見出し画像

人生の宝箱に入れる思い出を作っているのさ

THE COACH Academy 応用Aコースのペアワークにて。
コーチングセッションの練習を継続的にチャレンジし続けたい気持ちがある一方で、失敗や上手くできないことが怖い。という話を聞いてもらった。

別に練習をやめたっていいのだ。必ず続けなくてはならないものではない。
やめたら得られるものだってある。プレッシャーを感じなくなるし、不安にもならない。穏やかに毎日を過ごせる。
そういう選択肢だってあっていいのだ。

だけど、それでも進んでみたい。
せっかく、ずっと気になっていたコーチングの学びに踏み出した。まだ学びたてで良く分かっていないところもあるけど、だからこそ、何か掴むまでもう少し続けてみたい。(そしてぶっちゃけ言うと、50万円もかけた分ちゃんと回収したい。)


話していく中で気がついたのは、自分の中にある「先の目標を見据えてその手段として何かに取り組むというよりは、目の前の気になっていることをひとまずやってみよう、やってみながら考えよう」というスタンスだ。
自分の計画的な面も知っているからこそ少し意外。
でもそういうところあるなぁ、とも思う。

基本的に私は腰が重い。慎重で、失敗するのが怖くて、無駄になるのを避けたくて、一歩を踏み出すまでに「何のためになるか?」を何度もじっくり考える。

ただ、結局考えても目的は出てこないことだって多い。
それでもやりたい気持ちは残り続ける。
じゃあ、やりたいからやろう。やりたいならやってみよう。

大学の途中で専攻を心理学に変えたのが皮切りだったかもしれない。
留学。フルート。webデザイン。退職。コーチングもそう。
少しずつだけれど、自分の「気になる」「やりたい」にあれこれ手を伸ばした。
どこへ・何に繋がるかは分からない。合理的な人からしたら無謀に見えたり、無駄に見えたりするのかもしれない。私の中にだって、そのような見方をする自分がいる。

けど「やってみたい」の声がするならやってみよう。
やってみて続かなくても、何かを実現するための手段にならなくても、それに取り組むこと自体が私の目的なのかもしれない。

この先もまたどうしようもなく気になるものに出会ったとき、人生の最後で「あれやっておきたかったなあ」と肩を落とすより、「あのときやってみてよかった」と味わったり「やってみたけど何か違ったよ」と笑い話にしたい。どちらも良い思い出になることは間違いない。

自分の行動選択の目的には「人生の思い出づくり」も確かに存在する。
人生の中で活かすというより、最後の日に心の中の宝箱に入れておくものをたくさん集めておくための行動を、今後も温かく見守りたい。


ところで、コーチングの学習はすでに人生の良き思い出の一員に仲間入りしているが、このまま終えるにはまだ合理的な私の納得がいっていない。
だからもう少し私なりに模索を続けようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?