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さくらのおもいで

今年の桜はのんびりしていたから、新一年生が桜と一緒に記念写真撮ってて微笑ましかったです。
例年、青々しい桜だから、なんだかなぁと外野ながらに思っていたので。

だからって、自分の入学式の時の桜の様子なんてさっぱり覚えてないんですけどね!
人生で一番のショートにして恥ずかしかったことは覚えてる。
それ以来ショートカットにしていない程度には似合っていない自覚があったんですよ、6歳でも。

桜にまつわる思い出、と言われて最初に思い浮かべるのは、友達ふたりと一緒に旅行した春の京都かなぁ。
高校卒業してみんな違う大学に行ったけど、誰が言い出したんだったか久々に遊ぶことになって、数泊の旅行。大学生の春休み、長いからね。

私は初日から寝坊して飛行機に乗り遅れて、新幹線で追いかけました。連絡手段のある時代で本当に良かった~!!
子細は覚えてないけど、最終日の京都は覚えてる。
桜が咲きかけで、春を感じるには少し早くて。
でもその幼さが写真にはちょうどいい。そんな日でした。

ふたりが写真撮って、私はふだんから写真は撮らないからそんなふたりを見たり、時刻表調べたり。
桜の咲く道を、私は先を歩いて、ふたりはのんびり桜撮りながら歩いてました。

どうしてこの旅行の中でここだけ覚えてるか、というと。
ふたりののんびりさに、もやもやしてたから。

時間が迫ってたの。帰り、飛行機か新幹線かも覚えてないのに、急いでいたことは覚えてる。
でも声を荒げて空気悪くしたくないし、ふたりが楽しそうにしているのも邪魔したくないし。
だから、いつもはふたりの後ろを歩くのに、その時は前を歩いて、そんなことで意思表示……してたつもり。

で。
これで本当に間に合わなかったらもっと強烈に覚えているはずなので、きっと間に合ったんでしょう。たぶんね。

なのにもやもやだけは覚えてるって、なんでかなあ。
要領悪くて、時間のことばかり気にして桜を楽しめなかった、という気持ちは確かにある。
もっと純粋に、ふたりと京都を楽しみたかったのかも。

やっぱり、時間に追われない人生がいいな。
遅れてしまっても大丈夫と思えるだけの余裕(時間も財力も)があれば、ふたりと一緒にゆっくり桜見楽しめたかなー、と思うので。

この数年後に同じ京都の桜を観光タクシーで周って見せてくれたひとのことを思うと、いやほんといろんな余裕持ちたいなと考えるわけです。

#表現者ルーティン


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