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映画『魔女がいっぱい』原作との比較※ネタバレ有り

2020年に公開された映画『魔女がいっぱい』。初めてこの物語に触れる人はもちろん、原作ファンもどんな映像になっているのかわくわくしたことでしょう!
原作は1983年に発売された児童小説『The Witches(魔女がいっぱい)』。原作も不気味で怖くて、でもわくわくするストーリーでした。しかし、今回映画化するにあたって、いろいろと変更された点もあって……。
今回は原作の小説と2020年版の映画との違いについて解説していきます。
※原作小説・1990年版映画・2020年版映画のネタバレが含まれます。

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画像出典:「ロアルド・ダール」公式Facebook

相違点【ストーリー①】怖い魔女の回想なし

原作の序盤で一気に子どもの心を引き込んだエピソード「怖い魔女の所業」。少年はおばあちゃんに「魔女って何?」と、寝る前に魔女のお話をせがみます。そう、原作ではおばあちゃんは最初から魔女について少年に話していたのです。そこでおばあちゃんが話す恐ろしい魔女の魔法の数々……。
子どもが突然消える、絵になる、鳥になる、イルカになる……あの国の魔女は子どもを実の親に食わせる!このエピソードの数々は世界中の子どもを震え上がらせました。

映画ではおばあちゃんの過去の回想で少し話があるだけです。他の国の他の子は?あまり語られません。しかし、その回想シーンのヴィジュアルは印象的!そんな風に子どもが変身してしまうなんて……あの不気味な女性は……エピソード数は少なくても、インパクトのある場面になりました。

ただ、このエピソードの少なさの影響で、「魔女は女の人なんかではなく、たまたま人間に似ているだけの別の生き物だ、悪魔なんだ」というメッセージは原作より弱いかもしれません。

相違点【ストーリー②】ブルーノくんが素直で良い子

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画像出典:映画『魔女がいっぱい』公式サイト

原作のブルーノくんは常に食べ物を食べていて、父親の金持ち自慢をよくしている男の子。そう、ちょっと嫌な奴なんです。主人公の少年もブルーノくんに良い印象は持っていませんでした。
一方、映画では良い子です。頭が良いわけではありませんが、いやしんぼで純粋。注意しておかなければ食べ物に一直線に走ってしまうような子ですが、なんだか憎めません。原作と違い、良い友達になれそうです。
実際、少年やメアリー(デイジー)と一緒に力を合わせて困難を乗り越えます。原作では力を合わせるエピソードなどはありませんでした。

相違点【ストーリー③】舞台がイギリスからアメリカに

原作の少年は両親を亡くしてから、ノルウェーにあるおばあちゃんの家ですごしていました。少年もおばあちゃんもノルウェーの暮らしを気に入っています。しかし、「イギリスにある両親の家に暮らしてほしい、これまで通りイギリスの学校で勉強してほしい」という両親の遺言に従うため、おばあちゃんと少年はイギリスへ戻りました。ノルウェーよりもイギリスの魔女の方がたちが悪いので、2人は心配していましたが……。
次の夏休みにはまたノルウェーに戻る予定のはずが、おばあちゃんの体調が悪いのでイギリス国内のホテル・マグニフィセントに行くことに……。
という流れでした。

映画の舞台はアメリカです。本作の一番の盛り上がりである「ホテルでの魔女たちとの戦い」をメインに持ってくるために、「魔女のエピソード」「遺言や引っ越し、移動すること」「クセの強い子ども」といった余分になる部分をカットしたようです。
原作のこれらの部分が好きな方には物足りなく感じてしまいますが、映画のストーリーとしてはスピードアップしてスッキリと綺麗にまとめることができました。おかげで中だるみすることなく、テンポも良くなっています。

相違点【おばあちゃん①】魔女ハンターではない

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画像出典:映画『魔女がいっぱい』公式サイト

原作のおばあちゃんは魔女ハンターでした。若い頃は世界中を回って大魔女の居場所を探し回っていたのだとか。子どもの一番の天敵は魔女だと知っているから、可愛い孫が無事に大人まで生きられるよう魔女のあれこれを教えるのです。なのでお風呂も「1か月に1回程度で十分」と言っていました。

