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2024年の抱負は「自分の無知と無力を晒すこと」

大晦日に読み始めて、年が明けて2時くらいに読み終えた本があった。孫泰蔵さんの『冒険の書』である。ずっと気になってたのだけど、KindleではiPadでないと文字の大きさ的に読めなかったので、積読してたのだ。読み始めたら、とても読みやすくて1日で読んでしまった。

内容は、教育に興味がある私にとっては共感する話ばかりだった。ただ意外と新しい知見みたいなものはなくて、なるほど、思ってたより自分はこの領域についての知識を蓄えていて、今後の教育に対する考えをまとめつつあったのだな。と気づく。

本を読み進めて共感しつつも「わかる。めちゃわかる。でも、難しいんだよね。どうやったら…」と悩んでしまう場面もあった。

教育とは何のためにあるのか?
なぜ私が教育に興味を持つのか?
人が学ぶことに何を期待してるのか?

それらに対する私なりの答えはすでに持っている。

しかし、『未来の教育の発展に貢献したい。どうせなら自分のスキルを活かして、オンラインで展開することでレバレッジの効く形で広く提供したい』とHowの部分に考えが及ぶと途端にダメだ。

というのも理想の教育を提供できる世界を実現する過程で、まず今の社会の構造が足枷になるのだ。それがあまりに強大すぎるのである。

ストーリーを練ろうとしても失敗のイメージしかできない。そして、何よりその失敗確率の高いイメージの中でも、めげずに推進し続けるには莫大なお金と自分の生活を犠牲にすることも厭わない気概(体力)がいる。それが今の私にはないことを思い知るのだ。

この諦めに近い観念は、ここ数年の私の動き方を支配しており、正直「教育」に関しては何もできないでいた。

でも、冒険の書が最後に一番大事な事を教えてくれたのである。

あらためて、教育とはなにか。それは、大きな問いに立ち向かっていく姿を後に続く者に見せることではないか。時代とあわなくなってしまったもの、変な方向へ行ってしまったものを変え、「人々を救うためにはどうすればいいか?」「この地球を良くしていくためになにをすればいいか?」を生涯をかけて探究し続けることなのではないか。それこそが「勇ましい高尚なる生涯」であり、それそのものを私たちは後に続く者たちに遺していけばいいのではないか。
そう僕は思うのです。

冒険の書 

そう。私はずっと一人で悶々としつつも、何かと理由をつけて言葉に表すのを控えてきた。

  • 自分の思いをうまく言葉として表現できないから嫌。

  • それ今頃知ったの!?と思われそうでカッコ悪い。

  • ただの理想論だと一蹴されそうで怖い。

  • ただ言うだけで結局何も行動できてないと思われるのが悔しい。

  • 反応ないかもで辛い。

とかいろいろ全部微妙に違うんだけど、理由は簡単で「大した人間じゃないことが他の人にもバレて、自分自身で認識もしたくない」である。こんな私にも一丁前にプライドがあり、それをひっそりと守っていたらしい。

で、この掲題の抱負につながるのだ。

まずは、自分の考えを言葉にしよう。自分の無知や無力さ、愚かさを晒すことになってもいい。いや、いっそのこと周りに教えを乞うために、あえて晒そうじゃないか。悩んでる事は悩んでると言おう。「分かってないなー」と思われてもいい。助けてもらおう。

本当に本気で少しでも教育に関わりたいと考えるならやろう。何もやらないよりましだ。

と、再び歩みを促してくれた『冒険の書』に感謝を抱きつつ、2024年をスタートしたいと思います。

みなさまよろしくお願いします🙏

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