見出し画像

着る物はエネルギー供給源 #無重力着付②

無重力着付のちーこ先生に仕事で取材へ。2023年3月に無重力着付講座を受けて以来、なるべく着物を着るようにしている私。

なぜか?

それは、

「着物は日本人の和の動き・精神・考え方を取り戻す最高のツールである」

という事を教えてもらったから。
最初は「母親とかおばあちゃんから受け継いだ着物を着るって、なんかいいよな」とか「発酵と共に、日本文化を残していく感じていいな」とかそう思っていたけれど、着物にはもっともっと深い「沼」があった(笑)。


着る物はエネルギー供給源

ちーこ先生に取材に行く前の週に、茨城県の結城紬の取材に行った。
結城紬は12の工程を経ると説明書きがあったけれど、そのひとつひとつの工程にまた、驚くべき工夫と繊細さが詰まっていた。

糸に色をつけてから織っていく結城紬

蚕が繭を作り、繭から真綿を作る。真綿をほどいて糸を手で紡ぎ、糸を整え、糸に色を付け、糸を織って布にし、反物を売る人がいて反物から着物に仕立てる人がいる…。1枚の着物の中に、壮大な生命の循環と長い時間があった。

「結城紬を見たからわかると思うけど、あれだけの時間と労力とかけてつくられた服はそれだけエネルギーが溢れてるってことだよね。着る物は24時間身につけている物だから、その影響を受けないはずがない。私たちは着る物からもエネルギーをもらってるんだよね。

と、ちーこ先生。
「着る物がエネルギー供給源」とな!確かに!!

そう言えば、誰かが「時間=生命」と言っていた。
時間がかかる伝統工芸品=関わる人の生命や自然素材による生命の積み重ねがある」ということか!
動物と人間の違いは「服を着ること」でもあると考えると、人間は食べる物だけではなく着る物からもエネルギーをもらっている特異な生き物になる。

体は「空(カラ)だ」なので、生命の積み重ねによる食べ物じゃないと動けなくなるってゆーのは私の死生観の中であるけれど、着る物からも生命を得ていると思うと、見方が全く変わってくる!!
(カラだの話はこちら↓)

無農薬野菜も生命の積み重ね

生命の積み重ねによる食べ物でわかりやすいのは、無農薬野菜。
無農薬栽培をしている農家さんは、毎日毎日野菜の様子を見にいく。野菜の声を聞いて、状態を感知して対処する。
土の中では微生物やミミズなどの生命の循環が土をつくり出し、実を育てる。

農家さん、土の中の生き物たち、無数の生命の積み重ねが実になり、私たちにエネルギーを与えてくれている。
そこにまた別ルートで生命が積み重ねられた伝統製法の調味料があり、カサね合わさって「料理」になる。

その命のバトンを受け取るのが料理人なんだな。食べることの意味がまた深まったなぁ。

「“服”用する」

「昔の人は衣類も薬と同じように考えていたから、薬を飲むことを『服用する』って言うんだよ」
と友人から聞いたことがある。

そういう意味では、服の原料栽培のために農薬や化学肥料、除草剤で大地が疲弊し、劣悪な環境で縫製させられているファストファッションの闇を考えると、その服を四六時中身にまとっていたら自分のエネルギーが奪われちゃうよね?ってのはなんとなく想像できる。
化学合成された食品添加物を取ると体内のミネラルが奪われる、という物理的な現象と同じようなイメージ。

うさととか、ふらの布とか大麻とか、そうした服に袖を通しただけで「もうこれしか着れない!」「涙が出てきた」という体験談も聞いたことがある。それはきっと服が与えてくれるエネルギーに満たされる感覚なんだろうな。
私はそんな繊細な感覚を持ち合わせていないのだけれど(笑)。

「着る物の価値」がどんどん薄れているのは事実。いや、着る物の価値というよりも、「着る」という行為の意味が浅くなっているってことかな。
肌を隠す、肌を守る、ファッション性…。でも、着ることの副次効果ってきっと、もっとあるんだろうな。

着るものと対話する⁈

ちーこ先生が
「洋服は考えなくても感じなくても着れるんですよ。失敗がない。間違えたとしても、裏表に着るとかボタンをかけ間違えるとかその程度。『今日はワンピースが気持ちよく着れた!』なんて思わないでしょ(笑)?でも、着物は『心地よく着れる/着れない』時があるんですよ。」と。

自分の心地よさをさぐりながら「丁寧に着る」ということをすると、確かに気持ちいいんだよね。
無重力着付けの再受講をした時にそう思った。ちーこ先生はこれを「着物と対話する」と表現していて、着物から教わることがたくさんあると言う。

自然派な食に関心が出てくると、衣類の素材も関心が高まってなるべく綿や麻などの天然素材を選ぶようになる(私もその一人)。でも、素材は気にするようになっても選ぶのは「洋服」。そこの選択肢に「和服(着物)」が入ることはなかなかない。それだけ「着物」というものが私たちの生活からかけ離れたものになってしまっているということなんだろうな。

共有が先か共感が先か

このブログを書いていて新たに思ったのは、

共有が得意な西洋文化
共感が得意な東洋文化

共有するには「見える化」して誰もがわかりやすい形や理論にする必要がある。だから、仕組化とか分析とかが得意。白黒ハッキリさせる。
共感するには相手の状態を感じて自分の状態を重ね合わせる必要がある。だから、察するとか相手に合わせるとかが得意。グレーのあいまさがある。

共有できるから共感できる時もあれば
共感できるから共有できる時もある。

私は科学や理論が好きだけれど、「説明できないキュン♡」も大事。頭から理解して入る時もあれば、感覚から入る時もある。

着物からのエネルギーをもらって、私は何を感じていけるのか。着物を着ることの副次効果を体験体感していきたいな。

その視点でまた着物生活を続けてみようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?