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3.11_体験から思う『本質は何か。』

あれから10年。3.11.東日本大震災から1つの節目の本日。
今日はどこもかしこも、東北の災害についての特集がされるに違いない。
災害については言うまでもないし、それはそこにお任せして。
私は私の体験を通じ、思った事を忘れないように記したいと思う。
あくまで、これはマイストーリーだ。

当時、化粧品メーカーの営業ウーマンだった私は、年に一度の大きな展示会のために幕張メッセに居た。
栃木の本社と電話している時、地震は起こり始めた。
まだ、幕張に振動が訪れないうちに、もっと北の栃木には振動が到来し、
14:46 電話中に地震が来た事を知る。

訳がわからない現場は混乱を来たし、一先ずは全員建屋から出て裏の駐車場へ非難する。
しばらくは、余震も心配されるため、迂闊に建屋内に戻るわけにもいかず、駐車場の車のテレビをつけて情報収集だ。
15:10 一旦落ち着いて、中に入ってみると、壁は一部剥がれ落ち、
商品は投げ出され、床に大きなヒビが走っていた。

少なくとも、自分達が経験した事のない大きな地震が起きた事には変わりがない。

この展示会は、大企業だとメーカーそのものが出展しており、
我々みたいな小さなメーカーは、卸業者さんのブースの一部に出展させて貰っており、
お客様として小売店の方々が来場している図式だ。

つまり私たちは、取りまとめをお願いしている卸業者さんのお陰で出展できているので、
指示は全てその卸業者さんに従う事になっている。

さて、これからどうするか。
少なくとも、この破損状況でこのまま展示会を続ける事は不可能で、
あと2日ある展示会も復旧するのが難しいであろう。
何故なら商品だけではなく、会場そのものの破損が見られるからだ。
ここまで酷い状況だと、今度は今会場にいる人々の帰宅がまともに出来るのかが心配である。

電車も止まっている可能性が高いので、一斉に帰る事は不可能だし、固まる事は得策ではなく、個別に帰れる手段で帰していくのが良いと思われる。
帰宅困難者が出た場合、まだ3月の夜は寒い。
既に夕方になりつつある時間にはその予感が出てきた。

早く『解散!!』と言って欲しいのだが、当のお世話になっている卸業者の責任者の方は、何も言わずに、ウロウロするばかり。
現場で1番偉い人がいる以上、その方の指示を待つのは、素晴らしい秩序維持力だとは思うが、
明らかにこのままだとこの卸業者の会社の人もそれに携わるメーカーの人も帰りが危ぶまれる。
痺れを切らした私は、この卸業者の社員でもないが、責任者の方に言う。
『いつまでこのままにするつもりですか』
と。
その方は、
『本社と連絡が取れないので指示が出せない』
と言う。

その返事に私はブチ切れた。

お世話になっているとか、この方のお陰で出展できているとか、そういうの完全にどうでも良くて。

責任者だったら、本社が云々じゃなくて、ここにいる何十人ものメンバーの安全第一に事考えろや!!
(私の心の声)

キレた私は更に続ける。

『あのですね、本社の連絡なんて、この非常事態下でいつ連絡とれるか分かりませんよ。
こんな状況で、展示会続けろなんて、あり得ないでしょ?!
それより、これからどんどん寒くなって行くのに、早く社員や皆さん帰さなくてどうするんですか?
判断遅くて帰れなくて、風邪ひいたり体調崩したりして、あなた責任取れるんですか??
さっさと解散させてくださいよ。
あなたのその指示を皆待ってるんですよ。』

と、本当に当たり前のことを言って、渋るその人に『解散』と言わせて、解散する。

その会社の他の社員さん達には、
『あの時佐藤さんが言ってくれなかったら、いつ帰れたか分かりませんよ』
と、感謝された。
きっと、その会社の社員さんが言いたかった事を代弁しただけだと思うんだけどな。
確かに、会社員である以上、会社の組織の指示に従う事は、大切だし、外れたらその会社のその後の地位に影響する事だと思う。

本当にすべき事はなに?
それは、その時直面した事象によって変わるだろう。

こんな緊急事態がいつも起こる訳ではないが、自分たちは、常に判断をして社会生活を送っている。
大まかには社会的や会社のルールがあるので、それに従えば大体良かったりするが、そのルールの範疇に収まらない時はどうしたらいいのか。

そんな時、立場やルールに囚われず、
皆がより良い状況になれる判断をしていきたいと思う。

以上、震災の自分の体験から得られたこと。
震災のマイストーリーでした。

被災された方々に追悼の意を送ります。

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