「なかったこと」にされた声に耳を傾ける
今日は国際女性デー。ミモザの日。
日本で、この日がトレンドにあがるようになってから、そこまで長い時間が経っていないような気がする。体感としては「女性活躍推進」の機運が高まった頃から、この日の存在感が増したような…と思うのだけど、実際のところはどうなのだろう。
「女性」のことを考えると、いろんなことが心を過ぎる。
その中でも、特に大きな私にとって、一人の大人の女性として「女性であること」と向き合いたいと感じた「原体験」とも言える出来事を、3月8日に寄せて書いてみたいと思う。
お仏壇に手を合わせていた時に抱いた違和感
小さい頃からの習慣で、実家に帰ると、まずは仏間でお線香をあげ、手を合わせるようにしている。
実家の仏間には、ご先祖さまの遺影・写真がある。
実際にふれあって記憶があるのは曽祖父・曽祖母までだけど、それ以前の「柏原さん」の存在に思いを馳せ、感謝を伝えるーーこれが実家に帰るとまずやるマイ・ルールみたいなものだ。
ある帰省の時も、そのマイ・ルールを何の気なしにやっていた。
でも、その日は、どういうわけだか「変な感覚」がわいた。
「あれ? 何だかおかしい」という違和感。
その感覚につかまれて部屋を離れられずにいたら、直感的にその理由に気がついた。
部屋に飾られていたご先祖さまの遺影写真が、男性のものばかりだったのだったのだ。
私の実家には、父から遡って7代ほど前のご先祖さまから遺影と写真写真(肖像画)が残っているのだけど、女性として「顔」が残っているのは曽祖母(2代前)から。それ以前のおばあちゃん、「ひいひいおばあちゃん」(高祖母)以前は「顔」が残っていない。
もちろん今みたいに写真が当たり前の時代ではなかったのは確かだろう。
でも「ひいひいおじいちゃん」(高祖父)は遺影の写真があるし、それ以前のおじいちゃんも肖像画がある。
それなのに「ひいひいおばあちゃん」以前のおばあちゃんは、どんな顔をしていたのかわからない……。
この事実に気がついた時、いろんな感覚や疑問が生まれた。
「おじいちゃん」の顔は残っているのに「おばあちゃん」の顔は残っていないって、一体どういうことなんだろう。たしかに命を繋いでくれたはずなのに、どうして「存在」が見えなくなってしまっているのだろう。
でも、いちばん大きかったのはこの感覚だ。
「今までどうして、この事実に気づかなかったのだろう」
「何千回、もしかしたら何万回と見たかもしれない風景なのに、どうしてこれまで”違和感”を抱かなかったのだろう」
おじいちゃんの顔はあるけれど、おばあちゃんの顔はない。
素朴な目で見たら「あれ?」と思えることではないかと思う。
それなのに、違和感をもつこともなく当たり前のものとして受け入れていた自分が情けなくなった。
そして、何とも言えない「せつなさ」と「悲しみ」がわいてきた。
「なかったこと」にされる痛み、「なかったこと」にする痛み
ここで感じた「せつなさ」「悲しみ」の正体に気づいたのは、この記事を読んだ時のことだった。
無視されることは、正直しんどい。面と向かって文句を言われるよりも「“なかったこと“にされるほうがつらい」と感じることもあったのだけど、それは一理あるらしい。
記事によると「無視をされる」ことは「虐待」といっても差し支えないほど、大きなストレスを与えるという。
ここまでは想像の範囲だったのだけど、意外だったのは、この次。
「無視」されるだけではなくて、実は「無視」をするほうも傷ついているという。
私は今まで「なかったこと」にされる痛みに、ずいぶん敏感だった。
“思いつき“でものを言ったら「ポカーン」とされ、発言が「なかったこと」にされた会議。「この人なら言っても大丈夫かな」と思って打ち明けた出来事を見事にスルーされて「なかったこと」にされたサシ飲み。
自分の大切な部分を「なかったこと」にされた痛みを抱えた“被害者“の私を、これまでずいぶんと擁護してきた。
でも本当は「なかったこと」にすることを選んだ人たちも、同じように傷ついていた。
「なかったこと」にされる痛みもあるし、
「なかったこと」にする痛みもある。
私が、実家で「おばあちゃんたち」の遺影写真がないことに気づいた時に感じた痛みの一部は、私が、彼女たちの存在を無意識のうち「なかったこと」にしていた痛みなのではないかと思う。
