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青森のど田舎で生まれ育って

yujiさんの発信が好きで、noteのマガジン全部購読しています。その中でも大好きなシリーズ「街のバイブスを読んでみる」についに青森編が追加されたので、青森のことを思い出しながら色々書いてみました。


冬の朝わたしは生まれた

わたしは1977年の冬の朝、青森県八戸市内の病院で生まれました。

しばれる朝だったでしょうね。青森県で生まれ育ち、母語は南部弁です。

テレビの人が話す言葉が違う!

子どもの頃、何故、わたしたちが普段話す言葉と、テレビの人が話す言葉は違うんだろう?と不思議に思っていました。

国語の授業で教科書を読むときだけは標準語、それ以外は方言のアクセントで話すという生活でした。

小2の時、村の中のいくつかの小学校が統合して、新しい校舎に移りました。
(小1の時の校舎は木造、ぼっとん便所・・・お掃除用の三角巾を何度も落とした、裏は牛小屋、七面鳥もいた気が。

教室には石油ストーブがあった気がします。アットホームな学校でした。かわいがってくれた6年生の子が修学旅行のおみやげを買ってきてくれたり。多分あの頃のさっちゃん=わたしはかわいかったんだろうな)

同級生のアクセントも違う!

その時私はあることに気付きました。
出身小学校によって、教科書の読み方の癖(アクセント)が違う、ということです。

峠を越えると言葉が変わるというのはこういうことなのかもしれませんね。

一つの村の中にも、まあまあ栄えている地区と、これぞ田舎という感じの地区とか色々ありました。
わたしの住んでいた地区は、バスが走っていたので、栄えている気がしていました。

(と言ってもバスは1時間に1本くらいの八戸行。南部バスは運賃が高いので有名だったはず。夜8時になると、お店は閉まり、人っ子一人歩いていない、といった感じ。スナックは何軒かあったかも。)

山から来た子は足が速い!

中学生時代、山からきている子は足が速いことに気付きました。日々の登校がトレーニングになっていたのでしょう。

ワイルドな遊びが好きだった

子どもの頃の思い出として、たのしかったなーと記憶に残っているものは、近所の用水路で裸足になって遊んだこと。苔がぬるぬるしていて、キャーキャー言いながら水遊びしたこと。(いつもやっていたわけではなくて、その日は非日常だった)→多分今なら危ないからやめなさい、と大人のSTOPが入りそうな場所。

もう一つは、泥と水が入った田んぼでタニシをとって遊んだこと。こちらも裸足で田んぼに入り、友人と2人でものすごい数のタニシをとりました。あのタニシ、結局どうしたんだっけなあ?(これも非日常の遊び)

小川でカワニナをとって遊んだり、野原でコオロギ、鈴虫、その他の鳴く虫をとったりするのもまた楽しい遊びでした。

田舎には田舎のマウンティング

突然ですが、皆さんはご存じでしょうか、田舎には田舎のマウンティングがあることを。

高校時代、わたしは三戸郡から八戸市内の高校へ通っていました。

なんと、八戸以外の地域は「郡部(ぐんぶ)」と呼ばれ若干下に見られる傾向にありました。田舎者がもう一人の田舎者を「おい!田舎者!」とバカにする不思議な構図です。(ですので、わたしの中には、自分は田舎者の中の田舎者なんだ、という確固たる田舎者意識が植えつけられました)

今思い出したので追加:地元には「じゃぃご」という言葉があって、田舎者を指します。田舎者で教養が無い、というニュアンスも含まれる気も。「じゃぃごくさい」は田舎くさい。つまり田舎(さげすむ意味での)の意味であります。忘れないようにここに記す。。。(いつかなくなってしまうんじゃないかと思うので、この言葉)

例文①:あそごはじゃぃごだすけ。(あそこは田舎だから)

例文②:なんだっきゃその服。じゃぃごくせぇごど。(なにその服田舎くさい)

そういえば、余談ですが小学生の頃、マラソン大会の参加賞がニンニクでした。え?ニンニク?と思いながらもニヤニヤしながら受け取りました。そう、わたしはニンニクの産地で生まれました。

貧乏な歴史。みんな苦労人。

青森県の三八地方といえば、やはり昔飢饉がありましたので、せんべい汁とかひっつみ(すいとん)とか、小麦系の保存食が重宝されたんでしょうね。

背景がちょっと悲しいけど、それが現実。貧乏に慣れている?貧乏に強い?素朴な人が多いと思います。(幼いころに両親を亡くしたわたしの父もそう)

やませといい冬の寒さといい、何とも演歌が似合う土地だと昔から感じていました。(寒いのが大の苦手で、わたしは将来南の方へ移住したい、と思っていました)

津軽弁が聴き取れない

小学生の頃、初めて青森市へ行き、バスに乗った時、運転手さんの言葉が聴き取れませんでした。それは津軽弁でした。奥羽山脈を越えると言葉も違う、という衝撃的事実でした。

不思議な話は山ほど

あと、姉は子どもの頃、お菓子の当たりが分かったり、枕元に(後から思うと、と言っていた)沖縄風の髪の女性が座っているのを見たり、父は実家で女性の幽霊を見てつかまえようとしたりw、友人は実は色々みえたり感じたりするんだ、ということを20歳過ぎてから教えてくれたり、親戚のおばさんは「ほら、たますっこ来てら(ほら、魂が来てる」と発言したりするなど、割とそういう話が身近にたくさんある環境でした。不思議な話は山ほど聞いてきた気がします。イタコ的な人もあちこちにいます。→多分青森あるあるなんじゃないかと。

ミステリアスな土地

とはいえ、高校卒業と同時に故郷を離れてしまい(途中1年くらい戻ったこともあったけど)久しいので、地元のことを意外と知らないことも多いかもしれません。青森県出身のわたしにとってもまだまだミステリアスな場所、それが青森県のような気がします。


↓これは過去に書いた青森県関連記事です


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