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過程に注目することで、自分に◎をつけられるようになった話

突然ですが、みなさんは自分を認めてあげられていますか?
自分は何を大切にして来て、どんな目的があって、何を頑張って来たのか。
それらがはっきり自分の中で分かっていると、
自分自身を受け入れられるのかな、と思います。

私も長年自分に◎をつけてあげられず、自分の価値を自分自身で下げていたのだなと最近気付きました。
(遅いよ、とツッコミたくなりますが笑、長年染み付いていることだと時間がかかりますよね。)

結婚を機に沖縄に移住した私。
もう今年で13年目になります。
10年以上米軍基地で働いていましたが、
同僚の半分はアメリカ人。
お客さんも大半はアメリカ人。
なので、英語を話す機会はめちゃくちゃ多くありました。

実家のある東京で働いていた頃は輸入商社で事務の仕事をしていた為、
海外メーカーとのコミュニケーションは英語でしたが、メールやチャットがほとんど。
話すこと、聞くことは苦手でした。
たまに出張時やメーカーの方が来日されて会う時に話すことはあれど、
お互い母国語ではないのでカタコトの英語でも何とかなりました。

なので、米軍基地で働き始めた10年以上前の私は、ネイティブの人たちが何を話しているのか全然聞き取れないし、
聞き取れたとしてもどう返していいか分からずモゴモゴ、、と、散々だったなと思います。苦笑

2度の産休・育休をはさみ、私の英会話力も一進一退という感じでしたが、
フルタイムに復帰して少し経った頃から、何となくスラスラ出てくるようになった感覚がありました。
何事も継続することで少しずつ積みあがって行くんですね。

ただ、周りには私よりもっとスラスラ話す方々がいっぱいいるわけです。
そしてその方たちが自分の英会話力に満足していない。もっと出来る人は沢山いる。
と、思っているし、会話にも出てくる。
もちろんそれは事実かも知れないけれど、それを自分の評価を下げることにつなげる必要は全くないのです。

注目すべきは、10年前の私は全然喋れなくて悔しくて情けなくて泣いたこともあった。
でも今は同僚のアメリカ人と他愛のない話をしたり、仕事で困ったことがあれば上司にその説明も出来る。
ドラマや映画を字幕なしで見られるようになったり、もっと深い話が出来るようになったらもっと楽しいだろうなと思うものの、
もっと出来るようになりたい気持ちと、自分に◎をつけて認めてあげることは別の話です。

自分が頑張って来たことや、出来るようになったことを過小評価しない為にも、過程に注目することはとても大切だなと感じています。

もっとうまくなりたい気持ちがあることは素晴らしいことです。
でもその気持ちから自分に◎をつけてあげられず、評価を下げてしまう時は、
きっと結果ばかりが気になってしまっているのかも。

その結果や、目指す先は、きちんと自分の中で明確なのでしょうか?
上には上が沢山いて、その人を目指していても、その人だって変化したり進化していく。
明確な目指すべきポイントとは言い難いですよね。

自分の変化を外側から見ることって難しいかも知れません。
でも、いつでも自分に対しても親友や大切な人に対してと同じ目線で、物事をフラットに見て、
少しの変化だと思うことにも◎をつけてあげる。
足りてないなと感じる所は、どれくらい足りないのかを明確にして、行動で埋める。


過程に注目するクセは、過程を楽しめる力にも繋がる気がしているので、この力はこれからもどんどん伸ばして行きたいなと思います!

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