品である。

『ラ・ラ・ランド』は夫によると「また観たいね」という感想の作品だったようだが、私は正直もういいかな、と思った(そんなことを言いつつまた観たいと言い出すかもしれない)。

その後夫と勉強や資格の話になったのでこれも記しておく。夫はとても上昇志向が強く、以前も書き記したかもしれないが資格取得のための勉強(それ以外にも広義の勉強)を怠らない。怠らないというより、休日の活動時間の中に勉強の時間がないととてもフラストレーションがたまるらしいし、平日の始業前や終業後にも自主的に勉強をしている後ろ姿を見てきている。
今日の夫は勉強にうまく気が乗らないようで、それでイライラするというか、フラストレーションがすごく溜まっているようだった。私は努めて彼の話を傾聴し、なるべくポジティブなワードに夫の言葉を変換していったのだが、やはりこれは彼自身の問題で、私がどうこうできる類のものではないようにも思えた。私は彼に「私が(夫)の悩みを昇華できたり心が少しでも軽くなるような創作物を作りたいと思う」と伝えた。これは割と本心で、同じような悩みを抱えている上昇志向の強い人達を私は他にも散見しているし、そういう人の心の澱を流すような作品をどんな形でも創りたい、と強く思った。そのことがこんなに簡単に言葉にできてしまうことが、とても陳腐だと思われたとしても、誰かを本質的に救うことなどできないということを私が心に刻んでいるとしても。私にとって創作物は、自分を救うためのものでもあるし、誰かへのボトルメッセージでもある。

軽い晩ご飯の後はオイシックスで頼んだキャンディーぶどうというのを二人で食べた。種が入っていなくて皮ごと食べられる、とても甘いキャンディーのようなぶどうである。夫は今日終始なんとなくイライラとしていたようだったが、キャンディーぶどうを食べているときは二人とも幸せな気持ちでいる心地がして、食べ物が人を幸せにするということを改めて思った。本当に些細なことかもしれないけれど。

そして今はダイニングテーブルに二人向かい合わせになってPCを開いて、お互いに作業をしている。私は昔好きだったバンド、弱虫俱楽部のアルバムを聴きながら、「こうやってお互いに向かい合ってPC作業をしていたらお互い捗るね」と伝えてみると、彼もにっこり笑って「いいアイディアだね」と言ってくれた。こういう工夫をしてお互いに作業や勉強、仕事を進めていくのは悪くないと思った。

根本的に私は夫に対してこの人の絶対的な味方でいたいと思うし、なぜならそれは、短いかもしれないが1年少し付き合ってみて、お互いの泥のような部分も光のような部分もどちらもを共有してきたからで、言葉にうまくならないが、「絶望なんかはないものだ」と彼が私に強く伝えてくれたからかもしれない。カーテンの隙間から差し込む光を掌で受け止めるとあたたかいように、彼の左手はいつ握っても私にとってあたたかい。


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