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セラピストの「セラピー」と「ケア」の使い分け

ケアとセラピーの差異について考えることが多い。 というのは、訪問看護業務に従事しリハビリテーション過程の方向性が、明らかに今まで(病院やデイサービス)と違和を感じる。 その違和について考えた結果、ケアとセラピーの違いではないかと思い始めている。 せっかくなのでこのnoteに自分の考えをまとめて、みなさんに共有したい。 ケアまず、ケアについて。 ケアは「傷つけないこと」でもあり、「依存を引き受ける」ものでもある。 例えばひきこもりの人がいたとしよう。部屋から出てこない

    • 臨床で気をつけてる認知バイアス3選

      キャッチーなタイトルつけてごめん。 体に染み込ませなければ直観に頼ってしまうような場面(疲れてるときとか、感情的なとき)でバイアスに飲み込まれてしまうことが多々ある。 参考程度にどうぞ。 確証バイアスコレよく聞くやつだと思う。 確証バイアスって、仮説を検証するときにその情報ばっか集めちゃうっていうやつ。例えば このリハビリテーションがうまくいったんだ(仮説)。なぜなら想定通りに随意性も良くなったし、筋緊張もいい感じになったし(証拠集め)。 科学というのは仮説に対して反

      • 仕事に熱中するということ

        仕事に熱中するということは普通良いことだ。 普通というのは世の中で一般的な常識・偏見のようなものだ。 すなわち世の中は人へ仕事に熱中させているのではないだろうか。 背伸びした表現したけど、ほんとそんな感じしてる。素朴に。 私たちは"仕事に熱中させられている" 考える上で、まず新自由主義という言葉がキーになりそう。 新自由主義は政府による介入を最低限とし、個人の自由を再評価した思想である。郵政民営化などは最たる例だろう。(多分) 結果なにが生じるかというと、社会・個人間

        • 夜散歩をしながら生きている実感を得る日

          立ち止まった夜の闇、鷹揚な態度で戸を開き歩き出す。 さらさらとした風の音に歩幅を合わせて、ゆったりと歩く。 たまにはこうして、ただ私はこの世界の不思議さに手を伸ばす 私が散歩するに至った原因は分からない。 私の本質の姿なんてものもわからない。 だれもそんなことわからない。 人は崖を飛び越えるように他者に話しかける。 私が何者なのかわからないのに、相手に「私のわからなさをわかってください」と話しかけるから、話しかけるというのは勇気がいる行為だ。 頑張って話しかけたのに跳

        セラピストの「セラピー」と「ケア」の使い分け

          「説明してください」の齟齬

          例えば、「なんで呼吸が苦しいか説明して?」と言われた時、「説明」とは何を意味しているだろう。 A:「肺炎だからです」 B:「呼吸中枢からの運動出力と、神経受容器からの求心性入力に乖離が生じているからですよ」 C:「呼吸困難感はあくまで感覚なので、化学受容器の刺激によって生じていますよ」 ※呼吸困難にあまり詳しくないのでなにか間違ってたらスマン これらそれぞれ呼吸が苦しいことの説明にはなっているとは思うが、それぞれの説明は何が違うのだろうか。 コミュニケーションの中で齟齬

          「説明してください」の齟齬

          新しいことを経験しない人多いよな?

          新体験のメリットは、趣味ができるかもしれないとか、友達ができるとか色々あるけど、私が思うに新しいことを体験するメリットは「センスを良くする」ためなんだよ。 新しいことを体験するってのはなんでもいいんだ。勉強でもいいし、登山してみるでもいい、聞いたことない音楽を聴いてみるでもいい。 自分が新しいことをしても誰も咎めない。 むしろ、新しいことをした自分を少し好きになれるんじゃないか。 この魅力は最近まで自分も気づかなかったんだよな。若い頃から出不精で自分のことしか興味がない状

          新しいことを経験しない人多いよな?

          不安を再考する

          今は訪看で作業療法してるけど、エンジニアしてたときは毎日不安感にさいなまれていた。出勤前に動悸することもあり、不安障害になるかと思った。 みんなはどう。 なんとなく不安だなあってときあるよね。 だから不安について再考するよ。 この記事であなたの役に立てると嬉しい。 不安とは皆さんご存じの通り正しい答えなんてないけど、私は不安をこう思う。 「日々の反復から区別された差異」 まあ、意味わからんかもしれんがもう少し読み進めて。頼む。 以下の図は私が考える不安の考え方。 赤

          不安を再考する

          「何か質問ある?」「いえ、大丈夫です」

          私は脳内にICチップが埋め込まれている。 ICチップから<なにごとにも正解はあるはずだ>と刺激を受ける。 相手に「何か質問ある?」と問われたとき、 ICチップに促され、「いえ、大丈夫です。」と私は答える。 <なにごとにも正解はあるはずだ>という前提に立つと 「正解」を知っていれば知っているほど 人間は社会的な価値を帯びるだろう。 1+1は2だし、肘を曲げる筋肉は上腕二頭筋だ。 人間にとっての幸福とは"X"だし、死後の世界も"あるorない"だろう。 正解を知っていれば知

          「何か質問ある?」「いえ、大丈夫です」