3月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る。

 蛍に関する思い出ってありますか?

 僕の実家は田舎で山の方にあります。
 実家の目の前は農家で、商品にならなかったレタスやトウモロコシなどをよく貰っていました。

 自然豊かと思ったことはありませんが、それなりに自然と人の生活が混ざった場所で僕は育ちました。
 僕ら家族が住み出した頃、近所の川は台風で一度氾濫したことがあり、それからダムが建設されました。
 川が氾濫したことで、山の方に住まわれていた高齢の女性の方が亡くなりました。父と母が喪服に着替えて、午前中に出かけて行ったことを今でも覚えています。

 ダムが建設されてから数年、川では魚や蛇、亀などを見かけなくなりました。
 見かけなくなった生物の中には蛍も含まれていました。

 大人たちから蛍の話を聞く度に僕は、蛍を存在しない美しいものだと想像するようになりました。

 物語で見る蛍はいつも美しく、幻想的です。
 だから、現実でもそうなのだろう、と。
 勝手な予想を僕は信じていました。
 そんな僕が蛍を生で見たのは高校生になった頃でした。

 何が理由だったか覚えていませんが、僕と弟と母親の三人で、住んでいる実家よりも山の奥へ行って蛍を見ようと言う話になりました。
 周囲は真っ暗闇で、遠くに外灯が仄かに光っているだけの場所で、川の音が静かに響いていました。
 僕たちが立っている場所から川までの距離はあったものの、その川に蛍はちゃんといて、薄ぼんやりと光って見せてくれました。
 初めて見た蛍はお世辞にも綺麗とは言い難く、ちっぽけでした。僕はがっかりしたのか、醒めた気持ちでいたのか、今となっては覚えていません。

 生き物が自ら光を発する。
 それも求愛行為として。
 それは神秘的なことです。

 ただ、時として認識と現実は乖離してしまいます。
 もし今、蛍を生で見られるのなら僕は間違いなく、あの頃とは違ったものを感じることでしょう。

 それが乖離をより広げるのか、縮めるのか。
 今のところは分かりません。

 現在の僕が「蛍」という単語を聞くと、まず思い浮かぶのは村上春樹の短編「蛍」です。その短編の中で、「僕は彼女と寝た」という一文が出てきます。
 何でもない一文ですが、それを読むと思い浮かぶ漫画があります。

 それがシギサワカヤの「九月病」です。
 物語の冒頭は以下の様に始まります。

 私は兄と寝た。
 …したかったからだ。

「九月病」は分厚い上下巻の漫画で、二人で暮らす兄妹の近親相姦と彼らの周囲の人間たちが描かれる物語です。

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 長い時間をかけて描かれたからでしょうか、上巻の冒頭と下巻のラストを見比べると絵柄が少々変わっています。
 それが登場人物の時間経過とも絡まって味わい深く、僕はそこも含めて「九月病」という漫画が好きです。

 僕がこの漫画に出会ったのは高校生の頃でした。
 読んですぐに大好きになって何度も繰り返し読み、実家を出て初めて一人暮らしをするとなった時も、「九月病」と「ノルウェイの森」だけは持って出ました。

 十八歳の頃、小説を書きたいと思っていた僕の指南書が「九月病」と「ノルウェイの森」だったというのは、良いのか悪いのか。
 未だによく分かりません。
 何にしても僕自身はこの二つの物語に強い影響を受けていることは確かです。

 そんな九月病はどんな物語かを説明したいと思うのですが、以前作者であるシギサワカヤが
海老沢碧という通称「兄貴」が活躍する漫画
 と書いていました(うろ覚え)。

 いや、そうなんだけど、海老沢碧は女性だし、本編で兄貴呼ばわりされるけれど、そこを切り取ると何も語れなくなる気がするんですけど? って僕はなりました。
 けれど、あえてその説明に乗っかりたいと思います。

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(下巻の表紙が海老沢碧、通称「兄貴」です)

 海老沢碧、通称「兄貴」がいじけた主人公、伊坂広志をぶん殴って更生させるのが、「九月病」の醍醐味です。
 この主人公、伊坂広志は長男らしく責任感が強く、どこか傷つきやすく、脆い人間です。
 ただ、外見もよく、社交的である為、彼の脆さは周囲の人間には認識されていません。

 そんな精神的に脆い彼は、婚約者に手痛くフラれた後、妹の伊坂真鶴といとも簡単に関係を持ってしまうところから、物語は始まります。
 妹の伊坂真鶴は兄に恋をしていて、失恋のクッション役であっても彼女は喜んで応えて彼を甘やかしてしまいます。

 上巻を読んでいる時、この二人の関係に出口はあるのだろうかと殆ど絶望的な気持ちになります。
 いえ、出口はあるのですが、彼らが幸せになる道が一切見えないのです。

 そんな時に登場するのが、通称「兄貴」こと海老沢碧です(女性です)。
 彼女は伊坂広志の同僚です。
 登場当初、伊坂広志に一方的な酷い目に遭わされます。

 そんな酷い目の後でも、彼女は主人公のことを見捨てず、優しい言葉をかけます。
 それでもいじけ続ける主人公に対しては、ぶん殴ります。
 最高です。

 ここで作りとして秀逸だと思うのは、伊坂広志がどちらの女性とも恋愛関係に陥れなくなっていることです。

 肉体関係はあるけれど、妹である伊坂真鶴。
 酷い目に遭わせてしまった為、恋愛関係になれない同僚の海老沢碧。

 伊坂広志がいじけないよう成熟する為には、誰にも寄りかからず、寄りかかられずに生きようと決心する必要がありました
 と考えてみると、十八歳の僕はこの一人で生きようとする主人公を自分に重ねていたのかも知れません。

 実家を出て、まったく知人のいない部屋で一人暮らしをしないといけない訳ですから、不安でない方がおかしかったのでしょう。

 ちなみに、今になって「九月病」を読み返してみると、矢崎仁司監督の「三月のライオン」という映画が浮かんできます。
 羽海野チカ原作の「3月のライオン」ではなく、古い邦画の「三月のライオン」です。
 調べてみると、公開は1992年でした。

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 こちらは記憶喪失になった兄を妹が連れ出して、私たちは恋人同士なのだと言って、同棲生活をするというものです。
 まったく別のものとも言えますが、幾つかのキーワードと空気感が似ているので、「九月病」がお好きな方は是非「三月のライオン」を見てみてください(もしくは逆もしかりです)。

 BGMが一切なく、説明を殆どしない映画なので、最初は戸惑いますが中盤辺りから引き込まれます。
 見終わった後、矢崎仁司監督の他の作品も見たくなります。

 最後に矢崎仁司監督をオススメして終わってしまっても良い気はするのですが、くだんのシギサワカヤの作品はどれも素晴しいので、こちらも是非。
 シギサワカヤ作品に触れたことがない方には「さよならさよなら、またあした」をオススメしたいです。

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 個人的に印象的なのは「つめたく、あまい。」という短編集です。
 そこで、話と話の間の一コマで、セックスのあと裸で寝る男の手にのどあめを握らせるシーンがあります。
 のどあめにやじるしがあって以下のように書かれています。

 やさしさ。
 (ただし毛布をかけたりしない)
 (何となく むかつくから)

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 シギサワカヤ作品の女性ってこんな感じなんですよね。
 何となくむかつくから、という行動理由が当然って顔をするシギサワカヤ作品の女性が僕はたまらく大好きです。


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