フェミニズムについて(2/2)

自身の前記事を公開するにあたり、他の著者の記事へ送らせていただいた過去の自身のコメントが言葉足らずの部分を補う役割を果たすだろうと思い、こちらに自身のコメントを2回に分けて自己転載させていただきたいと思います。

元記事はHatena Blogのよしき (id:tyoshiki).さんの2017年9月2日の記事『 フェミニズムの基本的4類型についてのおさらい - 頭の上にミカンをのせる (tyoshiki.com) 』( https://www.tyoshiki.com/entry/2017/09/02/003801#comment-6801883189088249544 )です。
以下【】内における『』内の言葉は上記の記事よりの引用です。

以下【】内に自身のコメントの原文をそのまま転載いたします。


【「自コメントの言葉足らず」に対する考察と反省です。
(私がフェミニズムと触れたのは2003年~2010年の初め頃の事であり、かれこれ10年以上もフェミニズムの第一線からは離れたところを歩んできた者の言葉です。先のコメントを投稿した段階では「フェミニスト原則の再確認を呼びかける共同声明(2021年くらいにあったの?)」などの存在は知りませんでした(2021年7月15日のnoteの記事『フェミニズム連合の崩壊』で概要を知りました。ありがとう)。正直、現代フェミニズムからしてみれば私の言葉は古典といって差し支えない物だと思います。そういう点から振り返ると私の言葉はリベフェミに近かったのかなぁ?)

ラディフェミの『被害者ではない第三者が告発することも認められない。』、この部分に対する私のコメントが『自衛の場合以外ではなるべく戦いたくはない。』なのですが。それは「当事者の声を他者が代弁する事によって当事者の声がかき消されたり、捻じ曲げられたり、発言機会を奪われたりしてはならない。」と思うからであって、単に「当事者が自己弁護すればいい」とはならないと思っているからです。故に『誰かを弁護しなければならなくなった時に言葉にしてきた言葉がフェミニズムに適っていたならば幸いと思う』とも私には言えるのです。このことは次に挙げるコメントなどにもあらわれていると思います。

リベフェミの項目で話した『極論を言えば対象が女装した男性であってもフェミニズムは生じる問題に対してなるべく偏ることなく問題解決に取り組むべきで(以下略)』→これを言い換えると「フェミニズムは、発言者の恣意に基づいてそれはフェミニズムで取り扱うべき問題ではないと言ったり、わざわざレッテルやバイアスを掛けたり増強したりすべきではなく、もとより女性の権利だけを主張するものであってはならないはずである。」と、少なくとも私はフェミニズムとはこういうものだと捉えています。他のフェミニストがどう言うかはわかりませんが、私個人としては「シスターフッド」というものの本来の意味するところの「連帯や絆」を重視するのであれば「シスターフッド」と同様な関係が存在しうるだろうと考えます。ただ流行りのLGBTとアライの関係というのは何となく私の気持ち(居心地)が悪い(格差あるいは庇護関係の肯定あるいは再生産に見える≒現象としての部分ではなく道義的な部分でフェミニズムに反しているように見える←うまい表現が出来ていないな)し、障害者がLGBTに対して「お前のは趣味だろう」と言うのを目の当たりにしてきているので、理論上は「存在しうるだろう」としか私には言えない。

マルフェミに近い立場から話すと、話しが飛ぶけれど、リベフェミの「性別役割を認めつつ共働きにおける家事分担の平等というアクロバティックな主張」には詳述を抜きにして語ることがよくできるなと感心させられる(嫌味ね)。ここで言う「家事分担の平等」については慎重に理解しないと過労死問題や賃金格差問題と生涯未婚率問題の関係に応えられなくなってしまう。あとリベフェミは「女性の社会進出を推奨」はしてはならないと思う(「女は家に」の裏返しなだけだから)、一方で「女性の社会進出の機会とその為の資源は守られるべきだ」という発言は“していいだろう”し、「(政治経済などを含む)意思決定における男性優位社会(少なくともそう思える現象に対する)の是正」についても発言“していいだろう”と思います。ここで「すべき」という表現ではなく「“していいだろう”」という表現を選択するのは我ながら「当事者が自己弁護すればいい」に近いものがあるだろうと自身に対して感じてはいるけれどね。ただし、私は『フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ』はしない。社会構造に関するテーマの一つとしての「会社とは人々が集まり役割分業によって生産性を追求するものだ、故に職業に貴賎はないのだ」というお題目を応用適用するのであれば、夫婦というのもまた「伝統的な役割分業の一例」に固執し男女を対立させる必要は必ずしもないはずであると考える(←ああ、ここら辺の考え方が「私の同性婚に対する考え方の寛容さ」に影響してるっぽいな)。あと一つ、マルフェミが「女性兵士に反対している」のかどうか私には分からない。というのは「女性(専業主婦)としての立場から“戦争(労働/戦争に従事することを労働と言ってはいけないんだけれどね)”という事象に意見をするのと、女性兵士(共働き)としての立場から意見をするのでは意見に相違点が生まれるのではないかと個人的には感じられる(インターセクショナリティ論/当方はあまり詳しくはないと申し上げておく)」からで、その上で「子供を産めるのは女性だけなのだから女性は政治的に大切にされるべき」という考え方はフェミニズムに反する考え方(格差あるいは庇護関係の肯定あるいは再生産に見える)であると感じられる(とはいえ女性の徴兵制に賛成とまでは舵を振り切れないんだけどね)。

草の根フェミの項目にあった『「プロとアマの距離をできるだけ近づけること」が目指された。』というのに共感を持っている事については話しておかなければならないだろう。というのもフェミニズムはごく一部の学者の為の道楽であってはならない(専門用語ばかりで敷居が高すぎるのでは社会をよくする道具足り得ない)し、「フェミニズムは一人一派」などと言われてしまう事こそが「フェミニズムを共有できていない証左」であろうと私は思う。まぁだからといって「従来の理論について知識も興味もないならば声を上げるな」とまでは思わない、「できるならば当事者が声をあげられるべきだし、フェミニズムはそれをサポート(理論的に補強したり私怨と公共性を分ける補助をしたり)するものであってほしい」と私は思っています。

とりあえずは以上までということで、お許し願いたい。「フェミニズムって難しいし、めんどくさいなぁー」って我ながら思ってしまう(苦笑)。】(2024年3月7日 satomi_favilla)

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