夫婦と家庭と愛着と。


おはようございます。


我が家は、長年私からの完レス夫婦で、
先日、互いに家庭生活をしっかり尊重するなら
婚外もOKであると、ゆるい取り決めを
したわけですけれども…


いろんな夫婦関係改善に関する
助言の記事を見ると、
そういう取り決めは
あまり安易にするものではないという 
スタンスの記事の方が
よく見られる気がします。

例えば、以下に引用させていただいた
記事のように、
セックスレスについて、
たとえ、改善の見込みがもうないと
思えたとして
相手に愛着があるなら、
セックスを他に求めるべきではない。

セックスに関して
需要と供給が合わないから
他で済ませようというしてしまう。
理性的に考えると
そうなってしまうかもしれないけれど、
実はセックス自体は
本能部分に関わるものなので、
実際に自分以外の誰かと
そういう関わりを持たれると、
愛着を感じているパートナーを
失うかもという恐怖を
本能的に感じてしまい、
結局大きく動揺してしまうことになると。

詳細は以下の記事のとおりですが、
夫婦関係について、
深く洞察がなされ
とても興味深いです。


私も、世の中の大半の夫婦は
夫婦間に感情のこじれはありつつも、
それは、好きなのに
愛されている実感がない、
とか、好きだけど、
相手に甘えてしまっていた、とか
愛着でつながっているような気がしますし、
(愛着ではなく、拗らせ自尊心から来る
独占欲による場合もある気はしますが…)

だからこそ、安易な婚外は
おすすめしたいと思いません。

ただ私は、
この記事を読んで、

あぁ…
私は夫への愛着を完全に失ってしまったんだな、
という実感をさらに強めてしまいました。

修復しようと努力できるのは 
愛着があるから。

ゼロになってしまえば
もう生み出すことはできないのです。

ここまで来てしまうと、
普通なら、
口も聞かない家庭内別居とか、
そういう状態になって
しまうのかもしれません。

きっと、そういう人は、
家庭内の心地よい環境を守ろうという
モチベーションは
夫婦の「愛着」から来る
ものと考えるからなのかな
という気がするんです。

私は、 
長年の我慢の結果、
ある時からもう、
夫への愛着が皆無になり、
彼に意識を向けると嫌悪感が湧き、
触れることはもちろん、
一緒に何かの作業をすること自体も
うっすら苦痛を伴うものとなり
避けたいと思ってしまうように
なりました。

それでも、
夫婦間の感情のもつれで
家に不機嫌の空気を入れれば
子どもが不安を感じるだろうと
わかっていますから、
それは全力で避けたかった。

だから、
夫への見方を変えたのです。

彼は、愛すべき夫なのではない。
家庭を共に円滑に回していく
ビジネスパートナー、
仕事上の相手にすぎない、と。

家事・育児、資産運用、
家や車といった資産のメンテナンス等、
これらはプライベートなことではあるけれど、
ある意味仕事です。

計画を立て、分担して取り組み、
その中で、支障はないか、
よりよくするにはどうしたらいいか、
仕事仲間と話し合いながら
逐次、方法を見直す。

意思疎通も、自分の作業も
互いが心地よく業務を進められるように
無理のない範囲で、相手に配慮する。

夫婦は事業運営の
担当者であると共に
管理者でもありますから、
どちらかに理不尽に負担が偏らないように、
業務の内容やボリュームを洗い出し、
整理・情報共有し、
それぞれの得意分野・苦手分野等の
特性を踏まえて、
理解を得ながら業務の割り振りをする。
やってみて、どちらかの作業能率に
難ありだった場合、どうすれば、
相手がより取り組みやすくなるか
作戦を立てる。

こういったことは、
社会生活において、
共に業務を取り組むこととなった
相手と当たり前にしていることです。 
相手に愛着を感じられるか
など関係ありません。
(少なくとも、私はそうしています)

夫についても同じです
我が家というプロジェクトを
進めていく上での
唯一のパートナーなのですから、
尊重し、温かく接する。
いい面を認めあい、感謝し合い、
柔軟に意思疎通を図る。
そして、それぞれに負担の偏らないように
業務を調整する。
楽しく過ごすため、雑談にも快く付き合う。
それは、愛着皆無でもできることなのです。
(少なくとも、、私は。)


では、

愛着がないとできないことは
なんなのでしょう。

それは、

  1. 触れたり、キスしたり、
    セックスしたり…
    スキンシップを愉しむ。

  2. お出かけや、趣味など、
    2人だけでもやりたい遊びを生み出す。

 この2つです。

心は自由でいい、
と夫に宣言し認めてもらったのは、

私にとってはある意味、
この2つを夫としなければならないという
呪縛から解放してもらうことでした。

この2つは、実は
「愛されている」と感じるために
とても大切なものなんじゃないかな 
と思っています。

そして、
「愛されている」ことが
自尊感情を保つための
重要な要素であり、
それをパートナーから得ることに
執着している人にとって、
この2つは、
死活問題なのかもしれません。

私は、愛着を感じられる人と
共に過ごすことが
とても幸せを感じることだと
知っていますが、
なくても生きていけます。


無くても
生きていけるからこそ
妥協したくない。

スキンシップは好きな人と
心配ごとを感じなくていい状態で
安心して愉しみたいし、

お出かけは
一緒にいて楽しい人としたい。


だから、
夫婦間の愛着という義務から
解放されたかったのです。

だから私は夫と、
「妻」という
ビジネスパートナーとしての
役割からは逃げ出すことなく、
これからもこの家庭にいる
という約束はしつつ、
婚外の了承を得たのです。

そして、私だけが
勝手に解放されるのは
フェアじゃないので、
夫にもそれを認めたのです。

その点、私はものすごく
ドライで、残酷なのだと思います。
無理なものは無理。
歩み寄れるラインはここまで。
あとはあなた側の問題なので、
そちらで解決してね。
そういう風に
割り切れてしまうのです。

だって
夫婦それぞれが
ちゃんと愛着を感じられる人に
出会った方が、
もっと幸せになれるに決まってる。

そう…思ってしまうんですよね。

これからきっと私たちは
子どもが巣立った時に向けて
ゆるい離活をしていくことに
なるのかな…
なんてそんな気がしています。

夫にいい人ができたら
きっとワクワクして
応援するのでしょう。
そんな日が来るといいな。





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