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鍵っ子だった私から見る、後回しにしてしまう深層心理のしくみ

両親が共働きだったので、子どもの頃は鍵っ子でした。

鍵を学校に持って行くのを忘れ、父の職場が家から近かったので、取りにいくこともありましたが、たいていは窓の鍵が空いていたので、窓から入っていました。けれど、窓と言っても、アパートの一階で、ちょっと高い位置に窓があったので、なかなか大変でした。

窓にある柵につかまり、必死でよじ登り、ようやく乗り越えるという感じです。子どもだったから良かったものの、今考えたら完全に不信者です。

さて、鍵っ子の生活がどのようなものだったかというと、一口に言って、罪の意識です。何故と、思うかもしれませんが、これは窓から入ったこととは無関係です。

私には父から命じられた使命がありました。それは、茶碗洗いです。

朝ごはんで使った皿が、朝はみんな時間がないので、そのままにしてあって、帰ってきたら私が洗う。という仕組みになっていました。けれどもそれが面倒くさい私は、ついついテレビをつけ、教育番組に見入ってしまいます。そして、一旦見始めると、もう動けなくなってしまうのです。

しかし、テレビ面白いな〜と思いながらも、私の心の中は茶碗洗いのことでいっぱいです。

「早く茶碗洗いしなきゃ」

「でもでも、めんどくさい!」

この繰り返しです。

やがて、父が帰って来ます。玄関が開いて、ドスドスドスという足音が聞こえます。母の時と音が違うので、すぐ父だと分かります。私の心臓は縮み上がり、ついに台所に行った父に「茶碗洗ってねんでねーかー!」と、怒鳴られることになります。

その繰り返しです。

なんで怒られることがわかっているのに、茶碗を洗えないのか。自分でもわからないのですが、深層心理のどこかに、自分を罰したいという気持ちもあるのかもしれないと思います。そうやって、怒られて、また自分はできない自分なんだと思い込み、さらにその自分を追い込んでいく。そういう負のループによって、自分を許せない自分になっていくのかなぁと思います。

この、やらなきゃならないことを後回しにするくせは未だに治っていません。やりたくないことから逃げるのならまだしも、やりたいこともなんだか後回しにして、スマホやテレビを延々見続けてしまいます。

これでは、本当にやりたいことをやらない内に、死んでしまいます。

とりあえず、茶碗洗いから始めて、1日1個でも、自分のやりたいことをやっていけたらいいな、と思います。