【鑑賞ノート】4.天気の子(映画)

新海誠は「詩人」である。
彼の最新作「天気の子」を見て、そう確信した。

 
「天気の子」を見た正直な感想は、「見るのがしんどい」である。たぶん、「新海誠」作品のどういうところが好きかによって賛否分かれる作品だと思う。新海誠は好きだし、代表作とも言える「秒速5センチメートル」は秀逸だと思っている。新海誠の作品の良さは、ストーリーに依存しない「感情」表現だと思う。「秒速5センチメートル」は、主人公の物語の一部を切り取って差し出されたという感じで、唐突に物語が始まって、終わる。「感情」を詩的でリリックに表現する「ことば」に酔わせてくれるのも新海誠ならではだ。映像美と音楽と感情(詩的な表現)とで作られるふわっとした作品を、頭ではなく、「感情」で見る面白さがある。だからストーリーが薄くても問題ないし、むしろ、きっちり作り込まれたストーリーは邪魔なほどである。「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」などは、BGMのように、日常に溶け込むアニメとして唯一無二のものだと思っている。BGMだから、何度でも見られるし、何度見てもそのたびにいろんな感情を揺り動かされる。日常の中で見過ごしている埋没したありふれた風景を、詩的なことばが彩り、そこに強烈な感情が描かれることを楽しむというのが私の「新海誠」作品の楽しみ方である。そうした「日常の中で見過ごしている埋没したありふれた風景」「詩的なことば」「感情」の絡み合いが、むしろストーリーの希薄さを補って十分な働きをする。

 
前作の「君の名は。」は、そういう点ではストーリーがはっきりとした作品で、「雲のむこう、約束の場所」と同種の作品である。ストーリーがはっきりとした作品というのは、「起承転結がある」ということである。そして、今作の「天気の子」もストーリーがはっきりとした作品という点では「君の名は。」と同じである。しかし、ストーリー展開、設定がグダグダな感じが否めない。「君の名は。」は起承転結が一応つながっていたけれど、「天気の子」は起承転結はあるけれどつながりがなめらかではないという感じである。こういってはなんだが、失礼ながら新海誠には小説は書けないのではないかと思ったりする。そして、新海誠は、詩人あるいは歌人で、つまり、感情表現寄りの人であると、「天気の子」を見て確信した。小説には、感情はもちろんだが、社会と歴史に関する細かなディティールの描写とロジックが必要不可欠だと思っている。(たぶん、新海誠は社会とか歴史とかには感情ほどには興味はないんじゃないかなぁ。。。)けれど、新海誠の作品はディティールの描写とロジックが薄い。だから、ストーリー展開や設定はちぐはぐで、つながらない。「秒速5センチメートル」のような「感情」が全面に出る作品では、それはむしろ利点で、つながらない感じを感情表現が埋めてくれる。しかし、「天気の子」や「君の名は。」のような作品では、「ストーリー」が全面に出るため、そのほころびがどうしても気になってしまう。そして、かなりの重力を持った「感情」が強烈かつストレートに表現されて、さらに不協和音となる。ストーリーとともに展開されるはずの登場人物たちの「感情」ではなく、新海誠が描きたい「感情」が描かれてるという感じだ。

 
新海誠の長編アニメの主題は「世界が変わること」だと思うけれど、それを現実世界と意味付けようとする新海誠のこだわりがあるように思う。そういう意味では「雲のむこう、約束の場所」が描こうとしたものと同じである。つまり、「君の名は。」「天気の子」も「雲のむこう約束の場所」の焼き直しのようでしかない。というよりも、新海誠が発するテーマは「彼と彼女の想いは世界を一変させる」ということで一貫しているということだ。それを手を変え品を変えて表現しているのだけれど、「天気の子」はしっくりこなかった。ちなみに私の中では、「彼と彼女の想いは世界を一変させる」というテーマで描かれた新海誠の作品では「雲のむこう、約束の場所」が今のところ最上のものである。
 

・作り込まれ過ぎたストーリー展開と設定(でもディティールの描写とロジックが薄くて中途半端)
・重くて強烈かつストレートな感情表現
・さらにはメッセージ性の強いRADWIMPSの楽曲
強弱なき、強強強の作品に眩暈がする感じがした。「強強強」は、映画館で上映される、いわゆる商業アニメには必要かもしれないけれど、私の求めている「新海誠」ではなかったなぁというところ。ラジオや音楽のように見流せるふわっとした詩的な「アニメ」をまた作ってほしいなと思うけれど、現在の新海誠の社会的な立場や位置づけを見ると、もう無理かもしれない。

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