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リラクゼーションサロン経営者であり現役セラピスト(施術者)さとこうもりの長い自己紹介。

🦇さとこうもり🦇
セラピスト歴18年&経営者

18-20歳 社会人スポーツ選手として働く
20-22歳 スポーツメーカーに就職(販売職) 
23-23歳 セラピスト養成スクール卒業
23-28歳 銀座/新橋/新宿/錦糸町/吉祥寺/仙川/代官山/淡路町にて勤務
28-29歳 福岡県内サロンにて勤務
29歳-  福岡県北九州市にて独立開業
33歳-  2店舗目開業(6年営業後閉店移動)
40歳-  2店舗目移転開業

高校を卒業した🦇は、社会人スポーツ選手をして某企業に就職します。しかし2年で退職。プロの道は厳しいのです。

プロの道で成功するのは難しいと思った🦇は退職を決めてから、漠然と“独立できる仕事にしよう”と思っていました。はじめはスポーツトレーナーもいいなと思いました。そしてスポーツ選手に帯同するような働き方をイメージしていました。しかしプロのスポーツ選手を相手にするならアメリカで本格的に学ぶべきだなと考えた結果、ちょっと大変そうだな・・・と諦めました。他にも諦めた理由は、プロスポーツの選手に帯同するという生活は選手同様にタフな毎日になると想像したからです。選手と同様に情熱を持てるだろうかと考えたとき、選手を諦めた🦇には無理かなと思ったのであります。

もう一つ理由があります。それは日本の社会人スポーツ選手は「それほどお金を持ってない」というのがありました。私自身は競技生活が2年だったのでお金の大変さを感じることがなかったのですが、相当の練習量で体を酷使する選手達は治療費やそれに伴う交通費など、多くの出費をしていました。ですから、〈日本のスポーツ選手からお金を頂くというのは大変そうだ〉というのも諦めた理由です。

競技人生を終え、地元福岡へ戻り、20歳で初めて素の自分で就職活動をしました。特に資格や特技のない🦇が選んだのは販売職。スポーツ関係がとっかかりやすいと思い、ゴールドウィンに面接に行き、経歴が面白がられ採用。スポーツ洋品(用品ではない)を販売し、お客さんのニーズに応えたり、売上目標をこなすために工夫したりと楽しい3年を過ごしました。

同時に、“このままではいけない”とも考えていました。同郷の後輩と本屋で資格の本を眺めていたところ後輩が「先輩が言っているのはこういう所ですか?」と一冊の本を開いたのです。

「そうそう、これこれ!こういうの。」と早速資料を取り寄せ、半年後には東京に住んでいました。(元々家を離れて暮らしている時間が長かったり、遠征での外泊も多かったので関東に住むことにも抵抗はなかったです)勝手にどんどん進めたので東京の土地勘もなく安く住める場所として探したのが江戸川区小岩。横浜に居る叔父に「そんな危ない町に住むなんて!」と後に注意されましたが、住めば都です。

セラピスト学校時代は、派遣登録して倉庫作業で日当をもらう経験をしてみたり、宙ぶらりんな時期を楽しんでいました。

学校を卒業した後はセラピストとしての本当の修業が始まりました。修行とはいっても普通に勤務するというものですが、在学中に“この仕事で独立する”という自分の意志も確認したので、新しい店舗を作る際などは初めから携わりたいとお願いして勤務させてもらいました。どうやって集客するのか、どうやってスタッフを集めるのか、誰がリーダーとなるのか、メニュー表作りやベッドはどこで買っているのかのような細かな物まで興味津々で過ごしていました。

東京でセラピストとして落ち着いて来たころ、広い部屋に住みたいと思い引っ越すことに。小岩から調布市の仙川という土地に移りました。

仙川駅の商店街を散策していると、学校時代にお世話になった先生と遭遇。引っ越してきたことを伝えると、「新店舗出すから働かない?」ということで働きだしました。その先生との出会いは学びの連続で、今でも私のメンターの一人です。

東京の生活が6年目に入った頃、同じく関東圏に赴任していた父が早期退職するということで私も自分の身の置き所を考えるようになり、熟慮の結果、福岡県に帰ることに決めました。私にとって帰るというのは=独立するということです。東京から福岡の博多区、中央区やその近郊の物件を見ていました。

しかし、ピンとこないんですね。それもそのはず。博多にほとんど縁がないからです。また思いました。“独立は地元でもいっか”と。東京での生活に慣れて博多という大都市に行くことが当然と当時は思っていたんですね。気づいて良かったです(笑)

実家に帰ってきて、すぐに物件探しをしました。同時に、同業者のリサーチです。すると・・・リラクゼーションサロン流行ってないやん!(心の声)そうなんです。福岡の中堅町ではリラクゼーションは一般の人に浸透していなくて、贅沢なもの、高いもの、怪しいもの、という位置づけだったのです。これではすぐに独立するのは危険だと思い、街中にある(比較的お客様が来ているであろう)お店で働かせてもらい、お客様のリサーチをすることになりました。

そこで初めて業務委託という働き方に出会うのですが、当時は🦇も知識がなくて、「歩合給ってことは、お客様があまり来ないってことなのか?」と思いながら勤務していました。勤務しながら、先輩同僚があまりにも仕事をしないので「・・・・」な気持ちでしたが、業務委託という働き方がそうさせていたのかもしれませんが、一層東京での在り方と違いショックではありました。しかし、2年以内には独立するつもりだったので、淡々とリサーチをしていました。

独立の為に見つけた物件は自宅から2キロの距離。地元です。セラピスト経験はあっても店を出す経験はゼロ。家を借りたことはあっても、店を借りるための融資や相談は初めて。このことは書くと長くなるので割愛。

そして今、会社は10周年を迎え11年目。🦇も経営者として11年。SNSなど苦手で、どうやって活用していったら良いか実はよく分からないのだけど、セラピスト仲間が【10年やってて利益が出てて、スタッフが辞めずにいる店って凄いよ。それは誰かの役に立つよ。】と言ってくれたので、続くかも分からないけどやってみようかな・・・

何か質問とか頂けたら更新しやすいので、セラピストさんの悩みだったり、開業したい方だったり、お客さんの立場の方でもコメントください!

🦇さとこうもり🦇

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