自我と性自認

男性になりきれない私、男性だと認められない私、男性ではないと否定される私、男性になりたいんだろうと貶される私、男性になりたいならと堕とされる私、そうして私は男性ではない物になった。

女性になりきれない私、女性だと認められない私、女性ではないと否定される私、女性になりたいんだろうと貶される私、女性になりたいならと堕とされる私、そうして私は女性ではない物になった。

いったい私は何者だったのだろう。私は男性だったのか、女性だったのか、男性になりたかったのか、女性になりたかったのか。私はただ私でありたかっただけなのに、私は私だったはずなのに、私はほんとうに私なのだろうか。

精神と肉体を否定され、傷つけられ、私はいつしか自傷することをやめていた。私が自傷することをやめると人々は私に自傷することを求めてきた。それでも私が自傷しないでいると人々は私を堕としめてきた。私は知ってしまっている、自傷したところで認められず否定され傷つけられることを。

私は何がしたいのだろう。私は何を言いたいのだろう。私はこんなことをしたいのではない。こんなことをしている場合じゃない。こんなことをしている暇はない。こんなことをしている時じゃない。私は私なのか、あるいは私の人生は私のものだったか。いつから私は私のために人生を歩んでいないんだ、私は何をしているんだ。これは私なのか。

というお話。

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