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39歳ではじめて車の運転をしてわかった「苦手なこと」に取り組むコツ①

最初に断っておくと、私は合理的に考えて行動するほうだと思う。
1年前のストレングスファインダーの結果、1位は戦略性。

直感が先に立って、その時点で説明のつかない行動はすることはあったとしても、無鉄砲に何でもかんでも手を出すことはしないほうだと思う(たぶん)。
苦手なことは無理に克服しなくてもいいと思うし、「餅は餅屋」で得意なことに専念できる環境をつくるほうがいいと思う。協力しあって、分業しあって、助けあって生きていきたいと思っているし、まだまだ足りないところだらけではあるけれど、できるだけそうしようと努力しているつもりだ。

ただ、これらを前提としながらも、生きていると、たとえ苦手でも「最低レベル」をクリアしなければいけないことに出くわすことがある。

2020年の私にとって、それは「車の運転」だった。

なぜ39歳ではじめて運転免許をとることにしたのか

こう書くと、逆に聞かれることがある。

「なぜこれまで運転免許をとらなかったの?」

それは、必要性が感じられなかったからだ。
大学時代から東京に暮らし始め、都内の会社に就職した私にとって、車は不要なものだった。「どこかに行く」という方のご相伴にあずかることはあったし、たとえば山に行く時なんかは「車があると便利そうだな〜」と思ったりしたことはあるけれど、不可欠なものではなかった。そして、「運転免許」はいつまで経ってもToDoリストの上位に上がってくることはなかった。
「いつか本当に必要になった時に考えよう」と軽く考えていたわけだ。

でも、「車の運転」が、この1年で一気に「緊急かつ重要なこと」に躍り出ることになった。その一番の理由は、コロナさんだ。

事の発端はGW。
私の地元は、東京から高速バスで1時間強+車で20分ほどの場所にある。
そんな地元で暮らす家族(今、実家にいるのは父一人)から、帰省拒否を受けた。

「コロナがこれだけ流行っている中で、高速バスに乗って帰ってくるのは不安が大きい」

理由はそんな感じだった。
よく話を聞くと、もちろん私たちの身を案じてという理由もあるけれど、同時に「公共交通機関」という不特定多数が利用する場への不安もあるようだった。
そして、「もしも自分の家から感染者を出してしまったら、その土地では生きていけないかもしれない」という不安も見え隠れしているように感じた。

こうした不安に対して、色々と言いたいことはある。
だけど、たとえ論破できたとしても、それで親の不安が消えるわけではない。
ただ、そうは言っても私は実家には帰りたい。
家族や親戚、飼い犬にも会いたいし、お墓参りもしたい。

・・・とモヤモヤしている時に、私の中では妙案が思い付いた。

「だったら公共交通機関を使わないで実家に行く方法を選べばいい!」

「運転免許」が、ToDoリスト上位に急上昇した瞬間だった。

実は、住んで1年半になる今の自宅からは、教習所がとても近い(徒歩数分)。
奇しくも在宅勤務がほとんどとなって、前よりも時間の融通が効きやすくなったのも幸いだった。さらには「畑を借りたいな・・・でも“いいな“と思うところは車が必要な場所ばかりなんだよな」なんて夢見ていたことも、決意を後押ししてくれたと思う。

たぶん、「時が満ちる」というのはこういうことなんだと思う。

GWが終わり、仕事がひと段落した5月中旬、教習所の入学手続きに行った。

ただ、いくら絶好の機会だったとしても、物事がスムーズに進むとは限らない。
いろんな「初めて」を体験しながら今まで生きてきたわけだけど、私が記憶している限りで、ここまで「初心者」として苦労したことは、これまでになかったと思う。

「落ちこぼれ」「劣等生」になってハッキリわかった「勝ちパターン」「負けパターン」を分けるもの

入学手続きを終えて、本格的に教習が始まったのは6月前半。
免許がとれたのは12月下旬。
結果として、免許がとれるまでに半年ほどかかった。

教習所が混んでいたこと、そして私のスケジュールが混み合った時期があったこともあるけれど、これだけ時間がかかったいちばんの理由は「仮免許を取るまでのスタートでつまずいたこと」だ。

仮免許をとるまでに実技で2時限オーバーし、
さらには検定試験で1回落ちて、2回目でオマケでの合格(合格点ギリギリ)。
もはや、絵に描いたような落ちこぼれっぷりだった。
(念のためですが、学科は一発合格でした)

