見出し画像

大いに震えろ、私の心

2年間、私たちは圧倒的に「本物」に飢えている。

新型コロナウイルスの感染拡大が始まってから、多くの制限を強いられてきた。
人に会えなくなった、行きたいところへ行かれなくなった、見たいものが見られなくなった。

特に最初の1年は美術館、映画、舞台、動物園も閉まった。結局東京オリンピック・パラリンピックも無観客で実施された。

このウイルスは私たちから「心が躍動する瞬間」をも奪っていった。

「原画展」で想起した懐かしい感覚

唐突ではあるが。私は日本の漫画とアニメは人類の宝、芸術だと常々豪語してきた。

特に漫画好き、アニメ好きとしては「原画展」は一大イベントである。博物館でやってほしいと割と本気で思っている。

話題になった「鬼滅の刃原画展」は感染にひよってしまい行かれなかったのだが、昨年12月から立て続けに「暁のヨナ原画展」TOKYO 卍 REVENGERS EXHIBITION(以下東京リベンジャーズ原画展)」「呪術廻戦0 大交流展」へ行ってしまった。

「暁のヨナ原画展」では美しいカラーの原画にため息をつき、

画像3


東京リベンジャーズ原画展では原稿用紙に力強く描かれたキャラクター達をこの目にすることができ、

画像2

「呪術廻戦0 大交流展」では今現在記録を更新し続けている映画の原画の一部を見ることができ、瞳の虹彩にまでこだわった描き込みに非術師の猿はひたすら感動していた。

画像4

特に東京リベンジャーズ原画展は、すっかり沼落ちした大人気コンテンツなだけあって、チケットが当選した時は「神様からのプレゼントだ!」と良い大人が飛び跳ねて大喜びした。

毎日毎日指折り原画展の日を心待ちにした。

物語の始まりからの原画が飾られていたが、最初の1枚を見た時から、胸の高鳴り、鳥肌が止まらなかった。

手描きで一本一本書き込まれた髪の毛、かけ網の効果、細かく削られたスクリーントーン、ところどころ修正された痕跡…1枚1枚から作者の魂が伝わってくるようで、展示が進むにつれて思わず涙ぐんでしまった。

全くの余談だが、中学生の時に漫画部に入っていたので一通り漫画を描く画材に触れたことがあった。スクリーントーンは勢い余って下の原稿用紙まで切ってしまっていたが。
漫画の画材を使うのが難しい、大変と少しでもわかっているからこそ、修正跡まで残っている原画に感動するのだ。

デジタルで漫画を描く漫画家も増えている中、1枚1枚、しかも毎週手描きで作られる原画を、こんなにたくさん見せてもらって良いのだろうかとめちゃくちゃ不安になった。

当たることを優先にして特典付きじゃなかったから2,000円くらいしか払ってないことが申し訳なく感じ始めた。(しっかり物販で貢献したが)

帰り道は興奮しすぎたのと、会場周辺でのコラボイベントを全て回っていたのでクタクタだったが、いつまでもアドレナリンが出ているような久しぶりの感覚だった。

「あぁこれって、『ホンモノ』に触れた時に感じる時のあの感覚だ」

同じ感覚をどこで覚えただろうか?

バレエダンサーの熊川哲也氏の「ドン・キホーテ」を観た時…

ミラノで「最後の晩餐」を観た時…

レオナルド・ダ・ヴィンチが最期に過ごした部屋に入った時…

総括するとやはり「誰かの生きた痕跡、魂」を感じられた時だろうか?

これはただ私が独自に感じたものであるから正解ではないと思う。
ただ何かしら「心が動いた瞬間」であることは間違い無いと思う。

心よ、動け

画像4

忘れていたこの感覚。
それはコロナが始まってからの2年間、「本物」に触れる機会がなかったからだ。

イベントや講演会などが軒並みオンラインとなった。オンライン自体は悪くない。どこにいても学ぶことができるような仕組みや、ニューノーマルになってきたことは良いことにも思う。

それでも「本物」に触れる一瞬の経験にはどうやっても敵わない。

私は都内在住だから、有難いことに感染対策をしっかりすればこうして原画展やイベントに行くことができている。

でも、首都圏に出るのに長時間公共交通機関を使わなければいけない人は?


人生はたった一度だ。
その中でどれほど心を揺さぶる「何か」に出会えるだろうか?

原画展で思い出したこの感覚、忘れないようにnoteに認めさせていただいた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?