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夜散歩をしながら生きている実感を得る日

立ち止まった夜の闇、鷹揚な態度で戸を開き歩き出す。
さらさらとした風の音に歩幅を合わせて、ゆったりと歩く。

たまにはこうして、ただ私はこの世界の不思議さに手を伸ばす

私が散歩するに至った原因は分からない。
私の本質の姿なんてものもわからない。
だれもそんなことわからない。

人は崖を飛び越えるように他者に話しかける。
私が何者なのかわからないのに、相手に「私のわからなさをわかってください」と話しかけるから、話しかけるというのは勇気がいる行為だ。

頑張って話しかけたのに跳ね返されるとそれは、ほぼ暴力だ。
だって、私は崖を飛んできたんだ。
わからなくても飛んだ勇気は讃えてほしい。

お互い「わからないねえ、困ったねえ」と言いながら
過ぎ去ってしまう時間を、積み重なっている経験を共有していた。

原因もわからないまま、分かれ道までトロッコで連れ去られていく。左右どちらに進みますか、と岐路が押し寄せてくる。
私はゆったりと歩いて生きたいのに。

目の前の田畑と木々を眺めながら、
自然は自然でしかない、本来も本質もないか。

人は本来も本質も措定せず、ただ在るだけでは不安なのだろう。
だから理由もないはずの「私が在る」ことを
「不思議だねえ、わからないねえ」と話しを聞いてほしい。

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