映画のおばあちゃんは魔女ハンターではなく、魔術師。魔女のことをあまり知らないのか忘れていたのかもしれません。少年が魔女と対面するまで魔女のことは一切教えていませんでした。本編にはわざわざ「少年をお風呂に入れる」シーンがあります。あまり魔女と対面することがなかったことを暗に示しているのかもしれません。

相違点【おばあちゃん②】親指がある

原作のおばあちゃんは小さい頃に魔女と対面し、その時に親指を無くしたのです。少年が親指のことについて聞くと、おばあちゃんは自分の殻に閉じこもって返事もしなくなります。あの強いおばあちゃんが、黙って震えているのです。どんな言葉よりも重い場面です。どんなことをされたのか?拷問をされたのか?恐ろしいことを想像してしまいます。

映画版のおばあちゃんには親指があります。直接何かされたわけではないからこそ、因縁が薄いように感じます。それだけ魔女の印象が少ないから、おばあちゃんは少年に魔女のことを教えていなかったのかも?

相違点【おばあちゃん③】ノルウェー人ではなくアメリカ人

原作のおばあちゃんはずっとノルウェーに住んでいました。おばあちゃんいわく、ノルウェーでは昔から不思議なことが日常的にあったのだとか。おばあちゃんだけではなく、周りの人たちも不思議なことに慣れっこというエピソードにわくわくします。そんなノルウェーから、たちの悪い魔女のいるイギリスへ行くという展開にも緊張感が増しました。

一方、映画のぱあちゃんはアメリカ人。本作はアメリカ映画なので、アメリカを舞台にしたのかもしれません。どの国が舞台でも問題がないストーリーですが、「不思議なことが起きるノルウェー」の雰囲気がなくなったのは少し寂しくもあります。

相違点【おばあちゃん④】葉巻を吸わない

原作のおばあちゃんは葉巻が大好き!医者に止められても吸おうとするほど。おばあちゃんが葉巻をゆらせる場面は、おばあちゃんが他のおばあちゃんと違う、少年にとって唯一無二の存在である、ということを感じさせる重要なシーンでもありました。
本作は子供向け映画なので、その辺りはカットとなったのでしょう。

相違点【おばあちゃん⑥】若い!

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画像出典:映画『魔女がいっぱい』公式サイト

原作のおばあちゃんは80歳を超えるお年寄りで、肺炎で10日もお医者さんたちにつきっきりで治療されるほど体も弱っています
映画でおばあちゃんを演じたのはオクタヴィア・スペンサー!映画公開時オクタヴィア・スペンサーは50歳。本作のおばあちゃんはもう少し年を取った設定のようにも見えますが、それでも若く感じます。しかし、この原作との違いおかげで、魔女との戦いにおばあちゃんも参戦できました。

相違点【魔女①】指先

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画像出典:「ロアルド・ダール」公式Facebook

原作の魔女の指の先には、爪のかわりにかぎづめが付いています。
一方、映画の魔女は、指が3本でかぎづめになっていました。もしかしていると、に寄せているのかもしれません。拍手の方法も実にユニーク。
実際に言葉にはしていませんが、「魔女は女の人ではなく、人に似ているだけの生き物」ということをこういった変更点で表現しているようです。

相違点【魔女②】大魔女が強すぎる!

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画像出典:映画『魔女がいっぱい』公式サイト

原作の大魔女の顔は腐っていて恐ろしく、目からビームを出します。
映画の大魔女の顔は腐っていません。演じたのはアン・ハサウェイなのでどう転んでも美人です。しかし、口が裂けていて笑った顔が……演出も演技も合わさってとても怖い大魔女になっていました。
そして物理的な力も強く、魔力も強く、浮きます!強大すぎる敵として大魔女が立ちはだかるのです。本作では大魔女との対決をメインにしているので、原作より強化されたおかげでかなり盛り上がったように思えます。

相違点【魔女③】執着心

原作の魔女にとって、子どもを殺すことが唯一の楽しみ。子どもが不愉快だから愉快に消そうとします。子どもの見分けは付いていないようです。どの子どもだろうと殺せるのならどれでも良い、逃げられたら別の子どもを捕まえる、といった感じ。個の子どもには執着しません。人間社会にもあまり関心はないようで、人間の仕事をしているのも人間たちへのカモフラージュにすぎないのです。
一方、映画の魔女はとても執着しています。逃がした子どものこともずっと覚えていて、大人に成長していても気付きました。そして、人間たちの使うお金が大好きで、人間社会にも執着しているようです。この人間的な一面のおかげで、本作はコミカルになっています。

相違点【魔女④】目立つ!

