ワガママメンタル。

私の心は、奥の奥では
ものすごくワガママで自己中。

もしかしたら、私は、
このワガママのせいで
長く人を愛し続けることができず
自ら愛ある生活を手放す、
残念な人間なのかもしれない。

そんな私の考え方は、
きっと共感されないよな、
そうわかっていても
自分の考え方、感じ方は
変えようがないのだから
仕方ないのだと思うのです。


この歳になり、
周りで、なんだかんだ言って夫が1番好き
と心から言える人を眼にすると
すごいなぁ…
人を愛し続けられるって
一種の能力なんじゃないかなぁ
と思ったりします。


過去の経験から、
私の男女関係にかかわる思考回路を
紐解いてみると、


私が最初男性と仲良くなるのは、
話す内容や行動から感じる
人間性の中に共感できる部分を
見つけるからだと思います。

好きになるのもここが
半分を占めていると思います。


ただ、残りの半分が1番大きくて。
目と目を合わせて、
直接会話を交わして感じる空気感が、
結局は気持ちを決定づけるんだと思います。


関わりがそこまで長くならなくても、
そこがビビっと来たら
すぐに「大好き」のスイッチが入るんです。

でも、それはスタートでしかない。

濃く関わり、深く知り合う過程で、
日々の関わりの全てが、
気持ちを確かめ合う大切な要素。


どういう自分でいるか、
相手のために何ができるか。
完璧である必要なんてないけれど、
どの方向を向いて、
何を気にかけるのか、
何を気にしないでいられるかが
とても大切で。

同じ方向を向いていられるか、
もしくは違う方向を向いていても、
それを互いに尊重できるなら、
好きは深まっていくし、
そうでなければ気持ちはすり減っていきます。


最初のフィーリングで
胸いっぱいに膨らんだ「大好き」の気持ちが、

徐々に関わりを深め、
相手と長い時間を共に過ごすようになり、
共にさまざまな問題に直面し、乗り越えてもなお
萎まずにいられたら、
それは「愛」に変わるのでしょう。


ただ、「愛」になる前に萎んでしまえば、
そこで気持ちは消えてなくなる。
消えてしまえば、もう元には戻らない。


それは、私にも、相手にも言えることで、
私の中で終わるかもしれないし、
相手が私を見限ることもあるのでしょう。
それはそれで仕方ないのです。

心地よく分かり合えないなら
無理をして近い距離で一緒にいる必要はないし、
無理をして肌を重ね合う必要もないのです。

私も、私の夫も、
私自身がこんな考え方の人間だとは想像も
しませんでした。

結婚したら
一生同じ気持ちで
相手を愛し続けられると
思っていたんです。

けど、長年共に過ごす中で、
今、ようやく違うんだなぁって
わかったんです。


わかったらもう、
私はその性質を抱えて
生きていくしかないんです。


運良くこんな私と
想い合ってくれて
私の心のワガママに
快く付き合ってくれる人がいたならば、
ありがたく心もカラダも求めにいくのでしょう。


でもそれはもはや
なくてはならないものとして
血眼になって
探しにいくものではなく、


あったらいいなぁと憧れ、
素敵な出会いに恵まれた時に
こんな過ごし方ができたらいいなと
夢見ながら、
ゆったりと自己研鑽する
動機づけ程度のものなのです。

ここまで、
結婚も含め恋愛経験を重ねてきて、
実は「大好き」を感じられたとして、
それを「愛」まで持っていける
自信は私にはもうほぼありません。


心から愛し合うには
私は相手に求め過ぎるし、
それをワガママだと
自分で押さえてしまうと、
「好き」が萎むのですから。

もう、八方塞がりなんです😂
だから、だれか男性を
愛せるようになることは、
もう半分は諦めてます。

自分が、心地いい自分でいる。
そうやっていろんな人と
出会って「大好き」を
感じられた人と、
「愛」までいけるかな?
とうっすら期待しながら関わりを楽しむ。
ダメだったら「残念でした🥹」
と諦める。

そんなふうに、時折
「大好き」からもらえる
幸せな刺激を愉しみながら
人生生きていければいいかな。

そんな風に思う今日この頃です。


私が気をつけなければ
ならないのは、

好きな相手と接していると、
違和感をギリギリまで
我慢してしまうんですよね。
好きな人とはいつでも
笑顔で気分良く過ごしていたいから。

そうやって知らぬ間に
違和感を溜め込んで
ある時耐えられなくなると
急に我慢できなくなって
静かに感情が
爆発してしまいがちなんです。

そして、抱えていたものを
攻撃的な物言いで
相手にぶつけてしまう。

今まで、優しく、温かく
接していたのに、
そんなに急変したら
相手もびっくりしちゃいますよね。

爆発する前に
相手と穏やかな気持ちのまま
歩み寄りを模索して
行ければいいんですけどね。

そんな不器用な自分だから
夫への「好き」を「愛」に
変えれなかったし、
これからできる自信もないのです。


それでも「大好き」と感じる気持ちは
とても素敵だと思うし、
そこからそれを「愛」に変えていくべく、
2人で無理せず努力を重ねていく世界に
憧れを持っているのです。

だから、
心は自由がいいと
夫にお願いしました。


既婚であっても、
2人の間で満たし合えないなら、
もはや新たな出会いを遠ざける義務は
ないと思ってます。

ただ私は、
たとえ、他に好きな人が
できたとしても、

恋愛に没頭し、
生活面で、夫や子ども、
家庭をケアする時間を
蔑ろにするつもりはありません。
まずは子どもが第一です。
男女関係なしでいいなら、
夫に何かあれば、
ちゃんと世話をしていく覚悟もあります。

万が一、誰かと出会い、
関わりを深める中で、

子どもが何も
気を使わず成長できる環境を守ることは
絶対に譲れない守っていくべきこと
であるというのは前提として、

好きな人との愛を育むことと、
家族としての夫婦の支え合いと、
社会的な立場と。

そのバランスを保つことが
難しくなりそうなら、
夫と互いの優先順位を話し合って、
離婚すべきなのか
決めていくのでしょうね。

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