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内的自己・外的自己とわたしのリサーチシート(DAY6)

ミスターステップアップの塾生に向けた浜崎洋介さんの講義の動画を観て、
強い衝撃を受けた。
1度聞いただけでは、理解できるわけなく、何度も聞き直したいと思っている。

動画の中で、外的自己・内的自己を、以下のように説明していた。

外的自己
他者(社会)に対して譲っている部分(=仮面)

内的自己
外的自己によってそぎ落としてしまった欲求(=素直な欲望)

今の社会では、内的自己である素直な欲望を前面に出すと、社会では通用しない、我慢しなさいと否定される。

素直な欲望(例)
・宿題をしたくない
・学校に行きたくない
・ずっとゲームをしたい
・お風呂に入らずに寝たい

成長していく中で、内的自己を殺し、誰かが作ったシステムに適合していくことが求められる。

問題は、そんなことをしているうちに、本来あるはずの内的自己が失われ、自分の仮面である外的自己で覆われてしまうこと。

内的自己から来る能動性は失われ、社会やシステムに適合するために、外的自己は受動的になる。
受動的であることは、悲しみにつながる。

****

上記は、講義のほんの始めの一部分。

一方で、ちょうど、自分のこれまでを振り返る
「魅力発見のリサーチシート」に書き込む作業をしていたため、
自分を事例に内的自己・外的自己の理解が深まった。

内的自己を殺し、
誰かがつくったシステムに適合するために
外的自己に覆われる



わたしの場合、中学校からそうした影響を強く受け始めたことがわかった。

中間・期末テストで順位が出る。
それが、成績に直結し、さらには、高校受験に直結する。

個性よりも、テストの点数。
テストの点数が良い子は、必然的にいい子になる。
優等生だ。

優等生は、必然的に、部活の部長になり、生徒会や委員会の長となり、
いい子ちゃんレベルが上がっていく。

昭和生まれの平成育ち。
個性など求められていない時代。

個人を、システムで最も力を持つ『点数』が覆っていく。

学校の先生に、自分のキャラクターを勝手に設定されて、
私がどう感じる、私が何を考えているかなんて、誰も興味がないのだと
虚しくなったあの感情。
あれは、外的自己である仮面を強制的にかぶらされ、内的自己を完全に無視された悲しみだったのだと、今、気づいた。

テストの点を取ることが得意なだけで、
誰もが、私のことをいい子ちゃんにしてくれた。

大人なんてちょろいと思った。

勝手にいい子ちゃん解釈をされるから、無駄に悩むこともなかった。

だけど、虚しかった。

それからのわたしの判断基準は、

  • 社会的に正しそうなこと

  • 人から求められていること

  • 無難なこと

そんな感じだったと思う。

高校の文理選択では、
両親が共に理系だから、私も理系。
文系より、理系の方が優秀に見えて、親が喜びそう。

とか。

ただ、そんな中で時折、内的自己が叫ぶ。

姉よりも、実家から離れた大学に行きたい。

受験の判定テストで、書く大学の枠が余っていた際に、
母が軽く、地元の国立大学の名前を書いたらと言った一言に
自分でも理由がわからなかったが、怒りが噴出して逆ギレした。

とにかく姉よりも、実家から離れた場所に行くことは譲らなかった。

とは言っても、
現役合格すべきだし、理系だから国立だしで、
失敗もしないから、そのまま、とんとん拍子で、大学生になった。

誰かが作った社会のシステムに飲み込まれたまま、
外的自己という仮面をかぶっていることも気づかず、
システムに組み込まれた判断を自分の判断だと信じ、
大学生まで過ごしていたように思う。


研究室に入って、なんか違う。
就職して、なんか違う。
出産して、なんか違う。
娘がアトピーだったことで、なんか違う。

仮面をかぶって、誰かが作ったシステムを受け入れていたはずの私に
違和感が出てくる。

幸い、内的自己、絶滅していたわけではなかったみたい。

まだまだ仮面をかぶっているし、システムの中にいる。

でも、今、私はここにいる。
自分と向き合う。
内的自己を発揮したい。
スターコンセプトがまさにそこにつながっていく。


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