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画像出典:映画『魔女がいっぱい』公式サイト

魔女の目的はあくまでも「子ども」。そのためなら何だってします。地味な格好、目立たない行動、優しい人間のように振る舞い、まさか子どもを殺した犯人が自分だなんて、誰にも思わせません
しかし、映画に出てくる魔女たちは目立つのなんのって!何かあれば「こいつが犯人だ!」と言われてしまうでしょう。魔女たちの人間ぽさや目立つ行動は、原作の魔女らしさはありませんが、映画の中にコミカルさを生み出してくれました。

相違点【結末①】ブルーノくんは両親の所へ戻らない

原作のブルーノくんは両親の元に帰りました。両親はネズミが苦手ですし、あんな姿になった子どもを受け入れられるのかも分かりません。ただ、おばあちゃんは「これがブルーノくんです」と事実を告げて渡したら、ホテルを後にします。そこでブルーノくんの登場シーンは終わり。その後の彼がどうなるのかは分かりません。少し冷たく感じるかもしれませんが、原作のブルーノくんは登場するシーンは少ないので、こんなにあっさりしていても違和感はありませんでした。

映画では、両親の元に戻ることはありませんでした。この「親だけが家族じゃない。人間でもネズミでも血がつながっていなくても、力を合わせて一緒にいられれば『家族』だ」という展開は、原作の「人間じゃなくてもネズミでも良い」という結末に通じるようにも感じます。

相違点【結末②】3人のネズミ

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画像出典:映画『魔女がいっぱい』公式サイト

原作にはメアリーはいません。そしてブルーノくんも両親の元へ戻りました。残ったのはネズミになった少年とおばあちゃんだけです。ネズミ人間の少年の寿命は8~9年程度になったけど、おばあちゃんの寿命もそれくらい。だから少年は寿命が短いと嘆いたりはしません。愛する人がいれば、自分が誰なのか、どう見えるのかなんて気にならないのです。そして2人は死ぬまでに魔女たちみんなをやっつけようと旅に出ます。

『魔女がいっぱい』は、1990年にも映画化されています。それが映画『ジム・ヘンソンのウィッチズ/大魔女をやっつけろ!』。その90年版の映画のラストは、「魔法使いによって少年が人間にもどる」というものでした。「人間に戻ってめでたしめでたし」なストーリーは、子ども向け映画としてはスッキリしているものの、原作の「見た目や寿命は関係ない」というメッセージとは真逆のものです。作者のロアルド・ダールも気に入らなかったのだとか。

一方本作では、少年以外にもネズミになったメアリーとブルーノくんと一緒にネズミであることを楽しみます。そして、仲間やおばあちゃんと一緒に魔女退治の世界ツアーを行いました!
これは90年版の人間に戻る(友達がいないのは悲しい)と原作のネズミのままで良い(見た目などにこだわらない)の良いとこ取りなのです。

相違点【結末③】世界中で魔女退治

原作はこれからこうやって魔女たちを退治しよう!と計画する、未来が明るいラストでした。
今回の映画では、その計画を実行しているところまで描いています。年を取った「少年」は子どもたちに教えて、未来を作ったのです。「少年」の周りにネズミはいないので、もう亡くなったのかもしれません。でも新しい仲間(世界中の子どもたち)、それにおばあちゃんと一緒に生き生きと魔女退治を続けています。
これこそ、原作の先にある本当の結末なのかも……と想像できてとても楽しいです。


まとめ

2020年に公開された映画『魔女がいっぱい』は原作とはこんなに違います。しかし、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズや『永遠に美しく…』などのロバート・ゼメキス監督らしい、冒険・コメディ、そして新しいクリーチャーの魔女の物語になっています。
ロバート・ゼメキス監督の「これが自分の考える「魔女」だ!」というのが伝わって来てわくわくするのです。特に大魔女への設定、こだわり、造形も素敵!
演出も素晴らしく、飛び上がってネズミになる瞬間は思わず手を叩いて喜んでしまいます!
とはいえ、決してロアルド・ダールの「魔女」ではありません。小説『魔女がいっぱい』をベースにした、ロバート・ゼメキス監督による新しい『魔女がいっぱい』だと言えるでしょう。

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