「痛み」を感じていることさえ気づかなかったけれど、私は知らず知らずのうちに痛みを味わっていたのだろう。あの日、仏間で、その痛みの一端を感じ取ったのではないか、と思っている。
「なかったこと」にする優しさ、それでも「言葉」にする優しさ
「なかったこと」にされることも、「なかったこと」にすることも、どちらも人を傷つける。どちらにしても「痛み」を伴うならば、そもそも「なかったこと」になんてしなければいいのではないか?ーーと合理的に考えると感じるかもしれない。
でも、人間はそんなにシンプルにはできていないみたい。
人は、どうして「なかったこと」に、「無視」をしてしまうのか。
記事に戻ると、このように書かれていた。
あと、記事にもあったけれど「言葉にできない気持ちでいっぱいになって、口を閉ざしてしまう」ケースもあるだろう。
「言葉にできない」としか表現できないような出来事は、生きている限りは避けられないと思う。
いつでも当意即妙な表現が出てくるわけじゃない。
「言いたいことはある」のに、うまい言葉が見つからないというもどかしさを何度感じたことだろう。
とりあえず言葉にはしたものの「なんか違う」「しっくりこない」。的確な語彙を持ち合わせていない悔しさを何度味わったことだろう。
でも、今なら思う。
たとえ「言葉にできない」のだとしても、口を噤んでしまうことは本当の「優しさ」「思いやり」ではなかった。
「大人になって“言葉にできない“で許されるのは小田和正だけだよ」と、誰かに言われたことある。
その時は「うまい」と思ったけれど今は「言葉にできない」で十分じゃないかと思う。
「言葉にできない」でも何でもいいから、言葉にできないもどかしさ、悔しさも、ぜんぶ含めて、率直な気持ち、感じていること、自分の中に起きていることを、伝えていたら(伝えてもらえていたら)、よかったのかもしれない。
その時に出てくるのが、たとえ肯定の言葉ではなかったとしても、無視をされることや「なかったこと」としてスルーされるよりは、ずっと思いやりに満ちた行為なのだと思う。
「痛み」をなかったことにしないでほしい
自分の人生を振り返ってみると、本当に多くのものを「なかったこと」として片づけてきてしまったと自覚している。
その中身をしっかり見ていくと「女性だから」という理由で「なかったこと」にされた声、最初から外に出すことさえなかった声(自分自身で無視してしまった自分の声)も、かなりの数になると思う。
ビジネスや組織などでもそうだろうし、学校でも、家庭でもそう。「女性だから」という理由であきらめたこと、蓋をしてしまった思いは確かにある。
歴史を振り返ってみると、今とは比べ物にならないほど、女性が自由に自分の声を発することがしづらい時代が続いていた。
「昔に比べたら、今の私は恵まれている」とは、確かに思う。
でも、今だって「女性」への圧力(特に「空気」の圧力)は、まだまだ根強い。
幸不幸は誰かと比べるものじゃないし「昔に比べたらマシ」だけでは済まされない感情はあるし、無理に合理化しないほうがいい思いだってある。
それに、「昔に比べたらマシ」で済ませてしまうことは、この状態を肯定することにもなる。「このまま次の世代に引き継ぎたくない(私たちの世代で終わりにしたい)と感じる負の遺産はまだまだたくさんある」と感じるのは、私だけじゃないと思う。
そんな時代を生きているのだもの。
どうやったって、無傷で済まされるわけがない。
もちろん、他にもいろんな問題がある。
今の時代、女性だけじゃなくて、男性だって生きづらさを抱えている。
女性と男性という尺度だけじゃない。
世代、年齢、地域、立場、役割、生まれた環境……「生きづらさ」や「痛み」の原因は、本当にいろんなところに転がっている。
一人の大人として「女性」というテーマに向き合う時、私は何より、こうしたすべての「生きづらさ」「痛み」の原因を、まずは「ある」と認めたいと思っている。
たしかに「ある」のに、それを無視して「なかったこと」として片づけてしまう歴史を、もうそろそろ終わらせたいと、この構造自体を変えたいーーというのが、私の心の奥にあるVOICEなのだよ。
こんな私の言葉が「過去の戯言」として片づけられるようになる日が、少しでも早く訪れるよう祈りを込めて。
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