名曲あてがき小説「プロポーズ」
♫ FLYING KIDS/幸せであるように
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夏真っ盛りの昼下がり。
白い百合の花束を抱えた一人の老人がそこに立っていた。
山の中に建つ老人ホーム「健寿館」
葉蔵は、この名前が嫌いだった。
「なんやねん。逆に健康やないって言うてるのと一緒やんけ」
着慣れないスーツに身を包み、背中にじんわりと汗を流しながらホームの前で立ち尽くしていた。
高校を卒業後、作業服に身を包んだ暮らしを定年するまで四十年。
スーツを着た事と言えば、成人式と両親の葬儀。
三十年以上も昔の結婚式。
人生の中で、スーツを着たのは、たったの四回。
ネクタイを締めるのに三十分以上も掛かった。
「あかん。やっぱり帰ろ・・・ちゃうねん!今日は行くんや!」
何度も自問自答を繰り返した。
まだ若くて、やんちゃをしていた頃に、その女性に出会った。
軽い恋愛のつもりだった、まさか子供が出来るとは思ってもみなかった。
「あほ!お前、男やろ!責任とらんかい!」
父親に、彼女との事がバレ、全力で殴られ、渋々ながら結婚をすることになった。
結婚が決まると進むのは早く、気がつくと一緒に暮らし始めていた。
好江は地味な女だった。
葉蔵の好きな派手で化粧っ気の強い女とは真逆の女。
「これで、打ち止めか・・・しょうもない・・・」
酒に走り、好江に手を上げる事も増えていた・・・。
「すいません・・・せやけど、ご飯だけは食べてください・・・倒れたらあきません」
「やかましい!お前は俺の稼ぎが欲しいだけやろ!」
「・・・お酒は止めてください。ちゃんと食べてください・・・」
「うるさい!」
喧嘩が当たり前のようになっていた暮らしの中で、男の子が生まれた。
子供が生まれ、平和になったと思ったのも束の間。
その子が心臓に病気を抱えてる事が分かった。
「お前のせいじゃ!お前のせいで俺の息子は・・・お前が死ね!」
酒の量も増え、また好江に当たる事も増え始めていた・・・。
気がつくと家に帰る事も徐々に減り初め、朝帰りが当然のようになっていた。
そんな暮らしを二年が過ぎた頃。
いつものように朝方、葉蔵が帰ると好江が息子を抱きしめながら泣いていた・・・。
「お、おい・・・どないしたんや?」
おそるおそる声を掛ける事しか出来なかった。
「・・・あんた・・・なんで、もうちょっと・・・早う・・・早う帰って来てくれたら・・・」
好江の腕の中には静かに目をつぶり、動くことの無い息子がいた。
頭が真っ白になった。
「すまん!すまん!・・・すまん・・・なんで・・・すまん・・・」
膝から崩れ落ち、涙が止まらなかった。
その日から、人が変わったように働きはじめた葉蔵。
やがて、一人娘にも恵まれた。
それからの二十五年、穏やかで静かな、充分に幸せと思える暮らしが続いていた。
「お母さん。お父さんにプロポーズされたことないって言うてたけどほんま?」
「ん?何を言うてんねん。そんなんいらんかったんや」
「ほな、今度言うてあげたら『俺と結婚してくれ』って」
「言えるか!」
痴呆が始まり、娘も結婚と同時に家を出てしまい、好江はホームに入ることになった。
その帰りの車内での冗談のような会話の中で出た話だった。
「・・・もうそろそろ、旦那さんの事が分からんようになるかもしれません。驚かないようにしてあげてください」
医者の言葉。聴きたくは無かった。
それはやがては来ると思っていた、ただこんなに早く・・・。
そんな気持ちが葉蔵を包んだ。
「なんでや!これからやんけ!俺、まだ何にもしてあげれてないやんけ!俺は・・・お前が・・・」
葉蔵の目から涙が溢れだした。
「あいつは・・・好江は、ずっと、こんな俺を受け入れてくれたんや・・・次は俺があいつの全部を受け入れる番や・・・」
・・・スーツを着込んで、白い百合の花束を手に、右のポケットには指輪。
「俺、あいつの指のサイズも知らんかってんな・・・」
葉蔵はポケットの指輪を軽く握り、ホームの玄関をくぐった
【了】
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