「車はブレーキじゃなくて、アクセルで走るんですよ!」

なんて言われたりしたこともあった。
おじさまの方はもちろんのこと、おそらく年下であろう教官からも、ため息まじりの指導の数々。
スピードの出し過ぎではなくて、スピードを出せなさ過ぎて指導されることは数知れず。不安すぎてクリープ現象だけで車を動かしてた私を、見るに見かねて言った言葉が↑だった。

ダメ出しばかりの日々は、正直なところ、つらかった。
「もうやめようかな・・・」と思ったこともある。
でも、そんな思いがよぎるたびに「実家に帰れなくなってもいいのか?」と奮い立たせて、何とかがんばってきた。

・・・ということをくり返す中で、ある時、ふとひらめいたことがある。

「そういえば、ここまで見事な落ちこぼれや劣等生になる経験って、これまでほとんどなかったよなぁ」

そう。私、高校まではふつうにオール5を取れてしまうような優等生だったのだ(イヤらしい表現だけど、学校の成績という「評価」について言えば事実だし、むしろ「優等生であること」が私にとってのコンプレックスでもある)。

働き始めてからは、わりと早い段階で自分の得意/不得意が理解できた(最初に入ったのが成長期の会社で、早いうちに全体を見ることを経験できたのがありがたかった)。そして、「得意なことでストレスのかからない方法でがんばる」という自分なりの「勝ちパターン」を無意識のうちに身につけて、それを続けてきたーーということに、気づいた。

ちなみに、「勝ちパターン」というのは大雑把にいうと「考えること(そして表現すること)」。車の運転でも重要な力だとは思うけれど、「考えすぎると動けない」というマイナス方向に働くこともある。いわゆる「頭でっかち」ってやつ。

ちなみに、担当した本の中で、こんなことを教えてもらった。

「不安」という感情の役割は、「将来の危険を予測して、シミュレーション」させること。(参考:『ストレスとうまく付き合う100の法則』下園壮太著)


私の場合、車の運転への不安感が、「考える」という自分の慣れ親しんだパターンを強化して、「シミュレーションばかりさせて動けなくさせる」という状況をつくり出していたようだ(だからアクセルが踏めなかった)。

余談だけど、私は「強みアドバイザー」でもある。メンタルタフネス協会が主催する「強み診断」を元にしながら、いろんな方の強みを引き出すお手伝いをするというのが主なお仕事だ(今は多忙につき開店休業状態だけど、2021年には再開させるつもり)。

学ぶ中で「おもしろい!」と感じたところは、「強み」と「弱み」は基本的に同じ能力・才能だということ。ある才能がその人がいる文脈・シチュエーションの中で、「いい感じ」に発揮できていると「強み」になるけれど、「残念な感じ」に発揮されてしまうと「弱み」になる。

つまりは、「強み」も「弱み」も、自分にとって使いやすい武器なのだ。
使いやすいからこそ、使う頻度も多くなる。
特に困った時なんかは、自然と“それ“が出てしまう。

だけど、新しい分野(特に苦手なこと)への挑戦だと、“それ“がかえって足を引っ張ることもあるのだと、今回、しみじみと実感したわけだ。

そして、ちょっと冷静になったら、こんな気持ちになってきた。

「ここまで落ちこぼれられることって、なかなか少ないかもしれない。よし、これはいいネタになるぞ!」

というわけで、落ちこぼれ経験から見えてきた
「苦手なことに取り組む時に大事なこと」
を、まとめてみようと思う。

大事なのは、自分にとって使いやすい才能・スキル・能力を、「弱み」ではなくて「強み」として使えるようにすること・・・となれば理想だけど、苦手なことだからこそ、思い切りハードルを下げておこう。

目標は、慣れ親しんだ武器が「弱み」として足を引っ張らないようにすること。あくまでも「合格ライン」のクリアを目指すことを考えよう。

そうした時、私が考えるポイントは大きく分けると次の5つ。

①「苦手」「できない」をモンスター化させない
②「自分よりできない人」と比べる
③徹底的に愚痴る、時には泣く、そして寝る
④スライムを倒し続ける
⑤1分1秒でも先にやる

と、これ以上続けると超大作になりそうなので、続きは次の更新にて。

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