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【北海道釧路市】初めての里帰り旅行part3

〈part2からの続き〉

阿寒湖畔にある「あかん遊久の里 鶴我」に宿泊し、最高の朝食も頂いて、チェックアウト。
からの、ロングドライブ。
「道東の、道は続くよ、どこまでも」

この日は朝から大移動の日だった。

阿寒湖~津別町~美幌峠~弟子屈町~屈斜路湖~砂場~摩周湖~阿寒町

走行距離約300キロ(ずっと下道)
北海道の雄大さと、大自然と、信号の少なさを目の当たりにした。

特に摩周湖の神秘さは、「人生で一度は見に行った方がいい!」と言いたい。
が、3歳の娘の「またみずうみ〜(飽)」という落胆が、ゆっくり摩周湖を見る事を許さない笑
まぁ、3歳からしたらどれも同じ湖だし、ずっと車に揺られて飽き飽きだろうな
毎回ソフトクリームとガチャガチャでご機嫌を伺う(ジィジが買ってくれる)


さて、行く前に調べ、とても楽しみにしていた「アイヌ民族」について。
現存するアイヌ民族の集落アイヌコタンへ行ったが、
そこはまさに「観光お土産エリア」
もちろん先住民族の文化的な背景があるのだろうが、
商売感が前面に出ていて、ちょっとヒイテしまった。
しかも義両親ともアイヌコタンのある阿寒湖町に7年程住んでいたそうだが
今まで一切、結婚してからは勿論、釧路に来てからも、アイヌ民族の「ア」の字も出てこない。
アイヌコタンの近くを一緒に歩いていても、全く触れないので、
こっちから振ってみても、木彫りのお土産くらいしか特に広がらず。笑
思ったより、アイヌって、本州で言う古墳的な感覚で、
興味がある人しか寄らないよね。っていう認識なのかも?
もっとも、ゴールデンカムイとかで、若い人の方が興味があるのかもな~
せっかく、空港や観光センターではアイヌ民族のパンフレットが沢山置いてあり、
文化的にも大変興味を注がれるのだけれど、、、
やはり札幌から道東への動線が難しいのか?
琉球王国の首里城の様な、一目見ただけで分かりやすい建造物がないからなのか?
コミュニティの成り立ちや、他地域との交流、明治政府による弾圧、考えればキリがないが、
ちょっとかじっただけでは全く想像出来ないので諦める。
(そもそもアイヌは一つの地域に定住するのか?)

それとは対極に、バブルの面影が阿寒湖周辺の街並みに残る。
1980年代後半〜90年代前半にかけて、企業の社員旅行で、阿寒湖周辺のホテル、旅館に大型バスで乗り付ける。
まさにバブルの風習が日本の最北東にも存在していた。
当時、そのホテルの1つに勤めていたお義父さんから色々話を聞けて、興味深かった。
静岡の熱海や、長野の戸倉上山田温泉に行った時も感じたが、
温泉街、大型ホテル、社員旅行、大広間、宴会、スナック、コンパニオン、瓶ビール、お酌文化、、、
「古(イニシエ)の文化」笑
とまではいかないが、やはりその世代ではないからこそ、その面影を見ると
郷愁を感じてしまう。
これが俗に言う「エモい」なのか?笑

<4日目>
前日のバーベキューで飲みすぎて、朝はゆっくり起きた。(バーベキューはpart4にて)

4日目は厚岸に連れて行ってもらう。
厚岸はお義母さんの出身地で漁師町である。
阿寒町から下道で1時間くらい。

厚岸の漁協で15,000円程海産物を買い込み、海なし県の実家に、厚岸の牡蠣を送ってあげた。
(我ながら、なんて親孝行な息子なんだ笑)
(でも先月父親に会ったら痛風で足引きずってたな、、、まぁいいや)
と、ヤマトの送り状に記入し、支払いが済んでから気づく親不孝な息子であった。笑

北海道で一番美味しかった食べ物は?と聞かれたら
間違いなく「厚岸の牡蠣と厚岸ウィスキー」である!
厚岸の道の駅「コンキリエ」に入っている、オイスターバール「ビトレスク」で食べる事が出来る。
大ぶりでクリーミーな生牡蠣に、今ではプレミアがついて手に入らない「厚岸ウィスキー」を
垂らして喫食。
複雑なウィスキーの香りと、牡蠣のクリームと磯感が、極上。
牡蠣もウィスキーも、「現地」でしか食べられない。

3歳の娘も一丁前に、雲丹と牡蠣のクリームパスタを「なかなか、美味しい」と評していた。
どんだけグルメやねん、と今から先が思いやられる。

ちなみに、自分はお酒は好きだがめっぽう弱いため、牡蠣についてきたウィスキーを嗜んだだけで
顔が真っ赤になった。
その後、そんな少量のウィスキーで酔ってしまったのは言うまでもない笑

〈part4につづく〉

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