言われなければわからないと言うけれど。


言われなければわからないというけれど、
夫の感じ方や行動パターンに
納得がいかない場合、
それを夫に伝えたところで、

気をつける。
できるだけがんばる。
そうは言ってもできないんだよなぁ〜、
ごめんね。

で片付けられて
何も変わらない。
そんなことが往々にして
起きたりするのです。

いつまでも同じことでモヤモヤして
いちいちどうやったら伝わるのか
言い方を試行錯誤して、
結果伝わらなくて
心がすり減ってしまう。

それなら、
始めから心を通わせなくていいと
何も言わなくていいと
割り切ってしまった方が
よっぽどラク。

私はそう思ってしまう人間です。

わかり合いたい、
わかって欲しい。
わかってもらえるように
伝え方を工夫しようと思う。

それができるのは、
「好き」の気持ちが
残っているから。


「好き」がなくなった後は
深いところで心通わせる努力というのは
したいとすら思えなくなるんです。
ほんの少しも。

ただ、好きではないからといって、
暮らしの中から、
夫を全て排除しないと
気が済まないなんてことはありません。
そんな攻撃的な世界は
私は望んでいないのです。

心を通わせない分、
いかに毎日を
平和に、円滑に過ごせるようにするか。
そういう意味での
物理的、実務的調整は
快く、円滑にできるよう
極力配慮します。

理解し合えない者同士でも
深いところは関わらないままでも、
平穏な同居生活は
できると思うのです。

子どもがいますから、
そういう方向で
互いに配慮し合おうという
努力はとても大切だと思っています。
精神的に安定した環境を守ることが
至上命題ですから。

家庭内で夫婦の心が通わずとも
互いがそれぞれで
子どもに目を向けて、
子どもと心を通わせる。
そして、
それぞれの子どもとの関わり方を
それぞれが尊重する。
それだけでも十分に
家庭は円滑に回って行くと思います。

でも、そうやって家庭円満
でいつも過ごしていられたとしても、
夫婦関係がうまくいってるわけではないので、
夫と2人だけの特別なことは
もうなにもしなくていいですし、
何もしたくないのです。

心をときめかせたり、
感動を覚えたり、
思い切り盛り上がったり。
そういう心の喜びは
夫と2人の場では
もう感じなくなってしまいました。
きっと、もう夫の前では
心を解放できなくなってしまったから
なのでしょう。

その分日々、
心を通わせ合える他の人に
会いたいと思います。
姉とか、友達とか…

会いたいと思う人は、
意図的に何かを言わなくても、
何気ないおしゃべり、
何気なく共にする作業で
共鳴しあって
心が喜ぶのです。

そういう人と一緒の時間を
多くした方が
よっぽど幸せになれると思うのです。

そして、私にも他にそういう人が
いるように、
夫にもそういう人はいると思うのです。
私と夫は感覚や相性が
合わないだけなのだと思うので。

だから、夫とは生活を支え合う必要が
ある間は共に過ごす。 
そうやって助け合いながら、
お互いの感覚が合う他の人との
新たな世界をゆっくり別々に
築いていけばいい。

互いが別々に幸せになっていけるために
互いに協力し合う。
そういう夫婦関係があっても
いいのではないかな。

なんて思うのです。



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